アオテンジョウ・その4
四つ、八つと、ゲットを取り囲んでいくテルテル坊主の数は、視界を埋め尽くす勢いで加速度的に増えていく。
それぞれがビンと張った紐を震わせ、不気味に共鳴しながら彼を追い詰めるように声を浴びせかけていた。
四方八方囲まれ、そんな言葉を立て続けに頭の中へ叩き込まれると、さしものゲットもぐわんと視界が揺れて目が眩む。
まるでこの雑言で自分の脳を掻きまわされているような気分であった。
大人の言う二日酔いとはこんな感じなのだろうか。
恐怖でおかしくなったのか、ふとそんな疑問まで込み上げて来る。
「見ぃつけた、見ぃつけた、見ぃつけた」
「う、ぷ……も、もう止めてくれ……」
きっとそうやって、獲物を動けなくさせるのが狙いなのだろう。
もっとも、頭の端でそう理解しても、今の彼にはここから逃げ出す気力は削がれてどうにもならないのであるが。
「な、なんだ……幻覚まで見えて、来た……?」
霞む視界の中、まんまるいテルテル坊主へ混じる白い異物。
必死に手脚を振るい、それでも虚しく宙を回転する奇妙な大根の姿だ。
「え、ダイコン……? なんだ、夢か……そうだよね、こんなの全部夢なんだよね……ハハハ……」
なんと出来の悪い夢だろうか。
白昼夢とはいえ、こんな意味不明な幻を見ることになるとは。
彼がそう思った瞬間、バタバタと暴れていたダイコンの脚が、ゲットの鼻っ面を引っ叩く。
「痛いッ! ウソだろ、これ現実!? 触れるじゃないか!!」
赤くなった鼻を守るように、反射的に飛び出た両手が、ガッシリとそのダイコンを鷲掴んでいる。
触り心地は間違いなく普通の大根。
ただ違うのは、手脚と妙な髭があること、そして、全体が淡く光っていることだ。
「この光……あ、コイツにも綿埃が付いてる!!」
目を凝らして観察すると、ゲットに憑りついたフユウサギが、この大根の怪異にも憑りついていた。
それに気が付いた瞬間、ゲットは再び記憶が呼び起こされる。
午前中、ター坊があの時にカバンから見せようとしていたモノ、それはネコではなくこの大根走だったのだろうと。
大脱走したと聞いていたが、実際は地上ではなく空中に囚われていたらしい。
道理で見つからないわけである。
「そうか、お前がター坊の言ってた……こんなところで漂っていたんだね」
ポツリとター坊の名前を口にした途端、ダイコンランはピタリと抵抗を止めてゲットを見上げる。
その反応が、彼の言葉を肯定していた。
いくら脚があっても、地に脚着かなければどうにもならず、この怪異も困っていたのだろう。
主人の知人の手に渡り、どうやら気を許したらしい。
「そういえば……ター坊のやつ、コレを食べたら大変なことになるって何度も言っていたような……? いや、冷静に考えて手脚の生えた大根なんて食べないだろ……」
小さな友人の言葉を思い出し、苦笑いを浮かべるゲット。
その反応が不服だったのか、ダイコンランは自身の白い身体を指差し、半分に折るようジェスチャーを訴えて来る。
「は? え、いいから食べてみろってこと……? いや、ちょっとそれは……」
喋ることの無い怪異とそうやってコミュニケーションを取っていると、磨り減った彼の心がいくらか回復する。
グチャグチャになっていた思考も整い、随分と冷静さを取り戻せただろうか。
しかしそんな彼に、またも苦難が訪れる。
突然、掴まっていた梁がガクンと揺れたのだ。
「わ、なんだ!?」
どうせテルテル坊主は言葉を浴びせるだけで襲ってはこないと油断していたゲット。
ところが異変のあった梁をザっと見ていくと、そのテルテル坊主が梁に巻き付いているのが目に入る。
「ま、まさか……この梁ごとボクを飲み込みつもりなのか!?」
その不安の声が予言のようにピタリと当たり、ギリギリと鉄のひしゃげる耳障りな音が足元から響いていた。
始めから、この体育館に安全な場所などなかったのである。
「まままま、マズイよ!! どうしよう……!! このままじゃボク、喰われるのッ!?」
揺れる足場と共にガチガチと歯が鳴り共鳴する。
梁を引っ張るテルテル坊主のせいなのか、あるいは自分の臆病風がそうさせているのか、ブルブルと両手まで震えていた。
だが、その手に感じる堅い感触が、彼の思考へ鋭い電気のように奔る。
「喰われる……そうだ! むしろ食わせればいいんじゃないか!?」
手に納まるヘンテコな大根。
食べたらどうなるかまでは聞いていないが、恐らくろくでもないことになるのだけは間違いない。
「ゴメン、やっぱり半分もらうね!」
ならばと、ダイコンランに謝りつつ、その半身をボキリとへし折って握りしめる。
少し心配であったが、ダイコンランは上半身だけでも元気に動けるらしい。
無事を確認すると、遠慮なく脚の方を天井の大きな口へ目掛けて放り投げた。
「ええい、そんなに喰いたけりゃ、これでも喰らえ!!」
青空の向こうへ消えていく大根の欠片。
やがてそれが見えなくなると、天井の怪異は唇を紫色に変色させて悶え始める。
それに伴い、ゲットを取り囲んでいたテルテル坊主達もヒュンヒュンと音を立てて次々に引っ込んでいった。
「や、やったか……!?」
続きます。




