メノウズ・その6
「な、ドアホッ!! 怪我したらどないすんねん!? こいつ、人は噛まんよう教え込んどるゆうても、はずみで噛まれるかもしれんのやで!!」
「いえ、噛んでほしいんです! 今……私達に出せるものなんて、コレしかないのですから」
「そ、そない言うたって……ほれみぃ、ベロも困っとるやろ」
「ぐるぅに゛ゃ……」
ガオルが顎を下げ、彼の胸に張り付いたトラの頭を指す。
そこに引っ付いている野性を忘れた温厚な動物は、困ったように耳を垂らし、口を全開にしていた。
眼だけはジッとガオルに向けられており、どうにかしてくれと訴えている。
人肉の味を知らないであろう飼いならされたトラだが、こうも口内にモノを入れたままにしていると、本能からか唾液が溢れて止まらない。
必死に隠そうとはしているが、ジャリジャリと棘のある舌がクラヤミの腕を舐め回していた。
鋭く尖った刃が触る、人間がソーセージを噛み切るのと同じくらい容易にこの腕も破くことが出来るはずである。
「お願いします、ベロちゃん……お友達が、いえ此処にいるみんなの命が掛かっているんです……」
「無茶やて! 加減を間違うたらなぁ、そんな棒っ切れ、そのまま口千切られてまうんやぞ!? あのタコの腕を思いだしてみい!」
「それは嫌ですが……迷っている場合ではないんです。 それに、私は少しくらいの傷ならすぐに治りますから。 さぁ、ベロちゃん……!!」
「がぅ……ンガォ!!」
「だあぁ、おいベロ!! ドアホ、お前!! 人様の腕を!?」
「ッ……………!!」
燃えるような激しい痛みが奔ったのか、クラヤミはうんと苦悶したようにギュッと目を瞑る。
唇は一文字に絞られ、歯が欠けそうなくらい喰いしばって我慢しているはず。
それでも、このトラはほんの少しだけ歯を入れるに留めてくれた。
頭の良い子であるし、愛されて一度天寿を迎えただけはあり、なんとか理性を保ち続けてくれたのだろう。
しかし、クラヤミの腕からはだくだくと血が洪水のように流れ落ち、床を真っ赤に染めていく。
一目見ただけで、傷の入り場所が悪かったのだと分かる。
動脈を傷つけたに違いない。
「こ、これで……いいんです。 ありがとうございます、ベロちゃん……」
「ぐぅぅ……に゛ゃぅ」
トラの剥製は、ゴメンと言いたげに彼女の腕を舐め、泣きそうなほどに眼をすぼめる。
動物にもこれほど表情があるのかと、誰もが驚くことだろう。
「ヒェッ、血、血がヤバいことなっとるで!?」
「むしろ都合が良いです……これでインクの代わりになるでしょう」
そう呟いて、クラヤミは自身から零れていく赤色を両手に塗りたくる。
ただでさえ血色の悪く色白い彼女であるが、今は一段と絵に描いたように真っ白なキャンパスとなっていた。
血が流れ過ぎているのである。
棺の中に眠る遺体への死に化粧のように真っ赤な鮮血を握り締め、クラヤミはマダコのもとへと駆けだした。
「ぎにゃぁぁ!? 今度は流血事件にゃ!?」
「ぴっ……!!」
「にゃぁっ!? タイコが卒倒しちゃったにゃす!!」
「ええい、余計な足手まといを増やすなっちゅうに、やかましいギャラリーやな!!」
「クク、まさかあそこまで思い切りの良い女だったとはな……」
ギャァギャァと騒ぎ立てる一団から一歩離れ、ネクロが興味深そうにクラヤミの一挙手一投足を観察していた。
彼女の見立てでは、子供ばかりのこの集団ではもはや打開することも出来ず、泣きつくだろうと踏んでいたのだ。
ところが状況が一変したため、懐から取り出そうとしていた怪しげな道具を仕舞い込む。
「だぁもう、こないなアホどもの相手してる場合ちゃうやろ、ワイ!! クラヤミ、待っとれ……こうなったらヤケや、加勢するでぇ!!」
「にゃにゃ!? う、ウチもやったるにゃす!! ちょっとこの子を見ててにゃ!」
「む……? フン、勝手にしろ」
血を見て気絶したタイコをネクロへと押し付けると、ガオルとガッポリは床の血だまりに掌を滑らせて後を追う。
たっぷりと血を吸った彼らの手が、絵筆のようにぽたぽたと雫を落とす。
勇気を出した者に続くその姿が、ネクロにはよほど奇異に映ったのだろう。
少しキョトンと眼を丸くしたまま、流れに飲まれていた。
気が付けば、自分にもたれかかる金髪の少女を流されるまま抱きかかえている始末。
それでも、嫌とは言わずに生徒達の奮闘を眺めることを選んだらしい。
「まぁ、みなさん……!!」
「覚悟せぇよ、今度はワイらでも掴めるんやからな!!」
「ふにゃー! ウチのマダコを返せにゃ!!」
「わ、わ……! すっご~い! どんどん剥がれていくよ!!」
奇しくもマダコが用意した腕と同じ6本分の腕が集い、マダコを引きずる『手形』を払いのけていく。
べったりと手を濡らす血は、墨よりも長持ちするのか、あっという間に彼女を救い出してくれた。
ありがとうと礼を言いつつマダコが立ち上がる。
ところが、今度はクラヤミの方がふらりと倒れてしまった。
「ちょ、おい! 大丈夫かクラヤミ!?」
「う……マダコさん、耳を……」
「ひゃぁ、な、なに……?」
貧血で身体に力が入らないらしいクラヤミが、か細い声で少女を呼びつける。
その薄れゆく意識を限界まで酷使し、彼女はなんとか最後の言葉をマダコへ耳打ちして託していった。
「わ、わかった! 任せて!! タコちゃん、墨は出なくてもアタシ達にはアレがあるよ! それっ!」
「にゃにゃっ!? マダコの身体が、見えなくなっていくにゃ!!」
続きます。




