テケテケ・その13
もはや錯乱状態で人の言葉も失い、本当に獣かあるいは化物と化したテケテケ。
それが四つの腕を地に伏せて、ミシミシと床を押しつぶすような低姿勢を取っていた。
例えるならば、それはネコがすばしこく動く獲物を狩るような前触れ。
まさにこれで決めると言わんばかりの殺意をひしひしと感じさせてくる。
「時間が無いって、ならどうするのよ!?」
「こうするに決まってんだろ、あらよっと」
ただでさえ背の低いター坊が瞬時に屈むと、ヤガミンの視界からパッと彼の姿が消えてしまう。
そして、脛を擦るような風を感じたかと思うと、ヤガミンの視界がグンと一気に高くなっていく。
「キャァァァ!? バカ、アホ、エッチ!! どこに頭突っ込んでんのよ!?」
何が起きたのか、一瞬遅れてようやく理解した彼女は、すぐさま自分の股の間に挟まれた頭をポカポカ叩きつける。
なんと、ター坊がヤガミンを肩車していたのだ。
スカートが半分引っ掛かり、頭巾のようにター坊の頭を包んでいる。
そのせいで、素肌で直に彼の頭が触れてしまい、こそばゆくて顔が真っ赤に火照り上気するのが止まらない。
「いででっ!? 暴れんなって!! こうしなきゃならないんだから、仕方ねぇだろ!!」
「あんたねぇ!! どんな理由があったら、無断で女子のスカートに潜り込むっていうのよ!!」
「それは後で説明するから、叩くんじゃねぇって……おい! これ以上バカになったらどうすんだよ!!」
そんな二人の痴話喧嘩を遮るように、テケテケが知性の感じない獰猛な叫び声で屋上の空を震わせた。
あまりの声量に、キーンと耳鳴りで視界が揺れる。
気圧されるというのはこういうのを言うのだろう。
脚がすくみそうになるが、肩に感じるヤガミンの温もりで勇気を燃やし、ター坊は意を決して両脚に力を込めて走り出す。
何が何でも動かなければいけなかった。
ヤガミンの大根脚のせいで視界は狭いが、それでも地面を揺らすほど振動が、後ろから迫りくる危機を物語っていたのだから。
「ヤベェ!! いいから、オレを信じろって!!」
「んもう! 分かったわよ、こうなったら一蓮托生だもの、気張りなさいよ!!」
「へへ、よっしゃぁ行くぜ! 必殺、神風スーパーターボッ!!」
日頃、スカート捲りで鍛え上げた自慢の足腰。
その技術と鍛錬の成果を全て引き出し、走りにくい姿勢もなんのその。
エンジンのピストンのように、シャカリキに上下される少年の脚が凄まじい土煙を上げてギアを上げ続ける。
やがて擦れる彼の衣服が静電気を帯びていき、ター坊のトレードマークとも言える稲妻型の前髪が輝き放ち瞬間最大速度へと到達。
そして奇しくも、頭二つの怪物に追われる、二人羽織の少年少女が、屋上の切れ間へ向かっていった。
ただし頭数こそ同じでも、駆ける脚はター坊達のほうが少なく不利。
瞬発力で最初こそ差を付けられたものの、すぐに四つ脚の怪物がその差を埋めていく。
だが、それほど広くは無い屋上でならば、それだけ差があれば充分であった。
ター坊は迷うことなく真っ直ぐに壊れたフェンスに辿り着き、そのままの勢いで外へと跳び出す。
「とどけぇぇぇ!!!」
「イヤァァァァ!!!」
三階建ての屋上からの景色、普段ならばなんとも思わないのに、この時ばかりは目が眩むような高さに感じる。
腰の浮き上がるような、あるいは落ちていくような脳が混乱する浮遊感、それでもター坊がしっかりと抑えくれているのがヤガミンにとっての救いだろうか。
ヤガミンの眼に映る先にあるのは、隣接している下級生棟の屋上。
上級生棟と構造は変わらないが、唯一の違いがあるとすれば、怪異がおらず囲われたフェンスも無傷なことだろう。
しかし、校舎同士は10mほどの間が空いており、零れる涙が風に切れていくこの時間が無限ではないかと錯覚するほど長く感じられた。
「ヤガミン! 手を出せ! 向こうのフェンスを掴むぞ!!」
「手!? あっ、そのために肩車したのね!!」
世界記録の幅跳びですら8mだというが、怪異を喰らった力なのか今のター坊から人間離れした身体能力が発揮されており、悠々と校舎から校舎への跳躍を成功させる。
そのままガシャンと音を立てたフェンスが、優しくたわんで彼らを出迎えた。
格子状の網の間に指を通して引っ掻けると、踊るフェンスが落ち着くのを待ちながら、ヤガミンは後ろを振り返る。
すると、後を追って来たテケテケも、獲物を逃さんと怖ろしい執念で跳躍しているところであった。
だが、子供たちを切り裂こうと伸ばした爪は空を切り、虚しくその身体が重力に引っ張られて視界から消えていく。
「アイツ……落ちていった……助かったのね!! やったわよ、ター坊!!」
「本当か!! イヤッホォォウ!! そんじゃ早く登って戻ろうぜぇ! いやぁお前の大根脚が蒸し暑くてよぉ」
「なんか言った!? そんなにお気に召したなら、ここで絞め上げてもいいんだけど?」
「ぐぇぇ、ギブ、ギブゥ!!」
一言も二言も多いター坊がまたもヤガミンを刺激し、大蛇のように組まれた脚で首を圧迫。
責め立てるヤガミンは羞恥で顔が真っ赤だが、受けるター坊は頭に血が昇り真っ赤であった。
さすがのター坊も根を上げて開放されると、二人はよじ登ったフェンスから転げ落ちて地面に寝ころんだ。
「くふぁ~疲れたぜぇ~!! なんか身体中の力が抜けてくぅぅ、うひゅぅぅ……」
「ぷっ、何よそれ。 風船じゃないんだから、ほらもっとシャキッとしなさいって」
ホッとしたのか二人は互いに顔を突き合わせると、自然と笑いが込み上げ、夕暮れの空へと木霊させていくのであった。
もうちょっとだけ続きます。




