佇影の住人
佇影の住人。まったく聴いたことのない言葉だった。
バディは身体。ノーで無い。ノーバディとはつまり形無き者ということになる。
その語感からあまり良い印象は受けないが、魔獣と何らかの関係性があるのだろうか?
例えば魔獣の突然変異の果てにそう呼ばれるものが存在しているとか。上位種だったり特例だったり、考えられることはいろいろとある。
「あ、お嬢ちゃん。その表情、お前さん、何か勘違いしてるっぽいね。佇影の住人は魔獣なんかじゃあないよ。歴とした人間さ。もちろん姿形もある、ね」
う、顔に出てた?この夜深ちゃんたちと遊びでポーカーをした際には、ボロ負けしながらもいつか勝てるかも、と思いながら結局一度も勝つことが出来なかった。
何でもあたしは思っていることが表情に出てしまうらしい。だから、嘘を吐いても簡単に当てられてしまうし、その表情から何のカードを持っているかも簡単に読み取れると言われた。
なるほど、そりゃ勝てないわけだ。
嘘なんて基本的には悪いことだと思ってるし、積極的に吐くなんてことは無いけれど、全く吐けないというのも生きていくうえで不便だから、最低限は顔に出ない努力をしろと言われたっけ。
「で、どうなの?」
「質問に質問で返す形になっちゃうけど、君はその佇影の住人とやらについての情報を探してここに訪れた。なんてわけじゃないんだよね」
「ああ、さっきも言った通り、俺がここに来た理由はお前たちを怪しいと思ったからに過ぎないよ」
そう一度言葉を区切ると、もう一本タバコを口に咥え、先ほどと同じように火を点ける。男は相当なヘビースモーカーのようだった。
「ん~と、とりあえずね。お前たちが嘘を言っているようにも思えないし、俺としてはもう如何こうしようってつもりはないワケ。だから、警戒は解いてほしいのよね。とくにお兄さん、お前さんには」
「僕?」
「そ、一見ただ突っ立ってるようだけど。何かな、なんて言ったらいいのかな。いつでも準備オッケーみたいな。そんな感じ?あはは、語彙が貧困ですまないねえ」
「いや、悪いけれど君の勘違いだよ。僕は君がここに訪れた理由や素性に関して、怪訝に思う所はあっても警戒なんてまったくしてないよ。だって、見たところ君は一人。僕らは五人。異能と呼ばれる超常現象が存在するこの世界で、素性も知れない相手に戦いを挑むには少々無謀といえるだろう?」
「へぇ」
「だってほら、そこにいる一番小さい紫髪の女の子が、念じるだけで人を害せる異能を持っていたら、その時点で君は詰みだよね?」
「ははは、そう考えるとそうかもねぇ。っていうか、そんな異能あるの?おっかなさすぎておちおち出歩けないよねぇ」
「そ、だから警戒なんて必要ないのさ。ああ、佇影の住人については聴いたことはあるかもしれないけど、風の噂ってだけでそれ以上は何にも知らないよ。お門違いさ」
「……」
「そもそもニュースにもなっていないし、名前からして関わらないほうが身のためって感じがするし、触らぬ神に何とやらってヤツかな」
夜深のその言葉を最後まで聴き終わると、何を考えているのか頭をポリポリと掻いて、少し間を開けてからこう言った。
「分かった。全部理解した。時間を取らせてごめんよ。俺はお邪魔しちゃったということで、もう行くことにするよ。ああ、その謝罪と言ってはなんだけどコレ、お前らにやるよ」
そう言いながら投げて寄こされたのは2枚の紙きれ。いや写真だった。その写真には水で出来た様なバケモノが破裂する瞬間と、同じようなバケモノが霧散して消えゆく姿が写されていた。
恐らくは千寿流たちが追いかけていた、水性の魔獣が消滅する瞬間を写したものなのだろう。
「俺は写真家じゃないから、上手く撮れてないなんて批判、話つけてくれるなよ。今の相場とか良く分からないんだけど、それ、ギルドに持っていけば一週間ぐらいの食費の足しにはなるでしょ。それじゃあ、本当にさようなら。また、どこかで合えれば世間話ぐらいは付き合ってほしいねぇ」
「……」
「あ、ごめん、最後にもう一ついい?狐の子。お前、名前なんて言うの?」
「え、あたし、ですか?えっと、近衛千寿流です」
「はー千寿流ね。良い名前だ。で、お前、この子に見覚えある?」
そうロニーが言うと、全身を上から水を被ったようなびしょびしょに濡らした千寿流と同じ狐耳の黒髪の少女が顔を覗かせる。服は上に大きなジャケットを被っただけでそれ以外は何も纏っていなかった。恐らくこのロニーという男の物だろう。
もしかしてあの水性の魔獣に囚われていた一人だろうか?かなり衰弱してしまっているように思えた。
「俺はよしとけって言ったんだけどねえ。どうしてもって聞かなくてね。一言で良い、返事してあげてくれないかな?」
少女がふらつく足で一歩踏み出す。
「千寿、流ちゃん。ごめ、ん。こんな再会、で。……へへっ。助けて、くれて、ありがと、う」
「え、えっと、うん。けど、助けたのはあたしじゃなくてその人が」
「いい、の。ここまで、来てくれた、だけで。嬉しい……から」
少女は苦しそうに、だけど、嬉しさを訴えかけるような表情で言葉を絞り出す。
あたしの名前を知っている。けど、あたしには見覚えが無かった。
「あの、あなたは、その。誰なの?」
その瞬間、世界が凍り付く。空気が罅割れたように感じた。
罅を入れたのは細く長い糸。それは触れてはいけない琴線。
押し寄せるのは、それを無遠慮に踏み躙ってしまったような、そんな罪悪感。
「ん、何よ?もういいのかな?」
少女は黙ったまま踵を返す。
「ん、じゃあ、まあ今度は本当に本当のさようなら」
そう言うと片手を振りながらロニーたちはそのまま来た道を戻って行った。
「……」
クラマちゃんを攫い苦しめた、それだけではなく、多くの女性を監禁し、死亡者すらも出していたと思われる魔獣は、今日初めて会った誰とも知らない人物にあっさりと消されてしまったのだ。
そして謎の少女。
あたしを知っていた?
けど、あの時会ったフードの子とも違う。
悲しそうな顔。落胆した顔。絶望に打ちひしがれた顔。
あたしは、怖かったのかもしれない。
あの子が紡ぐ言葉の、その先が。




