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メノウズ・その4

 包帯に拘束されたクラヤミが窓の反対にまで離れる。

 その距離に応じて、彼女の身体を触っていた絵の具のような『手形』が軌跡(きせき)のように床へとぼとぼと落ちていた。


 それはまるで、クラヤミに置いて行かれるかのよう。

 寂しそうに、物足りなそうに、床の上でまごまごと(うご)いている。


 これで彼女は怪異から自由になれるはずだった。


 しかし、依然として苦しそうに(うめ)きながら髪を振り乱しだく。


「め、うぅ、ンンン!! ムグゥゥゥ!!」


「お、おいネクロ! こいつどないなっとんねん!? 余計に苦しそうやないか!!」


「『魅入られた』か、あるいは『魅入った』のか。 どちらにせよ……身体ではなく、心がいくらか繋がっているのだ。 そうそう断ち切れるわけがなかろう」


「つまりあれか!? あのキモい目ん玉を見過ぎて狂っとるっちゅうことか!?」


「アイコンタクト……異形のモノと意思を交わすなど、並みの()()には耐えられぬのさ」


「ドアホォ!! それが分かっとるなら、なんでさっさと助けなかったんや!!」


「なぁに……この女が、ただの()()ならそのまま果てるまで。 我はそれを確かめる必要があるからな」


「ケッ! こない血も涙も無いヤツに任せておけへん!! クラヤミ、こっちや!!」


 ガオルは軽蔑した眼でネクロに言葉を吐き捨て飛び出していく。


 助走をつけて跳び上がると、宙吊りになったクラヤミにしがみついて、包帯を掻き分けながら彼女を取り出そうと奮闘し始めた。


「無駄だと言ったはずであろう。 それを解いて、貴様に何ができる」


「分からんけど、ともかく連れて逃げるんや!」


「何処へだ? まさか、終わりの無いこの廻廊(かいろう)をか……クックック」


「じゃかぁしい!! やってみんと分からんやろが!!」


「しかしそれは貴様の道理。 ヤツは『聞く耳』を持たんだろう。 なにしろ、『眼』しかないのだからな」


「なんやと?」


 ネクロの声で手を止めると、ガオルはジリジリと焼け付くような視線を背中へ感じてることに気が付く。

 むしろ、焦げていたという表現が正しいかもしれない。


「あっちちち、ひぃ、ワイの一張羅(いっちょうら)が!!」


 服の熱が肌に届くまでラグがあったらしい。

 ようやく異常な熱量を身に受けて仰け反ると、うっかり掴まっていた手を放してしまい床へと転がる。


 背中から落ちてそのままゴロゴロと押し付けると、なんとか火が上がる前に煙を鎮めることが出来た。

 危うく、生きたまま火達磨(ひだるま)になるところだっただろう。


「ゼェ、ゼェ、ぎりセーフやな……」


 安堵(あんど)の息を洩らすガオルだが、仰向けになったことで視界が広がり、窓へ映る『眼玉の怪異』を見てしまう。


 すると、頭の中へ声が響き、ズキズキと両目が疼き出す。


『ミテ、ミテ、ミテ……』


「ぐぁ!? 眼が……!!」


 慌てて両手で押さえるが、ガオルの痛みはまるで引かない。

 目を閉じていても、影法師(かげぼうし)のように、(まぶた)の裏へとあの怪異が映り込んでいた。


 目を離すことは出来ず、強制的に見つめ合うことになる。


 ぐるぐる、紅白に積層した歪な瞳が渦を描き、やがてその渦の中心へと身体が()()()いくような感覚に陥ってしまう。


「っつぅ……これがクラヤミにも見えとるっちゅうことか!! あがぁ!!」


 少しでも気を緩めれば自分の中のナニカが消えてしまう、そんな悪い予感が止まらず、歯を食いしばって耐え凌ぐ。


 だが、そんな彼の身体に、ドンと重いナニカが重なっていく。

 一つ二つどころではない、全身を舐めるようにいくつもの力が加わっていくのだ。


 それが両腕にまで来ると、彼の視界は急激に光に包まれる。


「んなっ!? 腕が……コイツら、さっきクラヤミから落ちたヤツらか!!」


 抵抗しようにも、まるで何人もの人間がのしかかっているかのようにビクともしない。


 全身を押さえつけられ、床へと固定されてしまっている。

 もはや布一枚も下に噛ませる隙間はないだろう。


「はぁ……愚か者め。 いくら我とて、貴様までは面倒見切れんぞ」


「ぐぅぅ……スマン、クラヤミ……ワイじゃ手も脚も出んかった……」


 べとべと、と張り付いて来る薄っぺらい『手形』達。

 それが顔にまで差し掛かると、器用に瞼を引っ張り、無理矢理ガオルの目をかっぴらく。


「んぎっ!?」


『ミテ、モット、モット……』


 今度は影法師など比ではないくらい鮮明な怪異の姿を目にしてしまう。

 目が合ってしまった、アイコンタクトを取ってしまった。


 それは意思を交わすというにはあまりにも荒々しく、一方的で、侵略するように流れ込んで来る。

 同時に、自分の中のナニカが染み出していくような気がしていた。


 少年の眼は一瞬にして乾き、ヒリつく痛みで溢れ出す涙さえも(うるお)いを与える暇すらない。


 火はついていないが、ハッキリ燃えていると錯覚してしまうほどに、今の彼の目頭は熱く火照っていた。

 内側から外側まで、干からびるのも時間の問題だろう。


「ア゛ァァァ!! 死ぬ!! 死んでまう!! 視ないでくれぇぇ!!」


「まぁ、死ぬだろうな。 貴様は間違いなく普通の()()なのだから」


 全身から、ジュウと沸騰するような音がガオルの耳へと届き出す。

 視界は水蒸気のような白い煙が蔓延(まんえん)し、赤く光る怪異の眼玉を強調させていた。


 死ぬまでに絶対聞きたくないであろう、自分の焦がされる音の中。

 べとべと、といつか聞いた不審な水音が入って来る。


 それはやがてテンポを上げ、走っているということに気が付いた。


「な、なんや!? 誰でもええ! 助けてくれぇ!!」

続きます。

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