カミカクシ・その2
淡々と読み聞かせる先生の授業。
あまり抑揚も無く語り続ける『こくごの先生』の声は子守歌に近いらしく、早速ター坊がコクリコクリと舟をこいでいた。
その度に、彼の半ズボンから出た脚をグニリとつねり、ヤガミンが叩き起こしてなんとか授業を乗り切らせたのだった。
授業中、謎の悶絶声が漏れ出ていたのが余程気になったのか、休み時間に移ると耳聡い生徒が近付いてくる。
「どないしたんやター坊、さっきのえらい情けない声は? あん……なんや自分、蚊に刺されたんか。 まだ春やけど出るんやなぁ」
虎柄のジャケットを羽織る目付きの鋭い関西訛りの少年ガオルは、ター坊の真っ赤になった脛を見て目を丸くする。
その声で振り返ったター坊の目には、僅かに涙が溜まっていた。
「蚊なんて生優しいモンじゃねぇ!! 聞いてくれよガオル! こいつ、ずぅ~っとオレのことをつねって来るんだぜ!?」
「それはあんたが居眠りしようとするからでしょ。 ちゃんと授業聞いてれば、私だって放っておくわよ」
「なんや、ずっとイチャコラしとっただけかいな。 はぁ、しょうもな……」
「イチャついてねぇよ!」
「イチャついてないわよ!」
ガオルの茶々を入れに対して、席をくっ付けていた二人は息ピッタリに声を揃えて反論し、机を引きずって離す動作までシンクロさせる。
思わずどこがやねんとツッコミかけたガオルだが、限られた休み時間を有効に使うために言葉を飲み込んだ。
そして、話題を変えて今朝の話へと遡らせていく。
「それよか委員長、朝に顔見せんとは珍しいやんか。 なんやったん?」
ガオルはクラヤミと組んで新聞部の記事を書いているため、学校のどんなゴシップでも嗅ぎつけ、しつこく嗅ぎまわるのだ。
今もメモ帳を取り出し、早速ネタになりそうか吟味している。
「ター坊が怒られたのは知ってるでしょ、こいつに悪戯されただけよ。 それで頭に来すぎて、ちょっと頭痛がしただけ」
クラスの皆も彼の対応にはすっかり慣れた物で、ヤガミンも興味ないでしょとばかりに話に乗ってあげる。
ここで対応しないと、変な勘繰りや憶測まで記事にされかねないのだ。
ただでさえ先程の痴話喧嘩もメモされており、これ以上誤解されるようなことは防ぎたい。
可能であれば、あのメモ帳に載っている自分の記事を破り捨てたいくらいだ。
「ホンマにそんだけなん? ほれ……ワイの相棒があの調子やし、なぁんか臭うんやけどなぁ」
そう言ってガオルは後ろに指差し、机で突っ伏しながら爆睡しているクラヤミへ視線を誘導する。
臭うとは、クラヤミのことなのか、はたまた社での一件のことなのか。
「クラヤミさんなら、昨日のことで徹夜作業があっただけらしいわよ。 聞いてないの?」
「にしし、オレ達の大活躍だぜ! カッチョイイ~の書いてくれよな!」
「へぇ、そやったんか。 初耳やけど期待できそうやし、まぁそんならええわ。 はぁ~……ワイはベビーシッターちゃうけど、しゃぁなし起きるまで世話焼いてくるで」
まだまだヤガミンに対して探りを入れたそうな名残惜しさを隠さないが、それでも既に収穫があると分かるや引き下がる。
この様子だと、立ったまま寝ていたクラヤミを座らせたのはガオルらしい。
メモ帳をめくりながら、面倒臭そうに黄色いニット帽を掻いて、後ろの席へと去って行った。
そして、ようやく厄介事から開放されてホッと息を着くヤガミンの耳に、去り際の一言が届く。
「あん? ワイもついにボケが来たんかいな。 間違いなくメモ取ったはずなんやけどなぁ……これじゃ介護が必要なんはワイの方やん」
特に気に留める内容でもないのだが、恥ずかしい記事が無くなるのであれば、ヤガミンの心労も軽くなるというもの。
軽くなった気持ちで、晴れやかに次の授業の準備をしようと鞄に手を伸ばすと、視界の端に丸い紙屑が映る。
それは、ヤガミンとター坊の席の中間辺りに転がっていた。
「ちょっとター坊! あんた、またゴミ捨てたでしょ!」
「はぁ? なんのこっちゃだぜ」
「しらばっくれても駄目だからね! ほらコレ!」
席を立って遊びに行こうとするター坊を引き留め、床に落ちている紙屑を指して厳重注意。
それでも彼はとぼけた顔で小首を傾げ、三文芝居を続けている。
「いや、だからオレじゃねぇってば……」
「いいから、ちゃんと自分で捨てなさいよ。 それまで見張ってるから!」
ター坊の言い訳も門前払いで跳ね除け、キッとヤガミンが睨み付ける。
『また』と、つけるほどにター坊は授業に飽きると遊び出す常習犯であるため、ヤガミンは一切の効く耳を持つ気はないのだ。
ヘビに睨みつけられたように渋い顔を浮かべると、ター坊は嫌々と仕方なくゴミを拾う。
そして、その場所から教室の角にあるゴミ箱へとロングシュート、見事スリーポイントを決めた。
「よっしゃ!」
「教室で物は投げないの!」
「うへぇ、いちいち噛みつくなって……面倒臭いなおまえ」
「なんですって!?」
「ヒェッ!」
小さく悲鳴を上げると、ター坊はわざとおどけた仕草で逃げていった。
せめてもの意趣返しのつもりなのだろう。
だが、遊びだと分かっていても、避けられるのは少し傷付く。
ヤガミンは誰にも見られないように顔を俯き、ポツリと小声で呟いた。
「なによ……あんたのために注意してあげてるのに……」
続きます。




