カミカミサマ・その1
「んっ……」
徐々に元の黒髪へと戻っていく怪異。
それが一通り治まると、倒れていたヤガミンが呻き声を微かに上げた。
「ヤガミン? おい、気が付いたのか!?」
「あぁ、怪異が引っ込んでしまいました……」
「このオカルトバカ! 今はそれどころじゃねぇだろ!」
「あ、すみません……そうですよね、写真も撮れましたし……」
「だから、そうじゃねぇよ……」
ヤガミンを心配するター坊に小突かれながらも、クラヤミは懲りずにジジジ音を立てて印刷するカメラに目を奪われていた。
これは使い物にならないと判断したのだろう、少年はクラヤミに見切りをつけてヤガミンの側へ駆け寄っていく。
髪に近付くのはまだ怖いため、椅子を倒れた彼女の頭に跨がせ足場を作る。
そのまま、椅子の上から手を伸ばし、床に伏した彼女の頬をペシペシと優しく叩きだした。
「よっこらしょっと、おい、お~い、もう正気に戻ったか? なぁ、よぉ」
「……んの……」
「え、なんて?」
「こんのぉ……いつまでも叩かないでよ!!」
混濁する意識の中、ヤガミンは鬱陶しいハエがたかっているような不快感を覚え、苛立ちを募らせる。
そして、溜まりに溜まったストレスが爆発し、勢いよく起き上がろうとした。
ところが、彼女の頭上にはター坊が座る椅子の天板。
ゴチンと鈍い音を立てて、少年の腰が浮き上ほどの強い衝撃が彼女の目覚めを出迎えた。
「痛ったぁい!? あぁもう、なんなのよ一体……」
「おぉ~ヤガミンだ! この怒りっぽさは間違いねぇ!」
「なんですって……!?」
減らず口でノンデリカシーなター坊の一言が癪に障り、ヤガミンがギロリと切り裂くほどに鋭利な眼光を光らせる。
途端にヒュッと息を呑んで彼が押し黙ると、鯉のように口をパクパクとさせながらヤガミンを指した。
「もう、今度は何よ? まだ変な悪戯しようってなら、勘弁しないからね!」
「ち、違うって! いいから落ち着け、それ以上は怒るなよ!!」
「あのねぇ、誰が怒らせてると思ってるのよ!?」
下手な指図は逆効果、ヤガミンの感情を逆撫でてより一層のストレスを加速させていく。
ここでいつもならば、『堪忍袋の緒』と裏で囁かれる彼女のシニヨンの紐がブチ切れるところだろう。
しかし、今は髪が解けてバラけている。
ヤガミンの怒りを受け止める依り代が無く、彼女の怒りをそのまま反映するように髪がワッと逆立ち鬼のような怒髪天を見せた。
だが、それだけでは終わらなかった。
彼女の頭に、再びゴロゴロと獣の唸り声のようなものが響き出したのである。
「な、なに!? また変な音がするんだけど!? 夢じゃなかったの!?」
「ぎゃぁ!! せっかく大人しくなったのに、また目覚めちまったじゃん!!」
「ウソでしょ!? これ、私の髪の毛なの!?」
一時は沈静化していた髪の怪異、しかし宿主の怒りに呼応して再び獰猛な歯を剥き、周囲に威嚇を放っている。
ところが、先ほどのようにヤガミンを操ってまで噛みつこうとはしないらしい。
まるで番犬のように彼女の襟元でじっと睨みを利かせている。
かといって、現状が変わるわけでもない。
その場にいた全員が凍り付いたようにその場で固まっていると、カメラへ夢中になっていたクラヤミが口を開いた。
「おそらく、もうその子に害はないでしょう。 『カゲンブ』さんが正体を捉えてくれましたよ、ほら」
「なんだよ、カゲンブって?」
「あぁ、このオバケカメラに名前を付けたんです。 玄武に似たカメラですから」
そう言うと、カメのような四つ脚を生やした黒いピラミッド型の怪異と、その怪異が排泄した即席写真の二つを差し出す。
カゲンブと呼ばれた一つ眼のヘンテコなカメは、ヤガミンの真似をしているのかストラップ紐のようなヘビを胴に絡ませ、髪の怪とバチバチに睨み合っている。
こうして見ると、確かに玄武のように見えなくもないが、首がないので威厳はまるで無い。
そして、写真の方を注視すると、髪に囚われたター坊と怪異が写っている。
それだけではなく、写真のフレームを縁取る余白には、『守神様』と印字してあった。
「マモリガミサマ……? それが、コレの名前だって言うの? とてもそんな風には見えないけど……」
「だよなぁ、どっちかっていうと疫病神だぜ」
写真を一瞥したター坊とヤガミンは、まさかという表情で互いに顔を見合わせる。
この暴れん坊は、どう見繕ってもそんな生優しいモノではないはずなのだから。
しかし、二人の反応を否定するようにクラヤミが頭を横に振ると、話の続きを語り出す。
「まず、これは『カミカミサマ』と読むのです。 それと、今朝もお話したと思いますが、昔の土地神というのは皆さんが考えるような優しい神様だけではないんです」
「そういえば、そんなこと言ってたわね。 祟りを鎮めるため、だったかしら?」
「えぇそうです。 ただ、それだけではなく、力あるモノで更なる災いを抑える目的もあったようなんです。 郷土史を調べていたら、その子の由来が分かりました」
「更なる災いって……コイツよりもヤバいのがいるのかよ!?」
「はい、そのぉ……とても言いにくいのですが、あの『逢魔時計』がその災いだったようでして。 カミカミサマは、その封印を監視する番人として、この学校の敷地に配置されていたようなのです」
「その封印って確か……」
「すみません、私が解いちゃったみたいで……」
「なるほどなぁ、だからテケテケや大根なんかが現れるようになったってわけだ」
ター坊の言葉に、クラヤミが申し訳なさそうに肩をすぼめて項垂れる。
逆に、逢魔時計から現れたカゲンブはより一層身体を大きく見せようと胸を張り、ヤガミンに巻き付くカミカミサマと張り合っていた。
その様子から、確かに封印を守る側と解く側で仲違いしているのだろうと合点がいく。




