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テケテケ・その9

 クラヤミがカメラから離した眼を窓へやるが、床に残された引っ掻き傷を以外は、不自然なくらい静まり返っていて誰も見当たらない。

 血の一滴もない所から、少なくとも彼はまだ無事なのだろう。


 せっかくの貴重な怪異体験なのだから、事の顛末まで見届けたかったのだが、だからといってあの速度で駆けていく怪異に追い付けるわけも無い。

 心底口惜(くちお)しそうに唇を噛み締め、クラヤミは大きく溜息をついて項垂(うなだ)れた。


「あぁ、ター坊さん……何処かへ行くなら、せめて一言伝えてほしかったのですが……おや?」


 目線を落とした拍子に視界へ飛び込んで来た、ネコの爪研ぎよりも痛ましく()()()()ている床。

 そこから、あの怪異の行くところには、この傷跡が残るのではないかと気が付いた。


「まぁまぁまぁ! あるじゃないですか、(あし)……いえ(うで)跡が! こうしてはいられませんよ!」


 半開きの扉を一気に開け放つと、クラヤミは体育の時間でも見せたことの無い機敏な動きで追跡を始めるのであった。






 一方、爪痕を辿ったその遥か先、校舎一階と二階を繋ぐ階段のある交差路。


 テケテケは曲がり角を抜けたところで、前を行く獲物を視界から見失ってしまう。

 だからといって立ち止まることは無く、横の階段には目もくれず、そのまま真っ直ぐに突き進んでいった。


 その様子を陰から盗み見ていたター坊は、階段下に空いていた隙間から抜け出し、シメシメと(わら)う。


「ベロベロバーカ! へへ、大根様様だな。 アイツ、こんな子供騙しにあっさり引っ掛かりやがったぜ!」


 彼の手の中でブラブラと白い身体を揺らすダイコンランが、安全な隠れ場所を指して避難させていたのだ。

 逃げ足だけが取り柄の怪異らしく、危機感知能力には非常に長けているらしい。


 額の汗を拭って一息付こうとしたところで、ター坊は廊下の先で怪しく光る目と目が合った。

 夕暮れ差し掛かる薄暗い廊下であるため、その口元こそ見えなかったが、絶対に口の端がニィと吊り上がっていたに違いない。


 野犬のように四つん()いで駆ける怪物は、ガリガリと廊下を削る音を止め、そのままの姿勢でコチラへと引き返して来た。


「ゲゲッ……アイツ、頭が二つあるんだった! バカはコッチだったぜぇ~!!!」


 心臓が飛び出そうになるのを押えつつ、ター坊は階段を二段飛ばしで登りきり、5年生の教室がある二階廊下へ飛び込んだ。


「ぜぇ、ひぃ、おい! 次はドコ行きゃいいんだよ! クッソー、肝心な時は役に立たたねぇな大根!!」


 怪異の巣食っていたマヨイガッコウや先程の階段下では、案内役としてコンパスのように扱えたのだが、ここにきてまさかの沈黙。

 どうにかしろとばかりに手の中のダイコンランを振って、この窮地(きゅうち)を脱するアイディアを催促(さいそく)しながら逃げていた。


「だぁ~もう!! これじゃさっきと変わってねぇじゃん!! ずっと隠れときゃよかったぜー!!」


 流す涙が風で乾きそうになるほどの全力で、ドタバタ足音立ててなりふり構わず廊下を進む。

 すると、奥の教室の戸が開き、中から見知った顔を見せた。


「こらぁ!! ター坊!! 廊下は走るなっていつも言ってるでしょ!!」


「あ、馬鹿、今は出てくんじゃねぇ!!」


「はぁ? くだらない言い訳なんて聞く耳……ヒィッ!?」


 いつもは口煩いクラス委員長のヤガミンが、ター坊の後ろに迫るテケテケの姿をみて口を(つぐ)む。

 まるで声を奪われたかのように口をパクパクと開閉し、信じられないとばかりに目が泳いでいた。


 生真面目な彼女は、大釜(オオカマ)先生に課された宿題を居残りしながら片付けていたのだろう。

 同じく宿題を出さたのに逃げ出したター坊の気配を感じ、運悪く怪異の前へと(おど)り出てしまったのだ。


 そして向こうから見えるいうことは、コチラからも見えているということ。

 ター坊の背の方から、嬉しそうに声色を上げた、不揃いなステレオが響いてくる。


「頭が二つ揃ったわね」

「頭を二つ繋がなきゃね」


「マズイ!? ヤガミンまで狙う気だぞコイツ!!」


 ヤガミンはあまりのショックに固まり、その場に立ち尽くしている。

 あっという間に彼女の元へと辿り着くと、すれ違いざまにヤガミンの手を引いて共に走りだした。


「なにボ~っとしてんだ、急がないとお前もヤバいぞ!!」


「ちょ、は!? な、なに!? なにが起こってるの!? キャァ!!!」


 間一髪、テケテケの伸ばした爪はヤガミンの髪を掠め、シニヨンカバーを切り裂くだけに留まった。

 皮一枚で切先を(かわ)し、解けた長い黒髪が風に揺れている。


 だが、身軽なター坊一人の時とは違い、今度は脚の速くはない連れがいる状態。

 いくら先導して手を引いたところで、以前ほどの逃げ足は発揮できていない。


 みるみるうちに、テケテケと二人の距離は縮んでいく。

 それでもター坊は誰かを見捨てるなんてことは出来ず、ヤガミンの手をキツク握り直した。


「待って、痛い、そんなに速く走れないわよ!」


「んなこと言ったって、止まれるわけねぇだろうが!! あ~もう、どうすりゃいいんだよ!!」


「キャァァァ!?」


「うるせぇ! 今度はなんだよ!?」


「そ、ソレ……あんたの持ってる大根、動いてるわよ!?」


 彼女の視線は、ター坊の反対側の手で揺れるダイコンランを指していた。

続きます。

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