フユウサギ・その6(挿絵)
兎の形をした綿埃。
そんなオカルト好きのクラヤミが興味を引くはずの対象に目もくれず、彼女は体育館の中心へと小走りで駆けていく。
ガオルがその行く先を視線で追うと、天井の梁からナニカおかしなモノが吊り下がっていた。
「うぉっ!? なんやあれ……? ヒト……ちゃうな、テルテル坊主やろか……?」
一瞬、首を吊った人間のように見えて心臓が跳ね上がる。
しかし再度観察すると、それは梁に乗っていた白い塊の正体であると判明した。
だが、テルテル坊主というには、晴れやかで上向きな顔付とは程遠く、陰鬱で俯きがちに頭を垂れている。
これではとても晴れを呼べるとは思えない縁起の悪さだ。
ところが、その表情に描かれているのは満面の笑み。
無理して作っているかのように不自然な組み合わせは、どこか後ろ暗いものを感じさせて気味が悪い。
「うぅ……なんか無性に臭うで……ヤバいんちゃうか、アレ」
先程の綿埃はただただホコリっぽいだけだった。
しかし、今クラヤミが向かっている方向からは、鼻の利くガオルの鼻腔に厭な湿っぽさでくすぐって来るのである。
「おい、クラヤミ! 帰ってきい! まずはゲットや! あっち助けんで!! ええか、絶対にそんなモン触んやなや!!」
ココが大阪なら盛大なフリになるだろうが、伊勢海市なのだし大丈夫だろうと釘を刺す。
もっとも、クラヤミの耳には届いているはずだが、聞いているかは定かではない。
このままグズグズしていてはゲットの身も危険であり、使い物にならないクラヤミはそのまま放っておいて、ガオルは逃げていった少年を追いかけた。
体育館を端まで脱兎の如く走り続けたゲットは、目の前にあるはずの扉が消えていることに気が付き、絶望の声を絞り出す。
「ヒィィ!! ウソだろ、もう行き止まり!?」
フワフワと掴みどころのない距離感で追いかけて来る浮遊兎。
付かず離れず、ゲットをどうしたいのか、敵意も友好的な面も見えてこない。
しかし、そんなことは逃げているゲットには関係なく、『自分を追っている』という明確な事実だけが恐怖を駆り立てていた。
そして、もうこれ以上の逃げ場がないという追い詰められた緊迫感も彼を焦らす。
「クソッ、無い無い無いッ! どうなっているだ!! 入って来るときはここに扉があったはずなのに!!」
ドン、と肩から体当たりのように突き破ろうと試みるが、まるで最初から扉などなかったとばかりに堅いコンクリートの感触が骨を軋ませた。
「痛ッ……くぅ……夢じゃ、ないのか……どうなってるんだよ、コレ……!?」
何もかもが分からないことばかり立て続けに巻き起こり、彼の頭には混乱の波が渦巻いている。
緊張が張り詰めすぎて、キンキンを耳鳴りが止まず、彼の精神を容赦なくすり減らしているようだった。
伏し目でいると、ふと気が付けばハラリと髪の毛が一本、ゲットの手の甲へ落ちて来る。
恐怖で青ざめた肌よりも更に白く、まるで雪のように透き通った髪の毛。
誰のものかと疑問に思ったが、ワックスで磨かれた床に映る自分の姿でハッとする。
なんと、ゲットの垢抜けた茶髪が、恐怖の余り真っ白に染まっていたのだ。
それはもう、野兎の換毛のように隅々まで。
「うわぁ!? 最悪だ、もうたくさんだ! なんでボクばかりこんな目に合わなくちゃならないんだよ!!」
こんな悪夢、もう見たくはない。
そんな意思表示をするように、彼は額に当てたバンダナをズリ降ろして目隠しにする。
周りの全てが嫌になり、自分の殻に閉じこもって逃避しようとしているのだ。
それが何の解決にもならないと知りながら。
「ふっ、グス、誰か……誰でもいい、助けてくれよぉ……ううぅ……」
身体を丸め、目を閉ざし、泣き言を吐き出す彼の姿は、クラス中の衆目を集める格好良いゲットの面影は無い。
それは惨めで、情けなく、まるで頼りにならない小さな男の子の姿。
いつもの彼が思い描く理想の自分は、無理して作り出していたハリボテ。
実際のゲットは、こうした臆病で意気地の無くどうしようもない少年なのだ。
そんな彼の元へ、ふんわりと漂う浮遊兎達が追い付いてしまう。
もちろんバンダナで目と耳を閉ざしたゲットには、知る由もないわけだが。
しかし、五感を制限した分、他の感覚は自然と研ぎ澄まされており、首筋にサワサワと触れるパフのような感触がハッキリと感じられてしまった。
「ヒィやぁ!? 喰われるッ!!」
無視することも徹底できない根性無し。
すぐさまゲットは、首元を守るようにバンダナをさらに下げて跳ね上がる。
そのまま纏わりつく綿埃達をバタバタと払い、ありもしない扉を幻視して壁に縋りついて乱暴に叩き出す。
「開けてくれよ! ここから出してよ! このままじゃ、このままじゃボクは……!!」
涙で曇った両目には真実が視えず、コンクリートの荒い肌で擦り切れた拳も構わない。
この明らかな錯乱状態の異常な彼の様子には、心配して追いかけて来たガオルも目を剥いてしまう。
「おい、どうしたんやゲット!? それ壁やんか……大事な手が台無しになるて、それ以上やめぇって!!」
もはや現実の声が耳に届かないのか、ゲットは一向に叩くのを止めようとしない。
みかねたガオルが、彼の腕を掴んで止めよう手を伸ばす。
ところが、その手はゲットに触れる途中で止めて、引っ込めてしまった。
ゲットの身体に、一目でわかるほどの異変が起きていたからである。
「おわ、なんや!? ゲット、お前……なんか光っとるで!?」
ゲットを包み込むように、淡い光がほんのりと輝いており、よく見れば彼の身体にはあの綿埃達が付着していた。




