狂天2
必死で駆ける。肺が痛い。苦しい。こんなに必死になったのは久しぶりかもしれない。
クラマちゃんは心配だと言った。学校に急ぎましょうと言った。
それは理解できる。魔獣が現れるはずの無い場所に現れたのだ。もう当たり前は通用しない。現れてはいけない場所に現れてしまうことが起こりえるわけだ。
ん?何だろう。この匂い。いや、臭いだ。臭い。何かが燃え焦げたような、そんな臭い。
不吉な予感が胸に広がる。いや、予感なんかじゃない。何かが燃えている臭いなんて限られているじゃないか。学校に向かうにつれ大きくなる不安な気持ち、そして比例するように強く濃くなる不快な臭い。
「そんな。うそ、でしょ」
一歩。一歩。崩れそうになる足を、なんとか踏みとどまりながら進む。
「千寿流ちゃんっ!ダメっ」
そんなあたしをクラマちゃんは抱きしめる様に引き留めてくれた。
新海区立鳩羽小学校。あたしが通う学校だ。
あたしはここで友だちといろいろなことを学び、笑い、泣き、時には怒り、大きくなっていく。
記憶はまだ蜃気楼のように実体を掴んではくれなかったけれど、昨日あたしを迎えてくれたみんなはとても暖かかった。
まだ、話したい事がたくさんあった。
まだまだいっしょにやりたいことがいっぱいあった。
まだ、この場所で笑い合いたかった。
あたしの学校。
その学校を、眼を焼き焦がすような赤が覆いつくしていた。
目が眩むような赤は、時折吹き付けるに乗って校舎を次々に飲み込み、激しい音と共に崩れ奪い去ってゆく。黒く汚れた煙は空へと昇り、黒い雲となって希望を覆い隠すように広がっていく。その姿は、かつての学び舎の最後の叫び声のようだ。
既に消防車が何台か到着しており、懸命な消火活動が行われ続けている。
嫌な予感はしたのか。
「……」
昨日、黒い影が横切ったんだ。もしかしたらあれは野兎なんかじゃなく、魔獣だったのかもしれない。
あの時、みんなに怪しい影を見たと一言伝えられていれば。明日は止めにして明後日に集まろうと言えていれば。
いや、それで助かるのはあたしたちだけだ。先生や部活に来ている人は救えない。それでも救えた命もあると云えるだろうか?
後悔噬臍。起きてしまったことはもう変えられない。過去には戻れない。現実がどれだけ酸鼻であろうとも、細く続く道はいつだって一方通行なのだから。
耳鳴りがした。
____キーン。キーン。キーン。キーン。
杭を打ち付けるよう一定間隔に。断続的に。秩序立てて。
____キーン。キーン。キーン。キーン。
ああ、学校のチャイムかもな。
____キーン。キーン。キーン。キーン。
どうしてお前だけが助かったんだと。
____キーン。キーン。キーン。キーン。
責め立てる様に強く。
____キーン。キーン。キーン。キーン。
「千寿流ちゃんっ!」
肩を強く掴まれる。現実と云う悪夢に引き戻される。
「クラマ、ちゃん。あた、し……」
「心を強く持ってください!可能性としては魔獣。ですが、そうと決まったわけではありませんっ。まずはこの場から避難しましょう!歩けますか?」
「う、うん。……っあ」
腰から下の感覚がなくなったように力が抜ける。ぺたんとその場に座り込んでしまう。腰が抜けてしまった。立ち上がろうとしても立ち上がれない。
それは怨讐か。火災に巻き込まれ亡くなったであろう生徒たちが、お前もここで死ねと肩に手をかけて抑え込む。視ることの出来ない恐怖と後悔があたしを地面に強く縛り付けるのだ。
「ごめ、立てなっ……クラマちゃっ!」
座り込んでしまったあたしに手を貸そうと、中腰になり手を伸ばしてくれるクラマちゃんの後ろに、黒い影が重なった。
この視えない怨嗟は、クラマちゃんも抑えつけようとするのか。クラマちゃんは関係ない。呪われるのだとすればあたしだけで十分だ。だから止めてと声を出そうとした。
いや、幻覚じゃない。本当に影が襲い掛かろうとしていた。
あたしは咄嗟に声を出そうとしたが、上手く言葉に出来ない。
あたしの顔を見て何かを察したのか、クラマちゃんはその襲い掛かる影に寸でのところで反応する。けど、魔獣の存在に気づきながらも、なお、避けようとはしなかった。
(っう)
あたしのせいだ。あたしがいるからクラマちゃんは避けようとしないんだ。退いてしまったらあたしが襲われるから。
これじゃあ、あの時と同じだ。
あたしのために。あたしのせいで。
「穿て、光救遍雨ッ」
途 端、誰かの声がした。いくつもの光があたしの目の前を駆けて行く。ぱちぱちと余韻を残しながら、空間を弾けさせるように周囲に光をまき散らす。あまりの輝きにたまらず眼を瞑ってしまう。
きつく眼を閉じ続ける。魔獣の声は無い。
「千寿流ちゃん、もう大丈夫ですよ。このお方が助けてくださいました」
おそるおそる眼を開ける。そこに先ほど狂牙を覗かせていた魔獣の姿はない。黒い粒子が空へと昇ってゆく。どうやら今の光に穿たれ霧散していく最中のようだった。
「怪我は、なさそうだね。大丈夫かい、近衛さん」
代わりに懐かしく頼もしい顔がそこにはあった。




