メノウズ・その8
あれだけ聞こえていた怪異の悲鳴が消える。
耳鳴りがするほどの静寂、自分達の鼓動が耳にまで聞こえて来るほどに無音。
そんな凍り付いた場で身体を強張らせていた生徒達だが、息をすることも忘れて様子を窺っていたのか、一人が我慢できずに息を吐き出す。
「は、ハァッ……ゼェ、ど、どうなったんや……?」
ガオルが口火を切ると、緊張で乾いた喉を潤すために生唾をゴクリと下したガッポリがそれに答えた。
「たぶん……消えた? かもしれないにゃ。 どうなんにゃ、マダコ?」
「う~ん、ハッキリとはアタシも分かんないんだよね。 ヤミちゃんに頼まれただけだし」
三人とも、どっと疲れが押し寄せたのか、滝のような汗をかき顔を濡らしていた。
汗が目に染みるのか、あるいは他の感情のためか、自然と涙を流し頬を伝わせていく。
一様に、まるで全身を目薬へ浸けたみたいな酷い見た目であった。
「せやったら、見てみるしかないやろ。 前、行くで?」
「う、ウチは後でいいかにゃ~、にゃはは……」
「アタシは板押さえてるから、お願いね~!」
「なんや、ワイだけかいな!! くぅ……」
それとなく仲間を募ろうとしたガオルであるが、結局言い出しっぺだけが手を挙げフラれてしまう。
上げた腕を下ろすわけにもいかず、内心嫌々ながらも重い脚をあげることに。
そこへ、ずっと後方から輪に加わらず独りを貫いていたネクロの助け船が入る。
「クク、そう腰を引くでない。 どうせもう面白いことは無いのだ、我はこれで帰るぞ」
「ハァ!? 相変わらず高飛車やな、自分……せやけど、安全になったんは間違いなさそうっちゅうことか」
彼女がこの事件に対する興味を失った。
それは、この場にめぼしい怪異がいなくなったということなのだろう。
釈然とはしないガオルであったが、ある意味信頼できるネクロの態度に後押しされ、そっとマダコが支える板の向こう側を覗き込む。
すると、そこには自分の顔があった。
「ヒュッ!? か、鏡やんけ……ビックリさせんなや、肝冷やしたで、ホンマ」
「すっごく重かったんだからね、この鏡!」
「そりゃそうやろなぁ。 しっかし、ようこんな姿見あったもんや……おん?」
姿見鏡に映る少年の顔、その横に小さく映り込むオカシナ虚像が目に入る。
驚いたガオルは反射的に振り向くが、しかしそこには何も無い窓があるのみ。
不気味なくらいに透き通り、がらんとしたつまらない空を描いている。
「どうしたのにゃ?」
「こ、これや……」
「にゃ?」
尊い犠牲、もとい勇気ある先遣隊のガオルが安全を確かめたため、及び腰だったガッポリも鏡を覗き込んでいた。
そして、彼が指差す一点を見つめる。
「ぎにゃぁぁ!? アイツがいるにゃ!!」
「ど、どうしたのガッちゃん!?」
「ちょい待ちぃって、どうもおかしいでコイツ」
「にゃ……?」
慌てふためくガッポリの頬をペシリと強めに撫で、しっかりと見えるように顔を動かす。
そうなると、彼女は否が応でも再びアイツと目線が合ってしまう。
だが、恐怖は一瞬で掻き消え、代わりに奇妙な疑問が湧いて来た。
「あの眼玉、鏡の奥の方へ……どんどん離れていくにゃ」
「せや、もう豆粒より小さなっとるやろ。 どこまで連れてかれんねん、コイツ」
「見たもの全部取り込む勢いだったにゃけど、まさか自分まで持っていくとはにゃぁ。 案外アホだったかもしれんにゃす」
「ねぇ、アタシにも見せてよ~!」
「おう、ワイが支えるからどんどん見たれ」
「あの、私もいいでしょうか……?」
「ええで……って、クラヤミ!? おま、大丈夫なんか!?」
思わぬ声が耳に届き、幽霊でも見るかのようにガオルが振り返る。
見れば、そこにはマダコに肩に掴まり立ち上がるクラヤミ本人の姿。
