カミシバイ・その2(挿絵)
だがこの授業中、珍しくヤガミンは集中力を欠いてノートを取り切れずにいた。
手元には買った覚えのないキャラペンを握り、悶々とそれを眺めていたからだ。
こっそりと腕時計型の端末で電子決済の履歴を確認したが、やはり購入してはいない。
しかし、だからといって盗難のアラームは鳴っていない。
いくら考えても、まるで魔法のように、突然手元へ出現したとしか思えない。
これはまるで神隠しの逆、それが身に起きているのではないかと考えていた。
「やっぱり変よ、ぜったいオカシイ……」
気が付けば最後の予鈴が鳴り、先生が授業の終わりを告げる。
その声で委員長としての務めを思い出し、慌てて顔を上げて立ち上がった。
「き、起立ッ! あっ……」
その拍子に、机へ置いたキャラペンが転げ落ちてしまった。
そしてそのままカラコロと音を立てて、隣の席のター坊の方へと視界から消えてしまう。
だが、次いで黒い影がバッと視界へ割り込んで来る。
放課後遊ぶのが待ち遠しいのか、ウズウズと身体を揺らすター坊がすかさず動き、ネコのように床へ飛びついたのだ。
「おっと、拾ってやるよ。 まったく仕方ねぇな……あれぇ、どこ行った?」
机の下からは、彼の「どこだ、どこだ」と探す声が聞こえて来る。
しかし、あれだけ目立つキャラペンを見失うものだろうか。
不思議に思っていると、内股の間を彼の髪の毛でサワサワと擦る感触が走る。
「きゃぁっ!? どこまさぐってのよエッチ!!!」
「ぐえぇっ!!」
反射的に右脚で頭を踏みつけ、彼の潰れた横顔が足元から覗いていた。
そして、心底不服そうな彼の横目が、ヤガミンの顔を恨めしそうに見つめ返している。
「痛ってぇ……おい、もう拾ってたなら言えよな。 踏まれ損じゃねぇかよ」
「はぁ、何言って……ウソ……!?」
スカートの下で這いつくばる彼の視線を追うと、ヤガミンの耳の上にキャラペンが挟まっていた。
眼鏡のツルに乗っており、どうりで下を向いても見つからないわけである。
しかし、今度は間違いなくター坊だって落ちたのを見たはずなのだ。
それがどう転べば上へ移動するというのか。
「なんで……また、知らない内に……!?」
「なんでもいいから、早くどけてくれよぉ」
「あ、忘れてたわ」
「ひでぇ……」
ともかく紛失物が見つかったため授業をしめると、話があるのだとター坊を呼び留めた。
記憶にない『物の移動現象』、それが一度ならず二度までも。
このキャラペンに何か悪いモノでも憑いているのではないかと、ヤガミンが不安を打ち明けた。
そして、生徒達が既に帰り支度を済ませてガランとした教室で、彼女は恐る恐るソレを差し出す。
ヤガミンの指先は微かに震えており、見えないナニカに怯えているのは間違いのだろう。
それを見たター坊は少しでも安心させようと、派手なキャラペンを掴んで、見逃しの無いように目を大きく見開いて調べ始める。
「ふぅん、確かにそりゃ変だなぁ。 でも普通のシャーペンにしか見えないぜ?」
「でも、心当たりがあるとしたら、それくらいしかないもの……」
「う~ん、メシ喰ってないから、ボンヤリしてるだけじゃねぇの? 大根喰うか?」
そう言って、ター坊はカバンの中からダイコンランを取り出した。
その顔には、下手くそな目と鼻が黒いインクで書き足されている。
「あんた、その子を教室に持ってきちゃったの!? 先生に見つかったら大変じゃない!」
「気にし過ぎだって、ヤガミンはさぁ。 オレってば、教科書は全部机の中だし、空っぽのカバンに突っ込んでおけばバレやしねぇって」
「それは自慢気に言う所じゃないでしょ……ちゃんと持って帰りなさいってば」
はぁ、と溜息をつくものの、それでもこうしてター坊のバカな話に付き合うと気がまぎれた。
いくらか落ち着きを取り戻したヤガミンは、ふと昨日のことを思い出す。
突然現れた怪物、ソレから逃げるため、毒とも知らないリスクを冒してまで自分を助けてくれた白馬の王子のような少年。
実際は白根の大根を齧ったワンパク小僧なのだが、それでも彼女にとっては小さなヒーローなのだ。
こんな時、自分にも危機を打開するような力があればと心底願う。
ダイコンランを食べて正気でいられるのはター坊だけ、それがなんだかズルいような気がするのだ。
この少年に頼ってばかりの弱い自分が、本当に嫌になる。
そんな苦悩をヤガミンが考えていると、ター坊がわざとらしいくらい明るい口調で話を変える。
「なんだよ、辛気臭ぇ顔してさ。 もっと笑おうぜ、馬鹿になってさ! 暗い顔してると、怪物が寄って来ちゃうぜ!」
「ふふ、馬鹿ね……ありがとう。 私そんなに暗い顔してた?」
「おう! もう、こぉんな風にな!」
そう言うと、ター坊は踏みつけられた時よりも顔をブニャっと潰して変な顔を作る。
呆気に取られたヤガミンの反応を受け、今度はどうだと更にヘナチョコな変顔を披露して彼女の笑いを誘った。
「く、くふふ……もう! そんなブサイクじゃないわよ! 失礼ね!」
「怒るな、怒るなって! ほら、この大根よりは美人だからよぉ……あれ?」
ダイコンランの頭に生えている葉の部分を掴んでいたター坊が、それを目の前に掲げた瞬間に違和感を覚える。
妙に軽いだけではない、目の間に掲げているのに、何故かヤガミンとバッチリ眼が合うのだ。
二人の視界を遮るはずの、白い大根が見当たらないのである。
「あれれぇ!? お前、身体が無くなってるぞ!?」
まるで大きな口で乱暴に噛み千切ったかのように、大根の葉の下から先がボロボロの断面を晒していた。
そして、ボリボリ、ゴリゴリ、と噛み砕くような、磨り潰すような不気味な音が教室内に轟き出す。
瞬間、そこにいる二人は凍り付いて耳を澄まし、音の出所をゆっくりと目で探り始めた。
「なに、この音……頭に響いてくる不気味な音は……」
「や、ヤガミン、それ、お前……!!」
ター坊がダイコンランを持った手で彼女を指差す。
音は本当に頭で響いていたのだ。
なぜなら、後ろを振り向いたヤガミンの目には、自分の髪の毛が大根を貪る悍ましい光景が写ったのだから。
「い、イヤァァァ!!!」




