トラニナッタ・その1(挿絵)
廊下に佇むそのシルエットは、最初こそ人のモノだと思われた。
しかし、目を凝らし注視すると、それがとても人とは似ても似つかない外見であると判明する。
「げぇっ!? ゲット、また新しいバケモノだ!!」
「うわぁぁ!!! バケモノ……っていうか、ケモノ!? どどど、どうしようター坊!!」
二人の前に姿を現したのは、獣の頭に人の身体をつけた『人狼』のような異形の生物。
まさに取ってつけたような歪でアンバランスな頭の大きさは、バラバラになった身体を無理矢理繋ぎ合わせたようにしか見えず、なんとも不気味である。
身体の持ち主は顔が見当たらないために正体不明だが、体格からしてまだ子供であることもうかがえ、その親近感が余計にター坊達の恐怖を身近なモノにして浸透させていく。
「ぐ、グオ、ウォォォォ!!!」
猛獣頭のバケモノは、二人を眼にした途端、口の端を痙攣させたかと思えば高らかに咆哮を上げる。
廊下の窓がビンビンと共鳴し揺れるその音圧、その威圧、そして迫力が、僅かに余裕を持っていた子供たちの心根を完全にへし折ってしまう。
猛獣頭が口を閉じる頃には、臆病なゲットは勿論、無鉄砲なター坊でさえ腰を抜かして冷たい廊下に伏していた。
「どしぇぇ!? お、オレ達、喰われんのか……!?」
「ヒィィ!? ボクは美味しくない! ボクは美味しくない……!!」
ター坊の自慢の脚も、恐怖で膝が笑ってしまえば使い物にならない。
ゲットに至っては、頭を真っ白に染めて現実逃避している始末。
もはや皿の上に盛られたご馳走と変わりなく、動けない二人の元へゆっくりと猛獣の頭が近寄り、子供一人くらい難なく飲み込めそうなほど大きな顎を開いた。
「お前ら聞いてくれ! ワイはなんちゅうポカしてもうたんや……!!」
「はぁ……?」
「え、な、何……ナニコレ、ドウイウコト……?」
猛獣の口は、子供たちを襲うことは無く、むしろ人語を介して流暢に語り掛けて来る。
あまりにも予想外の事態に、腰を抜かしていた二人はポカンと呆気に取られていた。
だが、猛獣の方はそんなことも気にせず、唾を飲み込む間もなく次々言葉を吐き散らす。
「くぅぅ、ワイは自分が許せへん! 助けられそうやったのに、アイツを取られてもうた……!! 相棒見捨てるっちゅうんは、絶対やったらアカンのに……!! 新聞部の恥さらしや、こない情けない顔、誰にも見せられんて……!!」
「いや、顔……っていうか、頭っていうか……つか、誰だよコイツ……?」
「待ってター坊……この声は、ボクらの友達、ガオルじゃないかい!?」
虎の頭をした人間に心当たりは無いが、特徴的な喋り方と、聞き覚えのあるその声から、ゲットは身体の持ち主を特定した。
その言葉で落ち着いたター坊が見回すと、確かに見覚えのある身なりと背丈。
合点がいくと、彼も同意するようにウンウンと首を振る。
「そうだ! コイツ、ガオルじゃん!!」
「…………お前ら、頭大丈夫かいな? それ以外の何に見えんねん?」
「いやいやいや!! むしろガオルの方こそ、その頭どうしちゃったのさ!?」
「ワイの頭ぁ? なんのこっちゃ……」
虎の顔を持つバケモノは、心底不思議そうに眉をひそめて、おもむろに自分の顎へと両手を当てる。
真っ先に伝わる感触は、ゴワゴワとした固い毛。
小学生にたくましい髭が生えるわけもなく、耐えがたいほどの違和感が返って来たことだろう。
案の定、虎人間はくりくりとした丸い眼を剥いてさらに丸くし、あんぐりと大口を開くがままにして悲鳴を上げる。
「な、なんやねんコレぇぇぇ!? ワイの頭が……頭に何か付いとるやん!? ど、どうなっとんねん、なぁお前ら、ワイの頭どうなっとんねん!?」
「お、落ち着いてよガオル……」
「虎になってるぜ、ガオルの頭! それどうやって被ってんだ? 口の中まで本物みたいじゃん! すっげ~!!」
「トラァ!? せや、言われてみたら、トラ公もおらんし……こ、こりゃアカン予感が……」
今すぐにでも自分の現状を確認したいのか、ガオルと思われる少年がキョロキョロと周囲を探る。
すぐに窓へ反射する自分の身体を見つけ、一目散に駆け寄り顔を近づけていく。
ぶに、とピンク色の鼻っ面を密着させると、薄暗い外の色調も手助けしたのかクッキリと姿が浮び上がった。
「ンノォォ!? ホンマに虎になっとるやんけ!? クッソ、剥がれろ! ぐにににに……」
「えぇ……自分で気が付いていなかったのかい……?」
「へへ、面白そうじゃん! オレも手伝ってやるよ! オリャァァ!!」
「ア痛ダダダ!!! ドアホ! 生皮まで剥がす気か!! ワイは肌は絹のようにデリケートやねん!!」
「あっれぇ? マスクみたいなモンかと思ったけどよぉ、継ぎ目みたいなのが見当たんねぇぜコレ?」
「そんなまさか……ター坊、ボクにも見せてよ」
そそっかしいター坊が、見落としている可能性が高い。
慎重なゲットがダブルチェックを買って出て、ガオルのうなじを覗き込む。
すると、確かにター坊の言う通り、全く継ぎ目らしいものが見当たらない。
まるで生まれた時からこうでしたとばかりに、自然な生え際が顔を見せていた。
「どうや、ゲット? ター坊のアホにガツンと言ってやりい! ちゃんとここにありましたってな!!」
「が、ガオル……正直、その、言いにくいんだけどさ……」
「あん……?」
続きます。




