テケテケ・その6(挿絵)
扉を閉めているその後ろ姿は完全に油断そのもの。
呼び掛けた声にも反応しない辺り、かなりどんくさい先生のようだ。
いつも口煩くピリピリとしたヤガミンとは、まるで正反対だと感じてしまう。
あっちの場合は、少しでも変な気を起こそうものなら、反撃覚悟のリスクがあるのだ。
そうなってくると、シメシメとター坊の口もニヤケて来る。
このドンクサさならば、上手くコミュニケーションが取れるというもの。
少しでも気を引きたい年頃のター坊にとって、またとないチャンスが訪れたことになる。
そのまま察知されるより前に素早く接近し、女教師のロングスカートへと手を掛けた。
「せんせー! 今日は何パンツ~…………へ?」
怒られてもいいから構ってほしい、日頃からそんな悪戯をしているター坊にとって、これは挨拶代わりのようなもの。
子供だからご愛嬌と許されることもあるため、当分は治りそうもないだろう。
だが、捲り上がったスカートの内側、まず目に飛び込んだのは、脚というには細すぎる棒のような両脚。
骨ばって青筋が浮いており、まるで腕のような、枯れ木のような不気味なアンバランスさを感じさせた。
そして、目線を上げていくと、下着があるはずの場所にはもう一つの頭が生えていた。
鋭く血走り吊り上がった目が合い、あまりに信じられない光景で、ぐわんと眩暈が頭を揺らす。
本来、下半身があるべき場所に、逆さになった上半身がまた繋がっている。
そんな奇妙で恐ろしいモノがスカートに隠されていたのだ。
「あら、アナタ……見えるのね」
「あら、アナタ……見ちゃったのね」
女教師が振り返り、背の低いター坊を見下ろしていた。
同時に、背の低いター坊は、下の頭ともバッチリ眼と眼が合っていた。
そして上の頭と下の頭が同時に喋りかけてきたのだ。
まったく同じ声がステレオに響き、頭がおかしくなりそうになる。
おまけに少年の目は上に下にと交互に動かすが、どちらに目を泳がせても視線の逃げ場はありそうにない。
正気とは思えない、ギラついて血管の浮き出た瞳が、値踏みするようにコチラを睨みつけているのだ。
「ひ、ひぃぃぃぃ!?」
たまらず情けない声が腹の底から漏れ出してきて、一度は堪えた涙がまた溢れて来る。
この人はいったい何なのか。
むしろ、人であるかさえ疑わしい。
まるで時が止まったかのように、ター坊と二つ頭の女性が長く見つめ合っている気がしていた。
しかし、やがてふわりとスカートが垂れて、下の視界を遮ってくれた。
ようやくター坊も正気を取り戻し、脚に目一杯力を入れて踵を返す。
ここにいては、この人の目の前にいてはダメだと、頭の中で警鐘が鳴り響いていたのだから。
そんな泡を喰って慌てふためくター坊をよそに、二つ頭の女性は顔を近づけるように、ゆっくりと腰を折る。
「げぇぇ!! 寄るなッ、あっちいけよ!!」
不気味に嗤うその顔がヌウッと目の前まで迫ると、生臭い吐息が顔にかかり、どんどんと腰をお落とすと、ついに女は四つん這いのような姿勢になっていく。
丁度、ター坊と同じくらいの目線であり、せっかく遮られた下の頭の代わりといわんばかりだった。
その四つの腕で地を這う姿が、まるで野犬のような人外じみた雰囲気をさらに助長させている。
それだけではない、本来お尻があるべき場所がグッと持ち上がり、蠍の尾のようにもう一つの頭が首を捻じって睨んできたのだ。
「ねぇ、アナタ……顔が一つ足りないんじゃない?」
「ねぇ、アナタ……顔を一つ足さなきゃね」
「要らない要らない! オレは間に合ってるってぇ!!」
何を言ってるんだと、耳を疑うような言葉を浴びせて来る。
スカートの下にあった頭の方など、ター坊の股に何も無いことが、心底不服そうに目を鋭く釣り上げていた。
あぁこれは話合っても仕方ないと直感したため、一目散に来た道へと走り出す。
先程から誰も見当たらないこの廊下では、咄嗟に助けを求める相手もおらず、ともかくこの女から離れなければと一心不乱に身体が動いたのだ。
「やべぇ、やべぇ、やべぇよ、やべぇぇぇ!!!」
脚の速さには大人にだって負けない自信がある。
それだというのに、自分の後ろからは犬のような駆け足が、すぐそこにまで迫っているとハッキリ分かる。
ペタペタッ、ペタペタッ、と四肢を使った人間離れした足音。
時折、ガリガリ爪で地面を掻くような鋭い音まで届いており、もしも捕まれば……その後のことは考えたくもなかった。
なんにしても、もはや振り返っている暇などない、アイツが執拗に追って来ているのだ。
何度も角を曲がっては振り切ろうと駆け続けるが、一向に出口や逃げ込めそうな教室が見えてこない。
さっきまで大根と駆けまわっていた時は、確かにまだあったはずだ。
クラヤミと会った時だってそう。
いつからこんなオカシな世界になってしまったのか。
オカシイと気が付いているのだが、一瞬でも足を止めれば、すぐにでも捕まってしまうだろう。
だが、ター坊の脚は僅かにだが力が減って来ており、ぜぇぜぇと息を切らしていた。
スピードはあっても、小柄でスタミナの無い未成熟な身体では、いくらも全力は続かないのだ。
「はひ、うひぃぃ、もう勘弁してくれぇ! なんで扉が一つも無いんだよォ……って、アレ!?」
ター坊の視線の先には、動かなくなったはずのダイコンランがのっそりと起き上がっている所であった。
「アイツ、危ないからって自分だけ死んだフリしてたのかよクソッ!! まてよ、アイツがいるってことは、もう一周したってことか……じゃぁ出口は何処にも無いってことぉ!? ウソだろォォォ!!!」
ここまで逃げる道中に、分かれ道も扉も階段も無く、ループしているという事実。
つまり、ター坊がバケモノに捕まるまで、一生この悪夢のような鬼ごっこは続くのだ。
その絶望的な現実を直視してしまい、少年は廊下に響き渡るほどの泣き声を上げるのであった。
続きます。




