テケテケ・終
ひとしきり笑い合って息をつくと、どちらともなく起き上がる。
その時、あれほど元気だったター坊がふらりと身体をよろつかせたのを見て、すぐにヤガミンが肩を抱く。
怪異から逃げるために引いてくれた手はあれほど大きく感じられたのに、どうしてだか今はとても小さく思え、支えてやらなければとヤガミンの心を突き動かしたのだ。
「おっと、悪りぃ」
「ちょっと、本当に力が抜けちゃったの!?」
「う~ん、たぶんな。 大根パワーがもう腹の底から湧いてこないっていうか、そんな感じ」
「そうなの……さっきのジャンプ凄かったものね。 それで使い切っちゃったのかしら?」
口ではそう言うものの、彼女がター坊を強く意識したのは、きっとダイコンランの力だけではないだろう。
その証拠に、今までただの手の掛かる問題児として扱っていた彼女の眼は、しっかりと頼れる者へと送る眼差しに変わっていたからだ。
「かもなぁ……」
命の恩人とも言える少年は、力の反動か気だるげに生返事。
けれども、だらしない顔ということはなく、どこかやり遂げたように一皮剥けた一面を見せている。
「まぁでも、今日はちょっとだけ……ほんのちょっとだけ、あんたのこと見直したわよ。 勇気あるじゃない、ありがとね」
「へへ、大根様様だぜ。 礼はコイツに言いなって……のわ!?」
ター坊の身体強化から敵の混乱まで八面六臂の大活躍だった功労者を称えようと、彼がずっと握りしめていた半身の怪異を掲げる。
だが目をやると、ダイコンランはしおしおと水気を失い、ぴくりとも動く気配が見られなかった。
それに気が付いたター坊は、慌てふためき手放しそうになるのを必死に堪えながら、ゆっくりと床に横たえてやる。
半分に折っても死ななかったしぶとい怪異だというのに、どうしてか今では見る影もないほどに弱り果てていた。
「お、おい! お前大丈夫かよ!? しっかりしろ! なんかカサカサしてんぞ!? なんでだ、齧った時は平気そうだったじゃねぇかよ!!」
「もしかして賞味期限……? 大根は痛みやすいっていうもの、切り口が大きくなったから空気に触れ過ぎたのよ……」
心配そうな顔で覗き込むター坊が、ぱさぱさとした大根の小さな手を握ってやるが、握り返してくることはない。
まるでミイラのように乾いたダイコンランが、最期に空いてる腕を上げて「サヨナラ」と意思を込めて振るい、糸が切れた様にパタリと力無く事切れる。
「だ、だいこぉぉぉん!!!」
目から大粒の涙を零すター坊が、急速に風化し塵と散っていく欠片を掴もうと手を伸ばすが、まるで今までのことが夢であったかのように跡形も無く消えてしまった。
「ター坊……」
「はひ、はふ、おや……どうされたのですか?」
遅れて向かいの校舎から回って来たクラヤミがようやく駆け付けると、膝から崩れ落ちて地面を濡らす彼を目の当たりにし、何があったのかとヤガミンへ目線を流す。
しかし、彼女は神妙な面持ちで静かに首を横へと振り、かけられる言葉は無いとクラヤミを校舎へ押し戻した。
絆を深め合う時間こそ短かったとはいえ、少年とあの大根怪異は確かな友情を結んでいたのだ。
別れを惜しむ時間を邪魔はできない、今だけもそっとしておくべきだろう。
事態を飲み込めず困惑しているクラヤミの背をせっつき、ヤガミンは彼を残して階段を降りていく。
「帰りましょう、クラヤミさん……」
「はぁ……あの、それで結局、テケテケはどうなったんでしょう?」
「あのバケモノのこと? アイツなら落ちていったわよ。 あの高さじゃ助からないでしょうね」
「でしたら、確かめてみませんか。 尻切れトンボな記事では読者が満足しませんので」
「え……う、うぅん……」
失意のター坊とは真逆に、好奇心に満ちたカメラを構えるクラヤミが不穏な提案を持ちかける。
ヤガミンとしては、これ以上厄介なことに首を突っ込みたくはないのだが、確かに結末を見届けなくては心残りでもある。
複雑な心境で歯切れの悪い返事を返すも、クラヤミは肯定と受け取りヤガミンの手を取って急ぎ足。
