テケテケ・その4(挿絵)
キシキシと緑の葉を揺らしながら、勝手気ままの独りでに動くオバケ大根。
そんなものを見たものだから、ター坊は大口をあんぐり開いて目を剥き、すとんと腰を抜かして尻を地面へと打ち付ける。
植物が生き物のように動くわけが無い、そんな常識、小学生なら誰だって知っている。
だがしかし、まさに少年の目の前では、今まで学校で習って来た常識をひっくり返す大事件が起きていたのである。
まるで夢でも見ているんじゃないかと疑うくらいリアルな造形、作り物やホログラムなんかじゃない、間違いなく本物なのだと肌で感じる。
そんな、この世界にとっての非常識が、我が物顔で花壇を占領しており、ひょっとしたら異世界から迷い込んだのではないかと思う程の異質だった。
「……ハッ!? てことは、コイツが『逢魔時計』から出て来た怪異ってヤツなのか!?」
驚きでフリーズしていた思考が動き出すと、『クラスの話題』と『オバケ大根』が一本の線で結び付く。
途端にター坊の眼の色が変わり、キラキラと目を輝かせて憧れの眼差しを送りだした。
とても耳に聞いていたような怖ろしさは感じないが、ともかく摩訶不思議なことには間違いないのだ。
これで、彼がクラスで一番最初に怪異を見つけたと自慢できるだろう。
一方、動く大根の方は人間をまるで気にもせずに水を浴び、それが空っぽになるとジョウロを放り捨てていた。
そうして満足するまで飲み干したからか、食後の運動だとばかりに埋まっていた身体を掘り起こして立ち上がる。
ふかふかの土の中に隠れていたのは、もう一本の腕と、さらに二本の立派な大根脚。
まるで人間のように四肢を持ち、人間のようにそれらを自由に動かせるらしく、顔は無いけれどまさに大根人間といえる。
その証拠に、夏休みの定番である準備運動を器用に行っているのだ。
「うぉっ! お前足まで付いてんのかよ!? もしかして、ジョウロの水も自分で汲んだのか? うおーすげー!!」
その言葉を聞いたからか、オバケ大根は自慢げに胴を反らして、クルンと巻いた黒髭を弄くる。
ター坊から興奮気味に誉め立てるのが満更でもないのだろう、紳士然とした振る舞いをしながらも嬉しそうなのが見て取れた。
「言葉まで分かるのか!? お前ほんとにスッゲーな!! そうだ、みんなにも見せてやらなきゃ!!」
幸いなことに、まだまだ放課後は始まったばかり。
今から教室へ戻れば、誰かしらは残っているだろう。
大根からの返事は無かったが、それを無言の肯定だと捉えたらしく、ター坊はニンマリと頬を上げる。
もっとも、言葉が通じるからといって、この大根に『鳴き声』があるわけではないで、いくら待っても返事は無いのだが。
「へへっ、そんじゃ行くぞ!」
しかしそうと決まれば、行動は早い。
ター坊はオバケ大根の葉っぱの根元をむんずと鷲掴み、バタバタと手脚を振るう大根のことなど気にせず走り出した。
一応、オバケ大根も白い手脚をバタバタ振って抵抗はしているのだが、如何せん短すぎて無力に等しい。
少年の手の中で、ぶらんぶらんと千切れそうな頭を揺らしていた。
「お~い、コレ見てくれよー! すっげーモン見つけたんだぜー!」
早く誰かに自慢したくて仕方ない、逸る気持ちがどんどん脚を動かし、あっという間に外履きを履き替えて廊下を進む。
中庭、部室棟と抜けていき、校舎へ繋がる曲がり角をドリフトしながら大きく外回り。
キュキュッと気持ちの良い音が廊下に鳴り、さぁ再加速で長い直線をトップスピードだ、というところでター坊の視界が急にブラックアウトする。
「わぶっ!?」
「きゃっ! だ、大丈夫ですか……?」
頭のずっと上の方から、女生徒のくぐもった声が聞こえて来る。
ター坊の顔がエアバックのように柔らかい布に包まれているせいだろうか、なんとも聞こえにくい。
「ふぁいふぉうふ(大丈夫)」
「あの……お尻に顔を埋めたまま喋らないでください……」
その言葉で、彼はようやく自分の置かれた状況を理解した。
ならばと頬を挟む柔らかいものに手を掛け、ぐいと一気に顔を引き剥がし、大人のように大きいその女生徒を仰ぎ見る。
