テケテケ・その5
クラヤミを置いて競争を始めたター坊とダイコンラン。
少年と大根、この小さな挑戦者たちは、奇しくも互角の勝負を繰り広げていた。
「うぉぉぉ! 伊勢海小学校代表として、オレは負けねぇぇぇ!!」
誰も選出などしていないのだが、背負うモノがあると勝負根性が盛り上がるのだろう。
勝手に『人間vs怪異』のドタバタ野良レースが校内で開催されていた。
ター坊が一歩リードすれば、ダイコンランが更に二歩前へ。
互いに脚自慢のプライドがぶつかり合い、絶対に前は譲るものかと、校舎をグルグル回っている。
とはいえ、ター坊が思い付きでテキトウに始めた物であり、特に終わりもゴールも定まっていない。
「ぜぇ、ぜぇ、なかなか、やるじゃねぇか……ぜひゅ……」
脚は早くとも小さな身体に詰まったスタミナはさほど多くは無く、ター坊が先に息を荒げて電池切れ。
トボトボと徐行で歩を緩めると、バタンと冷たい廊下に身を投げ出してクールダウンを図る。
いつもならここで、「廊下で寝ころぶんじゃありません」と教員達から叱咤の声が上がるものだが、今日の廊下は気味悪いくらいにシンと静まり返っていた。
「……うん? そういやぁ、なんか静かすぎるよな?」
元々、帰り支度をするクラスメイトたちへ、あのダイコンランを自慢するためにすっ飛んで来たのだ、他にも生徒の声がするはずだろう。
それでなくとも、下校時間の校舎の一階をこんなにグルグルと走り回って、誰ともすれ違った覚えがない。
だいいち、一周したのならば先程置いていったクラヤミと鉢合わせるはずだ。
足の遅い彼女が、すぐに移動できるとは考えにくいだろう。
ター坊がこの廊下に渦巻く異様な雰囲気に気が付くと、だんだんと背筋が冷たくなって鳥肌が立ち始める。
「お、おぉい! 誰かいねぇのか? せんせー? クラヤミー?」
廊下に反響するほど叫んでみても、まるで人気のある物音はしない。
耳鳴りがするんじゃないかという無音の中、ふいにトコトコと軽い音が近付いて来たので、ター坊は驚きながら身体を起こして身構える。
「わっ……って、なんだお前かよ」
併走相手が居なくなったことに気が付き、ダイコンランが戻って来ただけのようだった。
しかし、ター坊の目の前でコロンと身を固めて転げる。
「ひぇ、お前まで気味悪いことすんなよ! ちょっと怖かったじゃんか!」
ツンと指を触れて揺らしてみても、グラグラと白い身体が揺れるばかり。
そのまま魂が抜けた様に身動ぎ一つせず、本当にただの大根に戻ってしまったのはないかと心配になるほどに反応がない。
さっきまであんなに楽しく笑って走っていたのは、白昼夢だったとでもいうのか。
むしろター坊は、今この瞬間が悪夢であってほしいとさえ思っているだろう。
「なんだよ、なんか変だぞ……なんなんだよ、一体よぉ!」
いつもは元気な顔しか見せないター坊だが、その目尻には涙が浮かび始め、赤らんでいた頬からは血の気が失せていく。
冷たい廊下が、まるで彼の生気と勇気を熱と一緒に奪っているよう。
冷えた身体のせいか、あるいは怖気づいたせいか、自然と手先が震え、膝が笑い出す。
そんな今にも泣き叫びそうなその瞬間、ガラリと扉を引く音が耳へ届き、凍てついた心に火が灯った。
「なぁんだ、誰かいたのかよ! へへ、ちょっとブルっちまったじゃん!」
一人じゃない、それが分かっただけで、途端に身体の芯から体温を感じ始める。
ター坊は音の方へと視線をやると、後ろ姿しか見えないが、女性の教員らしき人が戸を閉めているところだった。
特に見覚えの無い相手ではあったが、ター坊にとってはどうでも良いことである。
なぜならば、伊勢海小学校は合併を繰り返したマンモス校であるため、見慣れない先生の一人や二人珍しくもないからだ。
そして寮生活をするター坊のような生徒にとって、女性教師はみんな母親のようなもの。
無条件で甘えたい存在なのである。
その上で初対面という事ならば、ター坊のやることはただ一つ。
彼なりのコミュニケーションで距離を縮めるに限る。
「せんせ~! オレ、寂しかったよ~!!」
動かなくなった大根をその場に残し、諸手を挙げて女教師のもとへと駆けだした。
続きます。