オカルトに目の無いクラヤミだが、それでもテケテケが倒されたかを一人で確認するのは心細かったに違いない。
連れが増えたことにより、鬼の首を獲ったような勢いを付けて、テケテケが落ちたと思われる中庭へと向かうのであった。
上級生棟と下級生棟の谷間に広がる10m幅の細長い中庭。
昼休みならば、ここで陽に当たって学年隔てなく交流する生徒達が見られるのだが、放課後も過ぎてこの時間では人っ子一人居そうもない。
裏庭とは違い植生が少なく、開けた広場にベンチがいくつか設置してあるため、校舎から一歩踏み入れただけでも奥まで見通せるはずだった。
しかし、夕暮れの作り出す妙に暗い影が谷間に差し込み、昼間とは打って変わって陰鬱な不気味さを醸し出している。
「ここって、蛍光灯ないんだっけ……? うぅ、クラヤミさん、やっぱり止めときましょう?」
「あぁ、ご心配なく。 この子のフラッシュを点けっぱなしにすればライトに充分ですし。 さぁ行きますよ!」
「ウソでしょ……うぅ」
クラヤミは手にした黒い三角錐型のカメラを弄ると、前方を照らす朱い光線が道を作り出す。
目を焼く夕陽のようなそれが少女達を導き、やがて千切れ落ちたフェンスを示した。
「おぉ! これはまさしくテケテケがあの時に裂いたもので間違いありません! 近くに落ちた痕跡があるはずです!」
「ねぇ、クラヤミさんは怖くないの……?」
「いいえ全然!」
「その自信が逆に不安だわ……」
もしも生きていたら、もしも潜伏してまだ獲物を狙っていたら、そんな「もしも」の悪い予感ばかりが頭をよぎり、ヤガミンは心細さでスカートをギュッと握りしめた。
こんな時にター坊がいてくれたらと、心のどこかで願っていることに気が付くと、首をブルルと振って気を取り直す。
「もう! さっさと確かめちゃいましょう、クラヤミさん!」
自分を鼓舞するように空元気の威勢を張り、ズイズイと先へ進む。
すると、爪先にコツンと軽く堅い音が響いた。
だが光源の届くよりも先へと来てしまったため、暗くてその正体が掴めない。
しかたなく、カメラを持ったクラヤミを呼んで確認してみることに。
「あら、何かしらコレ……? クラヤミさん、こっち!」
「これは……マネキン、でしょうか。 確か、部室棟の倉庫で見掛けたことがありますね」
「なんでこんな所に上半身だけのマネキンが二体も……? 気味が悪いわ……」
腹部の接続部を見るに、元は下半身もあったと思われる。
だがガタついて年季の入った塗装の禿げ方から、下半身側は既に壊れて破棄されているのだろう。
過去にター坊のようなヤンチャな生徒が蹴ったり遊んだりで酷使されたことは想像に難くない。
残された上半身だけでも飾ろうと、胴下のネジ穴に無理やり棒を挿し込みガムテープで補強している涙ぐましい痕跡があった。
「もしかしたら、ですが……これが『テケテケ』の正体だったのかもしれません」
「……え?」
じっくりとマネキンを観察していたクラヤミが、ポツポツと言葉を零す。
その手には、今しがた資料として撮影した即席写真があった。
あの様子から、なにがしかの良くない物が映り込んだのだろう。
「これらは、いえ、彼女達は……自分に近しい物を依り代にしていたに違いありません。 きっと、異世界からあの『逢魔時計』を越えたばかりで、まだ身体が無かったのでしょう」
「じゃぁ……もしかして、アイツはまだ生きてるかもしれないってこと!?」
「かも、しれません。 ほら、昔から言うじゃないですか、オバケは死なないって」
その言葉に絶句し、サーっと血の気の引いた青い顔でヤガミンが息を呑む。
それを見越したかのように、この校舎の谷間の何処とも知れぬ場所から、あの二つ頭の重なった笑い声が響き渡った。
「あぁ、やはり」
「い、イヤァァァァァァ!!!!」
だが、それ以上は何事も無く静寂が戻り、いつもの日常へと戻っていく。
クラヤミはまだ物足りなそうだったが、ヤガミンが断固として残るのを拒否したため二人は帰宅した。
しかしこれ以降、この学校では時折、壊れたマネキンがいつの間にか移動している怪事件が起こるようになったという。




