フユウサギ・その7
ガオルの言葉は聞こえていないのだろうが、それでも自分の身に起こっている異変には気が付いたのだろう。
彼は自然と、自分の両手、腕、そして身体全体と順に見渡していく。
そして、脚へ目をやる頃には、フワフワと地に足着かない、腰の浮くような感覚を自覚してしまう。
「う、浮いてるッ!? ボクの身体が……なんだよコレ!? う、くぅ、バランスが取れない……!!」
「ホンマやん!! お前、これアレやろ……そうピーターパンや!!」
ガオルの言葉通り、光に包まれ空中に浮かんでいく姿は、完全におとぎ話の世界である。
まるで魔法にかけられたような不思議で幻想的な光景に目を奪われてしまった。
だが、自分で制御出来ていないのか、クルクルとタコ焼きをひっくり返すように回り出し、その拍子にゲットとガオルの視線が交差する。
そこでようやく、意識を閉じていたゲットが正気に戻るのであった。
「ガオルいたの!? 助け……ひぃ、目が回る……!!」
まるで重力という枷が切れてしまったかのように、無重力に漂う飛行少年。
藁でも掴みたいのだろうが、取っ掛かりになりそうなモノが何も無く、虚しく手を振りながら頭を上に戻そうともがいていた。
「いや、さっきから声掛けとったやろがい! ちょい待ち、今止めて……って、あかんコレ触ってええんかな? ワイまでピカピカ浮いたらドツボやで……?」
もしも、この光のようなホコリが伝染するのであれば、ガオルが助けに入ったところで漂流者が増えるだけ。
ミイラ取りがミイラになるという最悪のケースも有り得るだろう。
リスクに鼻の利くガオルは、冷静にその手を止めた。
「そんなこと言わずに助けてくれよぉ! 友達だろう!?」
「分かっとるっちゅうねん! せや、ボールカゴ! あれなら掴まってられるやん!」
「それだ! それなりに重いし、イケるかも! ともかく急いでくれよ! このまま館内の方に流れたら天井まで行っちゃいそうなんだよぉ!!」
「誰かさんが上手なおかげでボールは積んだままやしな! ほんなら……お~い、クラヤミ! カゴや、カゴ持ってきい!!」
最初にゲットがボールを投げていた付近、体育館の中央にはクラヤミがいたはずだ。
今は上から吊り下がているテルテル坊主を激写している頃だろう。
頭の隅で、ガオルがそう試算しながら振り返る。
しかし、体育館には彼女の姿が見当たらず、シンとした冷たく湿った空気だけが満たされていた。
返事も無く、人の気配も無く、ただテルテル坊主が苦しそうにギイと微かに揺れるばかり。
「あのオカルトバカ、どこほっつき歩いとんねん、この緊急事態に!! もうええわ、ワイが取って来たる!!」
ゲットが小動物のような憐れみを誘う表情で見つめて来るものだから、居ても立ってもいられずガオルが走り出す。
館内の中央方面は相変わらずジメッとした厭な臭いが充満している。
さらには、まるで霜が降りた早朝のように、朝露のような水滴が床に零れ落ちていた。
テルテル坊主がいるというのに、まるで正反対な状況である。
むしろ、この状況だから晴天を願いテルテル坊主を吊るすということだろうか。
新聞部という職業柄、そんな細かいことまで気にしていると、気が付けばカゴに辿り着いていた。
「何個要んねやろ……ええい面倒や、二つもあれば足りるやろ!!」
両手でそれぞれカゴ掴むと、二つをくっ付けるように並べてズレないように押し込んで駆けていく。
スピードが乗って来るとキャスターがガラガラ悲鳴を上げるが、なんとかゲットが天井へ流される前に間に合った。
「ほれ、手ぇ届くかゲット?」
「ぐ、っとと、もう……ちょっと……掴めた!!」
ゲットが格子状のカゴに指を引っ掻けると、そのまま身体の方を引き寄せるようにグッと地上へ近付いていく。
その様子を一歩離れた位置から観察していたガオルだが、ボールカゴに今のところ異変が無さそうだと判断してゲットの身体を支えてやることに。
彼の服を恐る恐ると摘まんで、空中から引きずり降ろしていく。
「はぁ……はぁっ……!! ありがとう、もう大丈夫そうだ……!!」
「なんや変なモンに好かれたばっかりに、難儀なことやなぁ。 それにしても、その恰好……まるでセミかコアラやな! ガハハ!!」
「好きでこんな恰好晒してるんじゃないだよ!! 今でも手を放したら飛んでいくんだからね!?」
円柱型ボールカゴにガッシリと四肢を巻き付けるゲットの姿は、確かに間抜けにしか見えない。
それは本人も自覚しているようで、顔を真っ赤にして抗議する。
「その綿埃……えぇと、確か浮遊兎やったっけ? 剥がせないんか?」
「それはもう散々試したよ……名前なんてどうでもいいけど、こいつらプイプイ鳴くだけでちっとも離れないんだ……」
「そりゃ、参ったわなぁ……クラヤミのやつは、なんや知ってそうな素振りやったけど」
「あれ? そういえばクラヤミさんは……? ガオルしか見当たらないよね」
「ワイが聞きたいわ。 ホンマ、どこおんねんアイツ」
自分で移動できないゲットの代わりに、ガオルがカゴを押しながら体育館の中央付近へ移動する。
キャスターは相変わらずキィキィと煩いが、ゲットの体重が足されてるとは思えない程に軽い手応え。
彼は今もなお重力とは無縁な存在になっているのかもしれない。
続きます。




