理壊の刃
「うぁあぁああぁっ!」
吹き飛ばされる。背中を強かに打ち付ける。不安定な体勢から放たれた一撃は致命傷になることはなかったとしても、相手を苛立たせるだけの効果は十分にあったみたいだ。
背中を摩りながら身を起こす。魔獣はクラマちゃんとシャルちゃんに目もくれず、あたしの方へとまっすぐ、ゆっくりと歩いてくる。
それを見て少し安心した。
あの魔獣があたしのことを無視してそのまま二人に攻撃を仕掛けていたら、きっと二人は助からないだろうから。
何とか助けることができた。そう思った。
だから、今度はあたしの番。
(起き上がらなきゃ、ダメだ。逃げなきゃ、ダメだ!)
何処に?
そんなの決まってる。あの魔獣がいないところにだ。
夜深ちゃんが今あのお兄ちゃんを助けてくれている。もうそろそろ動けるぐらいには回復したのかな。
(なら、あたしのことも助けてほしいけど。けど、まだ無理なんだよね)
魔獣はその間もゆっくりと近づいてくる。
傘を右手で拾いあげ、杖の様に支えにして何とか立ち上がる。けど、その場で自分の身体を支えられなくなり、なんとか倒れないように岩壁に背を預ける。
____走って逃げろ?
そんなの無理。
____転がってでも逃げろ?
無理だよ。無理無理無理無理無理。
だって、立つのがやっと。きっと、ふらつく足は少し押されでもしたらたちまち転がってしまうだろう。
今の攻撃で全身が焼けるように痛くて熱い。熱湯風呂なんて生温い。血管に鉛を流し込まれたような、重く熱い激痛。呼吸をするだけで肺が軋み、立っているだけで意識が飛びそうだ――痛い。逃げたい。もう眠ってしまいたい。
逃げ出したい。
逃げ出したい。
逃げ出したい。逃げ出したい。逃げ出したい。逃げ出したい。逃げ出したい。逃げ出したい。
(――違うっ!そうじゃないっ!)
逃げ出したい――のは本当のことだけど、違う。立ったんだ。あたしの意思でこの場に立ってる。
クラマちゃんがさっき立ち上がったのだっておんなじ理由のはずだ。あんなに血が溢れ出しているのに、あたしたちを庇うために、痛む身体に鞭を打って無理やり立ち上がったんだ。
なら、あたしが感じている今の痛みなんて蚊に刺されたようなものだ。こんなの痛くもなんともない。
けれど、気持ちは戦えても、このちっぽけな身体じゃ出来ることなんてたかが知れている。もう傘を振り切る元気なんてない。たぶん弾かれてあたしの方が吹っ飛ばされてしまうだろう。
じゃあ、あの魔獣に弱点は無いだろうか?あたしたち人間だって叩かれて痛いところとあんまり痛くないところがある。そこを上手く突ければ怯ませることぐらいは出来るんじゃあないだろうか。
ダメで元々、やれるだけやろう。
もう一度、魔獣を観察してみる。
身長はあたしより大きい。シャルちゃんより大きく、クラマちゃんより大きく、夜深ちゃんよりも大きいだろう。
あたしの倍はあるかもしれない。だから、二メートルと五十センチぐらいだろうか?
腕も太い。太くて長い。もう少しで地面についてしまいそうなぐらいに長い。前に見たムキムキのプロレスラーばっかが出てくる漫画の登場人物みたいだ。実際にいたらこんな感じになるのか。なるほど怖すぎる。
たぶん、あたしが攻撃してもビクともしないだろう。
上半身も多分無理だ。先ほど渾身の思いを込めて振り下ろした一撃は、腕に阻まれることもなく止まってしまったのだ。背中で無理だったのだから、筋骨隆々の腹側は当然それより硬いと思った。
じゃあ、下半身。足はどうだろうか。
当然あたしの何倍も太さはあるが、腕の筋肉に比べると遥かに密度が低いのは一目瞭然だ。腕に攻撃をするぐらいなら足、脛辺りに攻撃を加えたほうがいいかもしれない。
それでいいのかな?答えのない問いをあたしはあたしに投げかける。
魔獣はさらにあたしに向かって歩を進める。表情こそ分からないが、そんなあたしを馬鹿だと罵る様に魔獣が口元を歪ませた様な気がした。
大きな音を鳴らし地に跡をつけ迫りくるソレは、まるであたしへ死刑執行の時刻を刻む針のように思えた。
“千寿流ちゃん。この先魔獣との戦闘から逃れられない場面もあると思います。魔獣は未知数。無理でもまずは逃げ切れる道を模索してください。それでも無理な時は距離を常に保ってください。攻撃範囲からの離脱を一番に考えるんです”
これは藤沢市にいた時にクラマちゃんから言われた言葉だった。
当たり前だけど、あたしの腕の長さは魔獣より短い。さっき攻撃が成功したのは魔獣があたしの方を見ていなかったからに過ぎない。
今、真正面、お互いがお互いを認識している中、あたしと魔獣が同時に攻撃を打ち合ったのなら、あたしは何も出来ずに殴殺されてしまうんだろう。
(ならっ!)
傘の取っ手を持ち、思い切り振りかぶり、そのまま勢いに任せて前方に投げ飛ばしてやった。
傘は水平方向にくるくると回りながら、魔獣の胸元に向かって情けない軌道を描いて飛んでいく。
しかし、投げるのが早すぎたのか、魔獣のもとに届く前に回転を落とし始める。全身の痛みもあり、今の千寿流の拙い筋力ではこれが限界だった。
魔獣は避けない。避ける素振りすら見せない。それはきっと先ほどの千寿流の一撃が全く手ごたえが無かったからだろう。
それが功を奏してか、千寿流の攻撃は魔獣のちょうど心臓に当たる部分に直撃する。
「グゥウゥゥウゥゥゥッ!?!?」
満身創痍の状態で我武者羅に放った出来の悪い投擲。窮地に追い込まれた状況において、それはお世辞にも賢い選択とはいえないだろう。
しかし、魔獣は自身に起こった変化に信じられないという様子で、声をあげて当惑するのだった。




