メノウズ・その1(挿絵)
フワフワと宙に浮く、愛用のカメラ。
脚こそ生える不思議な代物ではあるが、空を飛べたことなど一度も無い。
まさかと思い、下へと落ちる影を見る。
時間帯もあって薄暗いが、その微かな光を反射させ目を引く。
こちらを向く子供の濡れた足跡、それが一歩づつ後退している様を点々と描いていたのだ。
「これは……!? 噂の『べとべとさん』……!!」
「やっぱり、おったんやな!! クッソ、接近を気付けんかった!!」
「返してくださいッ……! その子がいないと、私達は……!!」
肩に重みを感じながらも、クラヤミは懸命に腕を伸ばす。
しかし、いくら大人ほどの背丈がある彼女でも、何歩も離れたカメラへは届かない。
虚しく空を掻き、あともう少しという距離を保って焦らされる。
まるで、クラヤミ達の反応を窺っているような意地悪さだ。
「ええい、まどろっこしい! ネクロ! お前、手ぇ空いとるやろ! 取り返せや!」
「フム……いや、止めておこう。 まだ我の出る幕ではない」
「はぁ!? なに血迷ったこと抜かしとんねん!! 自分は自由に戻れるからて、余裕こいとる場合とちゃうで!?」
「あぁ……!! ガオルさんどうしましょう……カメラが、カゲンブさんが行ってしまいます!!」
クラヤミの声は廊下の奥へと投げられる。
その方向へ全員が目を向けると、既に黒いカメラがどこまでも続く無限廻廊へと消えていくところであった。
動画で見知った通り、とても人間の脚で追い付けるような速度ではない。
ましてや、震える人間がタコのようにしがみ付いている状態では、まず無理というもの。
視界から消えるカメラを惜しみ、クラヤミが悔しそうに呻る。
「あぁ、そんな……」
「落ち込んどる暇はないで! ともかく追うしかないやろ!」
「ですが……なぜ、あの子だけを持って逃げたのでしょう? 目的がまるで分かりません……」
「悩むのは後やっちゅうに! ほれ、お前らも泣いとらんで歩けや!!」
「クク、本当に考えなくてよいのか? お前らは『獲物』として誘き出されたのだぞ?」
「バケモノの考えなんてしるかアホ!」
「ガオルさん、落ち着きましょう」
クラヤミは、静かに怒りを込めた低い声で、ガオルの口元に人差し指を当てる。
少し黙っていろと、暗に指摘しているのだ。
彼女の滅多に出さない怒気の感情へ面食らったのか、ガオルも急に借りて来た猫のように冷静さを取り戻す。
それを確認すると、クラヤミは目線だけでネクロを指し、言葉を続ける。
「彼女がここまでヒントを出すなんて珍しい……というよりも、おかしいと思いませんか」
「……そういやぁ、そうやな。 なに聞いてもはぐらかすクセに、さっきからやけに口を挟みよる」
「ほう? そっちの女、少しは取り乱すかと思ったが、存外に物事を判断出来るよようだな」
「ほんなら、他にヒントはないんか?」
「フン……」
ガオルが問いただすが、今度は沈黙し口を閉ざす。
答えだけを求めるような態度は、お気に召さないらしい。
相変わらずの高飛車ぶりにゲンナリすると、口論を避けるためにクラヤミへと目線を配り後を促した。
「アカン、頼んだわ」
「ネクロさん……このマヨイガッコウは、本当にあの『べとべとさん』が作り出したモノでしょうか?」
「ククク、我が知ったことか。 だが……あの動画では、このような風景が見えていたか?」
「なかった……ですね」
記憶の中の映像を思い起こす。
しかし、いくら見返しても、あの現場は普通の校舎でしかなかったはずだ。
部室でガオルとクラヤミが二人も揃い、目を皿にして調べていたのだから間違いない。
「なんや? つまり何が言いたいねん、お前」
「ガオルさん、もしかしたらですが……私達は、もっと恐ろしいモノに狙われていたのかもしれません」
「はぁ? なんで恐ろしいって分かるんや。 まるで見たように言うやんけ……あん?」
窘められてシュンとしていたガオルが、不思議そうに顔を上げる。
意味深な発言をするクラヤミを目に留めると、彼女の目元が笑っていた。
新聞部として長い付き合いのガオルには分かる。
これは、ろくでもない怪談話を見つけたときの歓喜の笑みなのだと。
理解した途端に、かつてないほどの悪寒が背筋を奔る。
「ま、まさか……!!」
思わず口をついでた声、そして誰に言われずとも大きく振り返った。
見られている、その痛いほどの視線が、背中に突き刺さっていたからだ。
「そうです、見えているんです……!! いえ、私達はずっと……見られていたんですよ!!」
「な、なんやこれぇぇぇぇ!?」
彼が目にしたのは、窓に映る『巨大な眼玉』。
瞼は無く、剥き出しのそれ。
まるで茹で卵を半切りにしたような姿をしていた。
しかし、瞳だけは異様であり、メノウのような白と赤の多重積層がゆらゆらと歪な円を重ねている。
色を付けた玉葱の断面とでも言えばいいだろうか。
その揺らぎが、見ているものを惹きつけ、吸い込まれてしまいそうになる。
言葉が詰まり、見惚れていると、やがてソレは脳内に直接響くような不思議な声を放った。
『ミィツケタ』




