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カミシバイ・その3(挿絵)

 いつもであれば、ヤガミンの長い黒髪を包むシニヨンで丸いお団子にまとめているはず。

 しかし、今日に限ってはお(やしろ)で濡れた髪を(かわ)かすために(ほど)けていたのだ。


 そのバラけて自由になった髪の毛達は、首輪の外れた猛犬のようにいきり立ち、深く裂けて広げた大きな(あご)を上下させている。


「だ、大根を喰ってる! 生きてるぞ、この髪の毛!?」


「ウソでしょ!? 私の髪、どうなってるのよ!?」


「分かんねぇ! 分かんねぇけど、分かるのは、お前の髪の毛だってことだ!!」


 (うな)り声は獣のようでもあり、尖った口先は鳥のようでもある。

 次なる獲物を探す鋭い目つきは怪しく光り、その頭上から枝分かれする髪をも灯していた。


 現実の世界で類する生物は思い浮かばず、例えるならば空想上の生き物、『龍』に酷似しているだろうか。

 まさに異世界のバケモノが目の前に現れたのだ。


「チクショゥ!! 勝手に喰うんじゃんねぇ! 大根を返しやがれ!!」


「ちょっと、何する気よター坊!?」


 (くちびる)の無い生物特有のボロボロと食べかすを落とす咀嚼(そしゃく)により、白い大根の欠片が零れ落ちていく。

 その無残な姿を目にして頭に来たター坊は、頭よりも先に身体が動き出し、怪異の口をこじ開けようと手を伸ばした。


 ところが手で触れた瞬間、わしゃ、とまるで毛糸玉を揉むようで、およそ物体としての反発力を感じない。

 顎の上下にかけた手は、そのまま(くし)でスくように突き抜けてしまい、勢い余ったター坊が姿勢を崩して倒れ込んでしまった。


「どわっとと!? まるで手応えが無いぞ、コイツ!!」


「でも噛み砕いてるんでしょ、大根!?」


「そうだけどさぁ!! これじゃ手も脚も出ないっての!!」


 身に見える実体はあれど、触れることが出来ない非実体。

 悪霊としか言いようのない存在が、ゴクリとダイコンランを飲み込んで、深く生暖かい息を吐き出した。


 (まぶた)らしきものは見当たらないが、それでも満足したように怪異の目元は半月型の弧を描き、声もなくニタリと(わら)いだす。


「うぷ……な、なに……? 何かが(のど)を通って、くる……」


「コイツ、もしかしてヤガミンと繋がってるのか!?」


「やだ、この大根って食べると……あぅ……」


「おい、ヤガミン!? 大丈夫か!?」


 ター坊以外が口にすれば、著しい知能の低下、あるいは一時的に正気を失う毒性を持った大根の怪異。

 それが意図せず身体へ入り込んだためか、彼女の身体に異変がみられた。


 そして言葉の途中でヤガミンは気を失い、ダランと椅子に力無く身体を預けてしまう。

 すぐさま地べたに倒れ込んでいたター坊が駆け寄ろうとするが、髪の()威嚇(いかく)するように歯を鳴らして間を(はば)んだ。


 だが、次第にヤガミンの身体は夢遊病のようにむくりと立ち上がり、ゆらゆらと千鳥足(ちどりあし)で歩き出す。


「ヤガミン? 起きてんのか? おい! なぁ!?」


 心配そうに声を掛けるが、ぼうっと(うつ)ろな瞳を半開きにした彼女の目に光は無く、どうみても正気ではない。

 それに、よく目を凝らしてみれば、彼女の指や脚の露出した部分からは髪の毛が(つた)のように絡みついていることに気が付いた。


 糸で吊られたマリオネットのごとく、気を失ったヤガミンの身体をこうして操っているのだろう。


「やべぇ、操られてるのか!! くっそー!! お前、ヤガミンの身体が目的だったのかよ!!」


 のた、のた、とゾンビのように頼りない足取り。

 自分まで捕まってはマズイとター坊がジリジリ間合いを保つ。


 しかし、さほど広くはない密閉された教室の中、背中が壁に着くのはさほども時間がかからなかった。

 その間も、必死にヤガミンへと呼び掛けて目を覚ますように努めるが、毒の効力が切れない内は期待できそうもない。


「壁、か。 えぇい、こうなりゃ一か八かだ!」


 逃げ場はないが、どちらにしても彼女をこのままにはしておけない。

 であればと、ター坊は意を決して脚を前に突き出し飛び掛かる。


 今度は押して駄目なら引いてみろとばかりに髪の毛を掴み、グッと引き剥がそうと力を入れる。

 だが、どれだけ腰で踏ん張っても、うんとすんとも言わず動かない。


 束になった髪の毛の張力は凄まじい物で、子供一人の腕力などものともしないのだろう。


「ぐ、ぐぬぬぬ……ダメだぁ!! 逆に巻き付かれてるじゃん!?」


 握った拳の上からさらに覆い隠すように髪の毛が(うごめ)き、執念深いヘビのように少しずつ少しずつ()っていく。


 さらにズキンと鋭い痛みが右手に走ったので目をやると、小指に髪が食い込み薄らと血が滲んでいるではないか。

 不気味なことに、それが一本の髪の毛を伝い、ヤガミンの小指へと赤い橋を渡らせているのである。


 このままいけば、いずれ指が千切れてしまうのだろうか、そう考えると臓物がヒュッと冷え込む感覚が少年を襲い、怖気(おじけ)を産んだ。


「やっぱ、やめだ! オカマ先生呼んで来る!! 待ってろヤガミ……あ、あれ?」


 グッと上げようとした脚に反応が無い。

 まるで深い泥沼に長靴で踏み入れてしまったかのよう。


 嫌な予感がしてゆっくりと視線を下げると、ター坊の下半身はすでに髪の毛に飲み込まれていた。


「うぎゃぁぁ!! オレまで喰う気かよコイツ!? た、助けてくれぇぇぇ!!」


 もがけばもがくほどに底無し沼のような髪へと(はま)り、ズルズルと沈み込んでいく。

 慌てふためくター坊が体勢を崩すと、ヤガミンが押し倒すように被さって来た。


「ひぇぇぇ!! 起きろ、起きろヤガミン!! マジでヤバいって!! 死ぬ、死んじまうよオレぇぇ!!!」

挿絵(By みてみん)

続きます。

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