カミオロシ・その3
静かに怒りを燃やすヤガミンがター坊のいた方へと向くと、既にそこに彼の姿は無かった。
怒りの矛先を失い、忽然と消えた行方を探そうと、ギロリと動く鋭い視線がクラヤミを射抜く。
「あ、あの……ター坊さんなら既にあちらへ……」
よほどヤガミンの顔が怖いのか、怯えたような震え声で彼女は指を伸ばす。
指し示す先は、校舎へ続く裏庭の通り道方面。
ダイコンランを連れ立って、仲良くすたこら逃げていく後ろ姿が目に入った。
「んもぉぉ~~!!! 覚えてなさいよ!! 後で、絶対に先生からキツいお仕置きしてもらうんだから!!」
もはや追い付けないと悟ると、ヤガミンは悔しそうに地団太を踏んで土埃を上げる。
そのままギリギリとハンカチを噛みしめながら、ぶつくさ呪詛のように罪状を指折り数えていく。
滅多なことでは怒らない担任の大釜先生だが、そんな慈愛に満ちた人であろうと仏の顔も三度まで。
目に余る悪戯ならば、こっぴどく叱ってくれるのだ。
その報告のためにも、こうして悪戯小僧の悪行を記憶しておくのである。
もっとも、それで反省するような少年ならば、始めからこんな苦労はしないのだが。
「すみません、こちらも強く止めるべきでした」
「クラヤミさんが謝ることなんてないのよ! 全部あの馬鹿が悪いんだもの! まったく、人の気も知らないで、心配と迷惑ばっかりかけるんだから……!!」
ポタポタと雫を流す髪を梳かし、頭を軽く振って空気を送り込む。
これから学校が始まるため、なんとか髪を乾かしたいのだろう。
だが、どうみてもちょっとやそっとの自然乾燥では無理だと傍目にも分かる。
遅刻を覚悟で寮へ戻り、ドライヤーで目一杯に風を当てるしかないだろう。
「それにしても、今日の悪戯は度が過ぎるわ……あのオバケと一緒に遊んで浮かれ上がってるのかしら」
「どうでしょう……ター坊さん、髪の短い男の子ですし、あまりそこまで配慮が至らなかっただけかと。 きっと悪気はないですよ」
「はぁ……そうなのよね。 あのお馬鹿、悪意はないから余計に質が悪いのよ……」
なんとか気を落ち着かせようと、クラヤミがター坊の肩を持つ。
すると、ヤガミンは溜息と共に大きく肩を落とし、空気が抜けたように怒りも萎んでいく。
彼とは長い腐れ縁の仲であるためか、ヤガミンからは諦めに近い表情が見て取れた。
クラヤミは普段から紙面と向き合ってばかりで、あまり人と会話しないためか、このなんともいえないドンヨリした空気がいたたまれなくなる。
そして、今度は落ち込んでしまった彼女の気持ちを盛り上げなければと、クラヤミはマゴマゴと慌てた末に手元を見下ろし口を開いた。
「あの、ター坊さんを止められなかったお詫びというわけではないですが、悪戯の証拠写真を残しておきませんか?」
そう言うと、クラヤミは手にしていた黒い三角錐型のカメラを見せる。
ヘビ革らしい上等なストラップ紐で肩に掛け、重厚な厚みのある代物。
小学生がこんな大きなカメラを持っていることに多少の疑問が頭をよぎったが、そのことは一先ず置いておき、ヤガミンはまず話を聞いてみることにした。
「あら……それって、昨日も持っていたやつよね」
「はい、こちらはすぐに印刷できる即席写真ですので、朝のホームルームの時に先生へ渡せるかと」
「へぇ、いいじゃない、そのアイディア。 なら、こうして髪を絞っているところを撮るのよね?」
クラヤミの提案に乗り、ヤガミンは撮影用の演技として先程のように再び髪をギュッと握ってみせる。
既に水気の多くは取れていたが、やはり束ねると掌にじんわりと染み込む水分がなんとも気持ち悪い。
そうして水の分だけ重くなった頭を下げて、しだれ柳のように長い黒髪を下ろした。
「はい。 あ、そうですね……できれば、そのお社も入れましょうか。 お掃除を邪魔されたということで」
「ふふ、いいじゃない! 久々に大釜先生の怒る顔が見れそう!」
だんだんと楽しくなってきた女子たちがアレコレと注文を足していき、より強烈な証拠になるよう小細工を施していく。
見違えるほど綺麗に掃除された社の前で、記念撮影よろしくヤガミンが前へ立つ。
インスタントカメラはフィルムに限りがあるため、両者が被らない様に画角を調整しながら、ココだと決めた場所を探っていく。
クラヤミの納得のいく角度が見つけると、静かに指で輪っかを作り、OKのサインを送る。
そして、ブレが生じないよう、ゆっくりとシャッターを切ろうとしたところで、クラヤミが小さく悲鳴を上げた。
「いきますよ……ひゃぁっ!?」
「どうしたの、クラヤミさん……って、なにそれ!?」
悲鳴を耳にしたものだから、自分の髪から視線を外し、急いでクラヤミの方へと目を向ける。
すると、ヤガミンも自分の目が信じられないと声を上げた。
なんと、あの黒いカメラにカメみたいな脚が生え、まるで生き物のように動いているのだ。
「あぁ、すみません。 この子も、ター坊さんのダイコンランのように怪異なんです。 でも、いきなり動き出したもので、驚いてしまいました。 いつもは静かな子なのですが、どうしたんでしょう?」
「えぇ……この小学校、バケモノ多すぎじゃないの……? どうなってるのよ、いったい」
クラヤミはまだ小学生なのに、本格的なカメラを持っているのは不自然だとは思っていた。
昨日から立て続きに怪異を見たためか、説明されると納得はする。
それでも頭が理解を拒み痛いのか、ヤガミンは眉間の辺りを押えていた。
「痛っ……!!」
あんまりにも悩み過ぎたためか、後頭部の方まで痛みだす。
まるで虫にでも刺されたような鋭い激痛が走ったので、思わず声が漏れていた。
「大丈夫ですか委員長さん? 具合が悪そうですが……?」
「気にしないで……少し、保健室に寄っていくから、ホームルームは遅れるかも。 写真はあとでお願い。 せっかく撮ってくれたのにごめんなさいね」
「はぁ、分かりました……」
委員長としてなのか、心配は掛けまいとクラヤミを制して、ヤガミンはトボトボと校舎へ歩く。
残されたクラヤミは、小刻みに震えて踏ん張っているカメラを見下ろして途方に暮れていた。
だが、半分ほど排出された写真を見て、あることに気が付く。
「おや、これは……逢魔時計のときと同じ……」
黒い背景に浮かび上がる社の姿。
以前、封印を解いてしまったあの現象に酷似していたのである。




