ベトベトサン・その1(挿絵)
眩しいくらいの朝日が昇る。
空は子供たちを優しく見下ろし、陽光はキラキラと輝きを増していく。
その熱い視線を恨めしそうにしながら、クラヤミは日陰へ逃げ込み学校へ向かっていた。
日差しを遮る薄暗い霧が出ていた昨日とは異なり、運動もしていないのに軽く汗が玉を作る日射量。
ただでさえ朝が苦手な彼女にとって、この天候は下手をすれば貧血で倒れかねないだろう。
そんなフラフラとした足取りで歩いていると、ふいに後ろから声を掛けられた。
「おはよぉさん。 なんや、今日もダルそうやんけ」
「あぁ……おはようございます、ガオルさん」
振り返るとガオルの姿、しかしどこか物足りない。
心につっかえる違和感の正体、それは彼のトレードマークとも言える『トラ柄ジャケット』を着ていないからだろう。
代わりと言ってはなんだが、彼のシャツの胸のは虎の頭の剥製がドドンと鎮座している。
彼の顔を見て思い出すと、クラヤミはすぐに背負っていたカバンを下ろし、中からそのジャケットを取り出した。
幸い、カバンの荷物は少ないため、畳んでおいたそれは目立ったシワも見当たらず、失礼はないはずである。
「昨日はありがとうございました。 コチラ、お返しいたしますね」
「おっほぉ、これやこれ! ワイと言ったら、やっぱし、この一張羅着とかんと落ち着かんわ」
クラヤミの手からジャケットを受け取ると、ガオルはすぐさまバサッと大きく広げて空気を入れる。
そうして生地が膨らんだ着心地を楽しむように、ゆっくりと袖を通して満足そうに頷いていた。
ガオルの嬉しそうな顔を確認して一安心すると、クラヤミは少し視線を落として彼の胸元を注視する。
まだまだ眠そうに欠伸をしている虎の剥製、それが重い瞼を落としながらクラヤミを見つめ返す。
「ふふ……そういえば、その子も一緒に登校するんですね」
「せやで。 あの後なぁ、オカマ先生に事情説明しに行っとったんや。 コレもファッションや、認めてくれ言うたら、あっさりゴーサイン出してくれよってな」
「まぁ……! あの先生、器が大きいというか……すごいですね、やっぱり……」
「ホンマにな。 それよか、クラヤミ! ビッグニュースや! 今日は転入生が来るで!」
「本当ですか……!? 随分と耳が早いですね……?」
「ガッハッハ!! せやろ、せやろ! まぁ、ホンマに耳のおかげなんやけどな」
ひとしきり自慢げに鼻を擦ると、彼は剥製の『ベロちゃん』の耳を指す。
「このトラ公の……いや、ベロの耳がしっかり聞いたんや、間違いないで」
「ガゥン?」
突然自分の名前を呼ばれて興味を示したのか、ベロちゃんは不思議そうに鳴き声を発していた。
声の主を見上げようと浮いた虎の顎、そこへガオルが指を滑らせると、白いシャツからベリっと剥がす。
そして、そのままマスクのように自分の頭へスッポリと被って見せた。
そこには、昨日現れた虎男の姿が再び。
唯一違うのは、すぐにカポリとマスクを取り外せたことだろうか。
「あれから取り外しか利くようになってな、便利なもんやで。 これで学校中に仕掛けた剥製達から情報聞き放題っちゅうわけや」
「ははぁ、なるほど。 では、職員室にも一つ飾って来た、という訳ですね」
「へっへっへ、察しがええやんけ、そういうこっちゃ。 分かっとるやろが、他言無用のトップシークレット、同じ新聞書いとるよしみでネタバラシしたんやで」
「心配なさらなくとも、大人は剥製が見聞きできるなんて信じませんよ」
「ガッハッハ! そりゃそうや! せやけど、子供の戯れ言てナメられとるからこそ、剥製をバラ撒けたんや。 そこは感謝せんとな」
大事な商売道具だと撫でながら、ガオルは胸元にベロちゃんを戻す。
すると、突然後方からチンドン騒ぎが聞こえて来た。
風に乗って耳に届く音、その中には、かしましい女子グループの声に加えて笛や太鼓の音色まで混じっている。
平日だというのにお祭り騒ぎのような賑やかさで、嫌でも注意を惹かれるだろう。
「まぁまぁ、なんでしょう?」
「来た……喧しいからすぐ分かったで……隣のクラスの三馬鹿共や」
「三馬鹿……ですか?」
言葉の意味を噛み砕いて考えていると、すぐに答えの方からやって来た。
曲がり角を勢い良く飛び出して来る、焼き魚を咥えた猫耳カチューシャの少女。
その後ろからスマホを構えて追いかける、茹蛸みたいに赤い髪が目立つ女の子。
そして、マーチング服のまま電電太鼓とホイッスルを掻き鳴らす金髪ガールの三人である。
「ぐぬぬ……これで連続10コーナー目の失敗にゃ!! 全然イケメンとぶつからないんにゃが!?」
「あっ! ねぇねぇ! あそこの男の子は?」
「却下!! あんなの全然イケメンとはほど遠いにゃす!! ていうか、胸に虎って……プププー! ダッサ過ぎて論外にゃ」
「なんやてコラ!! 喧嘩売っとんのかワレ!!」
いきなり現れた少女の一人が、猛烈にガオルの容姿を批判する。
白昼堂々と貶されたことにブチ切れた彼は、今にも取っ組み合いしてやろうとばかりに腕を捲って近付いていく。
そんな一触即発の二人の間に割って入り、金髪の子がスポーツの審判みたいに笛を鳴らした。
「ピピィィ!!」
「タイちゃんの言う通りだよ! 登校時間までまだあるし、次行こうよ、次!」
「そうだったにゃ! こんなのに構ってる暇はないのにゃす!!」
それだけ言い捨てると、三人の少女は嵐のように去って行った。
こういったやり取りに慣れているのか、やたらと手際良いチームプレーで走っている。
「ちょ、待てぇい!! こっちは言われ損やないかい!!」
「な、なんだったんでしょう……? あら?」
既に後ろ姿しか見えない三人娘の一人、赤い髪の女の子に目が留まる。
登校中のため、当然ながら皆ランドセルを背負っているはずなのだが、その子だけ違ったように見えたのだ。
まるで生きているように脈動し、ぬめりとした異質な表面。
それは、深海に棲む『タコ』のよう。
「えっ!?」
思わず目を疑うが、再度確認しようと思った頃には、その子たちの姿はもう見当たらなかった。




