近衛家
「で、どこ行ってたんだ? 連絡も寄こさねえってのはどうなんだよ、おい」
「えっと、ごめん、パパ。その、えっと……忘れちゃってた」
「忘れるって……まあ、いいけどよ、無事なら。今は学校も休暇中だからな、家で燻ぶってるよりはいい」
西暦二二一六年九月。度重なる環境の変化により、世界のリズムはとうに崩れ去った。温暖化による水面の上昇、ノア暴動による惑星の異動。他にも要因は様々ある。
英雄変革に伴い、魔獣の繁忙期である四月から七月に掛かる夏季の休暇は無くなり、代わりに九月十月が秋季休暇として定められるようになった。
とはいっても先の植物の魔獣の出現の様に居なくなるというわけではない。あくまで遭遇の確率が大幅に減少するだけだ。
そんな危険な世界ではあるが、秋久は子供なんだから未知を探求しろ、冒険はするべきだ。と千寿流には比較的自由にさせている。
その一番の理由がシャルの存在だった。
先にも述べた通り、シャルの本名は『シャルルージュ・クレッセン』。その名に三日月を冠する三日月館の主である。
三日月館の主というのは名ばかりのお飾りではない。地域一帯を取り仕切る立場であり、彼女の異能 夢抄『Night Teller』は夢を具現化する能力を持つ。
ここでの夢の定義は睡眠時における自称の感覚に留まらず、夢想、妄想問わず、思い描いた物全てを具現化することが出来る。
大きすぎる夢想は自我の崩壊につながる恐れがあるものの、望むなら数時間で世界を掌握することが出来る。有り体に言って規格外の能力である。
その為、戒めの意を込めて普段から異能を行使しないように細心の注意を心掛けている。出来ないことは出来ない。それが世界にとって正しい形だからである。
とはいっても、人として生活する以上、最低限の欲は彼女も持ち合わせている。要するに“安全な暮らしを送る”“友人に降りかかる危険を取り除きたい”といったもの。
だからシャルの周り、その友人の周りには基本的に魔獣を含む想定外の脅威は現れない。要するに車のひき逃げに遭ったり、病気にかかる事も無いというわけだ。
これは彼女の意志というよりは、彼女が元々有している大きすぎる力が無意識下で溢流する部分が大きい。
そういった背景をシャル本人から聞き、理解しているからこそ、秋久は千寿流を自由にさせている。
しかし、現に魔獣は現れ、千寿流は生命の危機に遭遇した。富士野の助けが入らなければ千寿流は命を落としていただろう。
これは魔獣側がシャルの異能に適応したのではなく、シャル本人に異変が起きたからである。
早い話が精神の幼児退行により、異能が正常に機能しなくなったのだ。
「ん、クラマを探しにか。クラマはしっかりしたヤツだが、まあ心配ではあるな。俺も手伝ってやりたいところだが俺にはコレがあるからな。シャル、任せてもいいか?」
そう言いながら秋久は、親指でポールハンガーに掛けられたフローリストケースを申し訳なさそうに指差す。
仕事があるからこの場から離れることができない、社会人特有の悩みの種があった。
結果、彼がシャルの存在を訝しげに思う事は無かった。
どうやら、シャルの異能には周りの人間への認識の齟齬は無意識下で自動的に修正される機能があるようで、秋久のように普段からそこまで接触していない人間に対しては、記憶が都合良く改竄されているようだった。
かといって明らかな変化は制御の範疇外だ。
例えるならシャルの異能は風船のようなものだと考えるとわかり易いかもしれない。
性格や口調、年齢など、多少の認識のズレが現実と云う風船を押し込んでも、その形を変えて修正してくれるが、とある人物が消失したり、地形や過去が変わったりなどの、大きすぎるズレに関しての自動修正は不可能というわけだ。文字通り風船が割れてしまう。
「うん! シャルルにまかせておけば だいじょうぶ!」
快活な笑顔で胸を張るシャル。その笑顔には一点の曇りもない、純粋にして心からの表情。
――ガチャり
「ん、ああ、千尋のやつ、帰ってきたのか」
「ん?」
「千寿流、シャル。お前ら千尋を迎えに行ってやってくれないか。驚かせてやれ」
「う、うん! わかった!」
大丈夫、顔が出てこないけど今聴いた名前には聞き覚えがある。
いや、自分の母親なんだから当たり前ではあるのだが、“知っているのに知らない”そんな矛盾めいた感情を抱きながら玄関に向かうのだった。
「ただいま、秋ひ……」
「えひひ、おかえり、ママ! シャルちゃんもいるんだよ!」
「ちひろ! おかえり!」
瞬間、千尋は手に持った買い物かごをぼそりと地面に落とす。
「千寿流っ、シャルちゃんっ! わたし、心配でっ! 電話にも出てくれないし、何かあったのかなって」
ぎゅっと二人を抱きしめる。
「だから言ったろ、千寿流なら大丈夫だって。なんたって俺らの子だからな。世界一、いや宇宙一美人で賢くなってくれるってな話よ」
「秋久さんだって、心配だーって言って何日も一日中探し回った時もあったでしょっ!」
「ば、バカっ! 千寿流の前で言うなっ! つか、んな事してたか俺? お前の勘違いじゃないか?」
顔を真っ赤にして否定する秋久だったが、誰が見ても照れ隠しであることは明白で、その日の団欒の肴にされるのだった。
「タマゴ、割れちゃってるね……」
「何やってんだ、お前は。あー、店が閉まる前にひとっ走り俺が買いに行ってやるよ」
照れ隠しか、買い物かごをひったくる様にして抱えると玄関へと向かう。
「ごめんね、秋久さん。あ、夜道、気をつけてね」
「バカ、俺は千寿流じゃねえ」
その後も、この異常な事態に誰一人気付くことなく、その日はシャルを交え、家族揃っての雑魚寝で床に就くことになった。
翌日、ぼさぼさの髪をまとめ、顔を洗い歯磨きをし、朝食を済ませた後。
「もう出かけるの、千寿流? デザート食べていかない?」
「ごめんママ。シャルちゃんもう行っちゃったみたいだから追いかけなきゃ!」
「そっか。じゃあ、これ持って行って! クレープに保冷剤!」
千寿流はクレープの入った袋を受け取るとエアポケにしまい込む。
「えひひ、ありがと、ママ! クラマちゃん見つけたら帰ってくるから! ちょっとだけ言ってくるね!」
背伸びをしたくなる年頃。お姉ちゃんになれた自分。友だちを探すための少しだけの冒険。そのつもりだった。
しかし、旅は過酷を極めることとなる。思いもよらない数奇な冒険になるとは、この時は誰も知る由はなかった。




