テケテケ・その2
新聞部の部室を飛び出したター坊はというと、既に部室棟を抜けて教室棟にまで飛び出していた。
短距離走ならば中学生にも負けないほどの俊足で、一度逃げたら彼を捕まえられる人は誰もいない。
その自慢の足を使って廊下を駆け回り、危うく衝突しそうになることも数えきれないヤンチャぶり。
今のところはまだ怪我人が出ていないものの、それも時間の問題のように思える。
見兼ねた女生徒の一人が、教室の戸をピシャリと苛立たし気に開くと、廊下の奥に見える彼へと向かって怒声を上げた。
「こらぁぁ! ター坊、廊下は走るなって、いつも言ってるじゃない!!」
彼女の怒りは、その乱れ髪からも察せられ、よほど頭にきているのだろう。
しかし、当の注意されたター坊はというと、露程にも気に留めずそのまま駆け寄って来る。
どうせ止められやしないと高をくくり、そのまま目の前を抜けるつもりなのだ。
そうはいくかと、女生徒も仁王立ちで立ちはだかる。
廊下とは言え、ここは小学校。
子供用の幅であるため、廊下の中央に陣取られては、右も左も手が届いてしまい逃げ場は無い。
「へへーん、ガミガミ煩い口だけで、このオレを止められると思うなよ!」
同学年の生徒と比べてもかなり背の低いター坊は、ただでさえ小柄な身体を低くするように、勢いよく頭から飛び込みヘッドスライディングで滑り込む。
すると、捕まえようと待ち構えていた女生徒の指が空を掻き、彼女はしてやられたとばかりに目を見開き動きが止まる。
そして、地面スレスレにまで頭を下げていたター坊がくるりと身を翻えして天井を向くと、彼の目には女生徒のスカートの内側がバッチリ映り込んでいた。
その瞬間、ニタリと笑う少年と、ハッと息を呑む女生徒の目が交差し、互いに次の行動を予見する。
「隙ありッ! 必殺、神風スーパーターボッ!!」
ター坊が大きく声を上げて腕を振り上げると、走って来た勢いと身を翻した回転による風圧が合わさり、風は全て上方向へと巻き上がる。
その凄まじい上昇気流は、軽い布一枚など簡単に押し上げてしまい、仁王立ちしていた女生徒のスカートは見事なまでに捲れてしまった。
「きゃぁぁ!! バカ! アホ! スケベ! サイテー!!」
「にっしし、スカート捲り大成功~! 堅物のくせに今日は可愛いウサちゃんパンツかよ、ぷぷぷ」
「あんたねぇ!! 今日という今日は、本ッ当に許さないんだからッ!!!」
火に油を注ぐような挑発を残すと、ター坊は再び廊下を全力で駆けていく。
目指すは人目の少ない裏庭方面。
残り少ない昼休みを使って、学校にやって来たというバケモノを探しに行くのだ。
口煩い追手を振り切り裏庭へ着いてみると、やはりこの時間では人影が全く無い。
しかし、だからこそ好機なのだと思ったのだろう、ター坊は藪から棒に辺りを探り出す。
「おーいバケモノ出てこーい! いないのかー?」
呼べど叫べど返事は無し。
服に葉っぱをくっ付けながら草むらを掻き分けてもみたが、藪蛇の一匹も見つからない。
「ちぇっ! オレが最初に見つけて自慢したかったのになぁ……」
皆が伊勢海通信で大騒ぎしているのを見て、次は自分もと張り切ってはみたものの、午後の予鈴が鳴り出したので結局手ぶらのまま戻ることに。
世の中はそんなに甘くないのだなと項垂れてトボトボ帰る途中、裏庭で栽培している菜園が目に入る。
「あっ、いっけねー! 今朝の水やり忘れてた! ジョウロ、ジョウロっと!」
クラスの授業の一環として、生き物を育てるというものがある。
ター坊達のクラスは植物を選び、どうせならと食べられる野菜を植えたのだ。
もっともその決定の理由は、主に男子が豚を飼って食べようなどと言い出し、女子が猛反発したからなのだが。
「あらよっと。 はぁ、めんどくせー。 起きるのが早いからってだけで、オレを水やり係にしやがってよぉ……」
自慢の脚なら、少しくらい寄り道しても先生より早く教室に戻れる自信がある。
とはいえ既に予鈴が鳴ったため、あまり時間も無いので大雑把に水を振り撒いた。
陽光を浴びてツヤの出て来た草木が水を弾き、気持ちの良さそうに葉を揺らしていく。
そうしてサワサワと葉っぱが動くと、その下に隠れていた見慣れない植物が目に付いた。
「お、なんだこりゃ? ン~、こんなもん植えたっけなぁ?」
目を凝らして観察すると、周りの青々とした野菜達とは異なり、まだまだ小さく芽生えたばかりの植物らしい。
その双葉の可愛らしいカイワレが、チョコンと顔を出している。
「まぁなんでもいいか! ほ~れほれ、いっぱい水飲んで大きくなれよ! オレもチビだからさ、お互い頑張ってデカくなろうぜ!」
小さくとも必死に生きようとするカイワレに共感を抱いたのだろう、ター坊はニコニコと嬉しそうに語り掛けた。
そしてジョウロが空になると、その辺からイイ感じの棒を拾ってきて、日陰を作っていた葉っぱをどけながら突き立てて、カイワレを見失わないようテントのような仕切りにする。
遮る障害が消え、太陽と水をふんだんに浴びたカイワレは、どこか感謝するように葉をそよがせていた気がした。
先程まではバケモノを見つけて注目の的になろうとしていたのに、今ではこの小さな植物の感謝だけで胸がいっぱいになる。
ター坊はこのまましばらくそのカイワレを見ていたかったのだが、校舎の方からガラっと窓を開ける音と共に怒声が降りて来た。
「こらぁ、ター坊ッ! もう授業始まるんだから戻って来なさい! 先生が待ってるでしょ!」
「げっ!? やっべー、また怒られるぅ!!」
あの口煩い女生徒がガミガミと怒鳴りつけると、雷に撃たれたようにター坊が跳ね上がり、ジョウロもほったらかしにしたまま教室へと駆けていった。
そうして菜園に残されたカイワレは、彼の背中をいつまでもジッと見つめるようにざわめくのであった。
続きます。




