タルトの異能
ぐちゃぐちゃに潰れ、ぶちまけられた赤黄色に彩られた脳漿を怯む事無く掴み取り、指先で潰す。
音を視覚で感じる。コリコリくちゅくちゅ、実際に音はしないものの、耳を塞ぎたくなるような不快な音が聴こえるようだ。
「ん、なんやこれ?」
「これ、彼女じゃない。きっと、人形」
タルトは死んでいなかった。殺せたと思っていたモノはただの人形だったのだ。しかし、この人形、人体と同じ構造で造られている、正真正銘人間だったもの。いうならば死体人形というやつか。
死体を人形のように操る能力。それがタルトレット・アニエスの異能というわけだ。
(おそらくはあん時。タルトが人形を盾に俺の懐に潜り込んだ瞬間か)
糸による高速移動、その視線の誘導。タルトの移動した先は俺の真横三メートルぐらいやったか?
ほんで、カナの視線は直線上に立つ俺で塞ぎ、同時に波状攻撃と見せかけて一体の人形を前方に突き出し俺ら二人の死角を作り出す。その隙に人形と入れ替わったちゅー話かいな。はー器用なヤツやのお。
つまり、最初から逃げる算段で俺らに向かってきたっちゅうワケやな。強かなやっちゃでほんま。オモロいわ。オモロすぎるで自分。
「時矢、楽しいの?」
「あん、何でそう思うん?」
「だって、笑ってるから」
「別に楽しいわけやないよ。ただ、仕事もゲームも人生も、簡単すぎるとオモロない。スパイスちゅうんかな、要は多少なりと障害が無いとさすがにつまらんちゅう話なだけや」
生きるとはどういうことなのか。この男にとってそれは答えが存在しない問いだった。時計の針は進み続ける。ただ時間だけが流れ過ぎ去っていく。今日は昨日に、繰り返され続けていく。
本を漁り知識を増やした。スポーツに打ち込み汗を流した。仕事に従事し、誰かのために働くことを覚えた。様々な場所に赴き、特産と云われるあらゆるものを食べつくした。誰も考えたことのない発明をして特許を取ったり、何かを想像し創ることに精を出したこともある。
被災地に赴き救援活動に手を貸したこともあれば、その反面、人も犯し、そして殺した。それらはスリルや刺激といったりするのだろうか。けど、そうなるべくしてそうなるだけだ。本を読めば知識が付く、そんな当たり前のことはつまらない。
じゃあ、想定外を見せてくれたあの人形師の少女は面白いのか。いや、面白くなんかなかった。そう思おうとしただけだ。その証拠にその目は何もない虚空を見つめ続けている。その先には“何も”無かった。
「それが、あの少女なの?」
「ああ、タルトレットは良いオモチャになってくれそうやわ」
思ってもみないことを言う。そうしなければ己の存在意義すら見失ってしまいそうになるから。
そう言うと時矢はカナに一瞥もすることなく、もうこの場に用はないと言わんばかりに歩き始める。その後を追いかける様に彼女も歩き始めるのだった。
数奇なる人形師、タルトレット・アニエスは鷹取山の麓のコテージの一室にいた。
登山客が休憩や寝泊まりに使うことの出来る、簡易的な無人休息所である。食事や食堂の様な気の利いたサービスはないものの、その分格安で利用できる魅力的な部分もある。
山から一望できる景色は美しく、旅行客やキャンプなどで利用する人が多く訪れていたが、大口の近くということもあり、客足も昔と比べると随分と減ってしまった。
とは言っても自販機はいくつか設置されており、中にはカップラーメンのようなインスタント食品もある。少し歩く必要があるが、近くにはコンビニもあるし、その延長線上には食事ができる店もある。休息をとるには十分すぎる環境だった。
「はぁ、最近ついてないわね。やっぱり日頃の行いが悪いからかしら」
ぼやきながら服の手入れをする。血まみれの服もそうだが、ところどころ解れたり破れたりしてしまっていた。
それにお気に入りの人形兵も一体、いや四体とも失ってしまった。正確には潰されたのは1体のみだが、回収してしまえばあたしが生きている証明になる。
あたしがあの場から安全に逃げ出す時間を稼ぐには、隠していた人形ごと放棄するしか手段がなかったのだ。
「けど、まあいいか」
誰に言うでもなく呟く。形あるものは皆いずれ壊れる運命にあるものだ。それが生きていようが死んでいようが何だろうが須らく。だから、壊れたのならまた作り直せばいい。
「うふふ、エアポケットを考えた人も詰めが甘いものよね」
恍惚と笑う表情が窓ガラスに反射する。
元漫画家、宇崎陽星による異能。物質屈折変態現象を取り入れて造られたとされるエアポケット。通常、エアポケットは刃渡りが一定以上の刃物や、指定薬物、殺傷性の高い道具など、人に害を成す物は収納できないようになっている。
ある事件が起きた際には、模倣犯による被害に繋がるとのことで人体すらもその対象に指定された。けれど、それは誘拐目的に利用されるからという名目上のものだ。
「だって、死んでいる人間は対象外なんだから」
そう言って服の裾から取り出されたのは、糸に吊るし上げられた物言わぬ人型の数々だった。




