ベトベトサン・その7(挿絵)
小さな画面に映し出されたのは、どこかの動画配信サイトに残された録画らしきもの。
放課後の夕暮れを通り越し、もはや薄暗さで青みがかった学校の景色が目に付いた。
撮影者がカメラを持って歩いているせいか、歩く度に画面が揺れて、妙に生々しいリアリティを感じさせてくる。
まるで、自分もその寂しい廊下を歩いているような錯覚をするほどに。
だからこそ、緊張した撮影者の呼吸に釣られて、見ている者まで息を荒げてしまっていた。
「ハァ……ハァ……何でにゃ、誰もいないはずなのに……」
その声は震え切っており、軽い気持ちで踏み入れたことを深く後悔する色が透けている。
少し歩いたところで、画面は何かを探すように右へ左へと大きく振れた。
しかし、廊下の前も後ろ、映っているのはシンと静まり返った空間のみ。
「こ、こんなことなら、誰か連れてくるんだったにゃす……こここ、怖くなんてにゃいけど、見張りは一人で十分だったよにゃぁ……ひぃっ!?」
突然、カメラは後方へ振り返る。
やはり何もない廊下が延々と続いているだけなのだが、何故か撮影者の動悸は激しくなりゼェゼェと苦しそうな呼吸音を拾っていた。
ところが、カメラのマイクは聞き慣れない奇妙な音まで拾いだす。
べと、べと、べと、と生肉をまな板へ落としたような水音。
ずる、ずる、ずる、と死体でも引きずっているのではと思わせる擦り音。
そして、徐々にそれが大きく、ハッキリと聞こえてくるのを確認出来た。
「き、来てる……!! こっちに来てるにゃよ……!!」
撮影者にも見えてはいないようだが、『音』だけは聞こえているらしい。
音の方角から、見えないナニカの存在を察知し、必死に眼で捉えようとカメラを回す。
どれだけ探しても、一向に見つからない音の正体。
それが至近距離にまで近付いた時、急に音が鳴り止み、廊下は再び孤独な無音が支配していた。
「にゃ……?」
カメラは一瞬、安堵したように下を向く。
しかし、かえってそれが見てはいけないモノを見てしまう切っ掛けとなってしまった。
なぜなら、画面の中央には、びっしょりと濡れた人間の足跡が映っていたのだから。
いなくなったのではない、ナニカは撮影者を品定めするように、肌の触れ合う位の至近距離でじっとりと凝視していたのだ。
撮影者もそれに気が付いたようで、少し遅れて悲鳴を漏らす。
そして一目散に反対側の廊下へと走り出した。
「ぎにゃぁぁぁ!! 何アレ!? 何アレ!? 何アレェェェ!?」
バタバタとおぼつかない足取りで階段まで駆け抜けていく。
画面が激しく揺れ動き、何度も何度も後ろを振り返っては、執拗に足跡を確認していた。
撮影者が恐れていた通り、やはり距離を取れば取るだけ足跡が追って来る。
べとべとべと、と気味の悪い音も早回しで聞こえており、明確に意思を感じさせた。
そして、その異様な執着心が、追われている者の恐怖をかき立てる。
「ヤバイ、ヤバイ、ヤバイにゃぁ!! これ、マジもんが来ちゃってるにゃす!?」
階段の手すりへもたれかかると、身体を預けたまま滑るようにして駆け降りていく。
流れていく景色からも、相当な速さであることは窺えた。
しかし、後ろから聞こえて来る水音は、むしろどんどんと近付くばかり。
人知を超えた移動速度で追跡しているらしい。
もはやどうにもならないと悟ったのだろう、撮影者はすぐに階段を離れ、何階かも分からない廊下へ躍り出た。
「も、もうダメにゃ!! ぜひゅ、ひぃ……」
腰を抜かしたように視点は低くなり、這うようにして画面は進む。
そのままクラスの展示物を飾る長机の下へと潜り込み、ガタガタと震える手が画面を揺らす。
そうこうしていると、あっという間に追い付いて来た足音が目の前で止まった。
びちゃり、とプールから上がったばかりのような水溜りが広がり、それはゆっくりと足跡の形で固まっていく。
脚大きさは子供くらい、そして、脚の向きは隠れていた撮影者の方を向いている。
見られているのだ、観察されているのだ、カメラを握るこの人間を。
「にゃひぃぃ……ごご、ごめんにゃさぃ……もう勝手に侵入しないから、許してくださいにゃぁ! なんでもしますからぁ……!!」
鼻水混じりの怯えた声は、命ばかりはお助けと懇願するばかりで身動きも取れない。
画面の端に映っている撮影者の脚には赤い痣が浮かんでおり、不可視の怪物に掴まれているせいだろう。
だが、やがて新しい足跡が現れ始め、水音は過ぎ去っていく。
べと、べと、べと、とまるで何事もなかったかのように学校の暗がりの中へと消えていった。
音をカメラで追っていた撮影者だが、ふと目の前にカメラを戻すと、足跡がどこにも見当たらない。
まるで、最初からそんなモノはいなかったと言わんばかり。
「い、行ったのにゃ……? う、グス、うわぁぁぁん!!」
張り詰めた緊張の糸が切れたのだろう。
カメラは音割れした鳴き声がキンキンと響き、やがて騒ぎを聞いて駆け付けた三馬鹿仲間がカメラを止めたところで動画が終わるのであった。
続きます。