相変わらず血の気の無い顔だが、出血のせいかいつにも増して酷い顔色である。
だが、心配して彼女の腕を観察しても、あれだけだくだくと零れ落ちていた血は見当たらない。
噛み傷のような痕はあるが、それだけ。
本当にさっきまで大怪我をしていたとは思えない治癒力としか言えなかった。
自分の眼で見ていることが信じられないと、ガオルはポカンと口を開け放ったまま放心する。
「この通り、ですね。 言ったでしょう……私、なぜか怪我の治りが早いんです」
「そ、そいうもんなんか……?」
「なんでもいいよ! ヤミちゃんが元気になって良かった~!」
「起きる……そうにゃ! タイコのこと忘れてたにゃ!」
「あっ! ガッちゃん見て、あそこでノビてる!!」
縁起物トリオの二人は足りないピースに気が付くと、姿見を放り出して金髪の少女へと駆けていく。
幸い、ネクロが世話をしてくれたおかげか、怪我の一つも見当たらないようだ。
「おわぁっち、急に放すなや! 割れたらどないすんねん! アイツが出てきたらと思うと、身の毛がよだつわ!!」
「あらまぁ、確かにありそうですね……それ」
「ナシや!! ちゅうかお前、こんな対処法よう思い付いたなぁ。 マダコのやつに指示したんやろ?」
「はぁ、その……確証は無かったんですけどね、実は……」
「つまりなんや!? ワイら一か八かで死ぬとこやったんか!?」
「えぇその……言いにくいですが……けれども、助かったんですし、いいじゃないですか」
「かぁ~……たまに怪異よりもお前のが怖いわ……」
実体が無いこと、窓からこちらへは決して入ってこようとはしなかったこと、思い返せば確かにオカシイ部分はあった。
だからといって、全員の命を賭けてまで博打をするとは呆れてモノも言えないガオルが項垂れる。
そうして、ついに目視できないほど小さくなった怪異を見送ると、鏡を丁重に片付けて解散することに。
「ほな、真っ直ぐ帰るわ。 自分らも気を付けるんやで」
既に競争の商品であったネクロもおらず、誰もが精根尽き果てるほどに体力を失っている。
これ以上の長居は無用と、誰も異を唱えなかった。
「はい、ではこれで……そういえば、ですが……」
「なんや?」
「眼って普通は二つ、対になっていますよね?」
「まぁ、そりゃそうやろ」
「では、あの怪異の片割れもいるのでしょうか……?」
いつの間に写真へ納めていたのか、『メノウズ』と印字された即席写真を手に、クラヤミが独り言ちる。
彼女の眼はどこか遠くの窓を見つめており、ガオルのことを見てはいないようだ。
そんな彼女の不穏な言葉を耳にしたガオルだったが、耳を塞ぎ頭を振り、今のは聞かなかったのだと自分へ暗示し帰路へ走る。
もうこれ以上、あの厄介な怪異のことで頭を悩ませたくはなかったのだろう。
ところがこの日以降、伊勢海小学校では『何も映っていない窓から視線を感じる』ことが、度々起こるようになったのだという。
そして、保健室の鏡は絶対に割ってはいけないという、不思議な噂が広まったのであった。
これで、今回の怪談はお終いです。
人を包み込んで姿を隠して透明になれる『コロモダコ』。
窓からそっと覗き込み、あなたを呼び込む『メノウズ』。
そして目玉が使役する実体のない不思議な『手形』。
もしも廊下で見えない足音がぺたぺたと聞こえたら、あなたは一体どうしますか?
必ずしも悪いモノとは限らない、かといって善いモノであるとも限らない。
迷っていると、あなたも向こう側へ連れて行かれるかもしれませんね。
次回のお話も楽しみにお待ちください。
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