小柄なター坊と並べば、倍ほどはある身長差。
そして猫背に曲げて見下ろす色白の顔に、つい昼頃も見た覚えがあるとター坊が気付く。
「ぶはっ! なんだクラヤミかよ。 おまえ、身体だけじゃなくてケツもでっけぇのな、おかげで助かったぜ」
「はぁ……あら、その手に持っているのは……?」
クラヤミは自分の尻が大きいと言われて、褒められてるんだかイジられてるんだか反応に困っていると、不自然なくらい奇妙な形の大根が目に留まる。
それはなんとも珍しい、人型に先割れした形。
普通ならば市販されるものではなく、自家栽培でもなければまずお目に掛からない代物だ。
そう思った矢先、その大根の枝分かれした四肢がグネグネと動きだしたので、彼女はたまらず声を上げる。
「まぁ! 生きてるんですか、コレ!?」
「へへ、どうだスゲーだろ! あ、丁度いいや! なぁなぁ、これって『逢魔時計』の中から出て来たヤツだよな!?」
「ええ、ええ、間違いないでしょう! 素晴らしい! これは大発見ですよ! 記事にさせてください!」
噂の真相を唯一見たという張本人へ確認を取ると、やはりこのオバケ大根は怪異の類で間違いないらしい。
大事そうに抱えていた黒いカメラで、オバケ大根を熱心に撮っている。
「おまえ、そんな大きな声出せたんだな……」
ター坊の記憶にあるクラヤミはいつも陰鬱な雰囲気を漂わせており、『クラヤミ』という愛称通りの暗く物静かな人柄だったはずだ。
ところが、怪異に気が付いた途端に目の色を変えて豹変し、彼女らしくない取り乱し方をするものだから面食らう。
その呆れた声で我に返ったのか、クラヤミはゴホンと咳を一つで誤魔化し、赤面しながら言葉を続けた。
「す、すみません、あれから私も色々探していたのでつい……それにしても、コレはマンドラゴラの一種なのでしょうか?」
「マン……なんて?」
「マンドラゴラ、古くは錬金術などに用いられたとされる『人間のような見た目の植物』です。 入手は非常に難しいですが、そのぶん魔法のような薬効を持つと言われます」
「へぇ~! おまえ喰えるのか」
「ただし、猛毒を持つとも言われていますから、無闇に口にしない方が良いかと……」
「うげ……それを早く言えよ! もう少しで齧りそうだったぞ!」
クラヤミがカメラから目を離すと、ター坊の大きく開いた口に入らんと必死に踏ん張るオバケ大根が目に付く。
最後の忠告が無ければ、危うく大参事になる所だっただろう。
それを申し訳なさそうにクラヤミが笑いながら、手元のカメラから吐き出された即席写真を差し出した。
「あ、この子の名前が浮かんで来ましたよ」
「名前? 写真撮っただけで、そんなことまで分かるのか?」
「このダイコンさんと同じく、特別なカメラですから。 それでえっと、名前は……『大根走』、だそうです。 マンドラゴラでは無かったようですね」
「ダイコンランかぁ、ランって走るのが得意ってことだよな? よっしゃぁ! オレとどっちが速いか競争しようぜー!」
そう言って、ター坊が握りしめていたダイコンランを廊下に放ると、たくましい二本の大根脚で綺麗に着地。
そのまま意気揚々と腿上げを始め、いつでも来いとばかりに身体を温めていた。
見た目は大根だというのに、不思議と余裕を感じさせる立ち振る舞い。
その小さな大根脚に、余程の自信があるのだろう。
しかしター坊だってこの学校では一番に脚が速いのだ、そんな素振りを見せられては余計に滾って来るというもの。
満面の笑みを浮かべると、嬉しそうにダイコンランの横へと並ぶ。
「ししし! なんだ、やる気満々じゃん! そんじゃ、よーいドン!」
「え、あの……記事のために、もう少しお聞きしたいことが……あぁ、行ってしまいました……」
クラヤミが制止しようと右手を挙げる頃には、既にワンパク少年たちの姿は無い。
今から追いかけようにも、運動音痴のクラヤミでは到底不可能。
仕方がないと、クラヤミは物足りなそうな顔で、しょんぼり肩を落とすのであった。
続きます。




