アオテンジョウ・その3
ゲットが天井に出現した巨大な口の怪異に気が付くと、すぐさま梁を盾にするように裏へ回る。
あまりの衝撃で腰を抜かした彼の四つん這いは、まるでゴキブリのような素早さを見せつけた。
彼の身体が、フユウサギ達の力で重力に引かれないからこそ出来る芸当だろう。
だが、相手が何をするかも分からない以上、このまま天地が逆転した状態を維持するしかない。
ガチガチと歯を鳴らして震える臆病者は、口の怪異から逃げることも出来ずに固まってしまった。
「ヒィィ!! ななな、なんだよアレ!? さっきまで無かったはずなのに!!」
梁の影からコッソリと顔を出して天井を見下ろすと、あの大きな口はモゴモゴと開閉しており、まるで何かを喋っているようにも見える。
しかし、言葉らしい言葉はまるで聞こえず、荒唐無稽で意味の分からない呟きの羅列ばかりが吐き出されていた。
「しゃ、喋ってる、のか……? 全然何言ってるかけど、き、気持ち悪い声だなぁ……」
それは人の真似をしているのか、あるいは独自の言語なのか。
一番近くで耳にしているゲットにですらまるで分からないが、どうしてだがとても気になってしまう。
怖いのであれば、耳を塞ぎ、見なければいいというのに。
それでも、疑似餌に惹かれる魚のように、その言葉に釣られそうになってしまうのだ。
だが、しばらく耳にして、彼は一つだけ理解した。
それは、目の前に相手しているのこの怪異は、絶対に相容れない相手だと言うことである。
「ど、どうしよう……目は無いようだけど、見つかってるよな、ボク……ここから離れたら、まさか食べられてしまうんじゃ……い、嫌だ!!」
どうすればいいのか八方塞がりのゲットは、ここでようやく地上のガオル達の声が耳に届く。
不思議と意識があの口の怪異に集中してしまうため、掻き消すような雑言の中から拾い上げるのに時間が掛かったのだ。
「……来い!! ゲット!! 聞こえとるんやろ!! はよ降りて来いっちゅうに!! ボールで気を引いたるわ!!」
「ガオル!! さっきは人の心が無いなんて言ったけど撤回だ!! やっぱり持つべきものは友達だよね!!」
振り返ると、地上ではボールを天井に向けて放り投げるガオルと、それを手伝うクラヤミの姿。
その勇気を奮った彼らの行いに、思わず涙が込み上げるゲットだが、グッと拳で拭うと決意を固める。
「よ、よし……怖いけど、い、行こう!!」
怖くて握り絞め過ぎたせいで冷たくなった指先を解すと、いよいよ地上へと帰還を試みる。
その瞬間、ゲットの目の端で、ボールがパッと消えるとが見えてしまった。
「……へ?」
「あ、こりゃアカンわ! ゲット、やっぱり降りるんやないで!! 止めや止め!!」
「え、え……!?」
ゲットが困惑していると、二つ目のボールが消え去った。
今度はしっかりと目に捉え、その全貌が明らかにする。
なんと、天井の口の中から垂れ下がるテルテル坊主が、物凄い勢いで覆いかぶさっていたのである。
その様子は、動物園で見たカメレオンやカエルなどが捕食する際に舌を伸ばす、あの狩りの姿に酷似していた。
「く、喰ってる……!! ボールを……!!」
頭の部分がぷっくりと膨れたテルテル坊主は、ギチギチとゴムを圧縮する気持ち悪い音を立て、やがてバチンと破裂させてしまう。
そのまま喰い零したように、悲惨な状態となったボロボロのボールだったモノが落ちていった。
目の前の衝撃的な光景に、ゲットの記憶がフラッシュバックする。
まるで今朝の渡り廊下で見た、あの悪戯のようであったのだから。
「ハッ!! まさか……こいつが、あれをやった正体……!?」
そして最悪なことに、動物と違って、あの口の怪異の舌であるテルテル坊主は一体に限らなかった。
まるでゲリラ豪雨のように、バタバタと大量に降り注ぎ、地上にいるガオル達へと襲い掛かっていくのである。
「ふ、二人共! 逃げて!! 今度こそ捕まったら危ないよ!!」
「うぉぉぉ!! 口だけの化け物やのに、やってることはエグ過ぎやろがい!! キビキビ走るんや、クラヤミぃ!!」
「ま、待ってください……走るのも苦手でして……」
どうやら梁の下は安全らしく、雨宿りするように梁の影を頼りにして、地上の二人は館内の端へと駆けていく。
友人の惨たらしい姿を見なくて済み、一先ずの安心を得たゲットだが、しかしこれで救援を望めなくなった。
そう安堵した彼の心臓は、目を上げた瞬間に、再び最高速で鼓動を脈打たせることになる。
「え……て、テルテル坊主……!?」
ちょうど梁の下あたり、ゲットが隠れていた高さでテルテル坊主の一つが停まっていた。
子供らしい絵心で描かれたグルグルの黒いクレヨンの瞳。
それがゲットをしっかりと見つめ、糸電話のように紐を震わせて声を放つ。
「見ぃつけた」
「うわぁぁぁ!?」
息を潜めることも頭から抜け、どうしようもなく情けない声が喉から飛び出す。
考えるよりも先に身体が動き、ゲットは梁の裏を大急ぎで伝っていく。
だが、彼を行く先々を先回りするようにテルテル坊主が降りてきて、彼の周囲を取り囲んでいた。
「見ぃつけた、見ぃつけた、見ぃつけた」
続きます。




