メノウズ・その7
マダコの背に居座る怪異、『衣蛸』。
それが、まさに衣のように身体を伸ばし広げていた。
8本もある腕と腕の間には、それぞれ薄い膜のような水かきが張られており、広げる程に布らしさを増していく。
やがてマダコをすっぽりと包み込むと、全身の色を保護色で変色させていき、周囲の風景に溶け込んでいった。
それは、あの廊下で遭遇した透明人間そのもの。
不可思議な足音の正体は、思わぬ形で暴かれた。
「大丈夫だよガッちゃん! アタシはここにいるよ~!」
「ほ、本当にゃ……!! 触るとぶにっとしてるにゃす」
「分かったで! これで全員包むんやな! そうすりゃ、あのクソ眼玉に見られんで済むわけや!」
「無理無理! 一人分で限界だよ~!!」
姿は見えないものの、マダコがぶんぶんと腕を振って必死に否定している音が聞こえる。
しかし、音だけではメノウのバケモノに位置を特定されないらしく、『手形』は彼女を無視するように彷徨っていた。
まさに、手探りで探している。
あの怪異にとって、視覚情報と手を感触だけが獲物を知る方法で間違いないらしい。
「なんや使えんな……せやったら、自分だけ見逃されるっちゅうわけかいな」
「そういうこと! それじゃ、またね~!」
「ちょおまッ! ホンマに逃げるやつがあるか!! どこ行くねーん!!!」
タッと床を蹴る振動を足裏に感じると、すっかり彼女を見失う。
そもそも姿が見えないのに加えて、吸音材のようなタコの膜で足まで覆われているのだから、少しでも離れてしまえば居場所など検討もつかないのだ。
キョロキョロと周囲に目を配らせるガオルだが、隣のガッポリに頭を叩かれて捜索を諦める。
「バカチン! ウチのマダコが、そんな薄情な訳ないにゃろ! 逃げたんじゃなくて、きっと何か考えがあるのにゃ!」
「たしかに、またねとは言うとったが……せやけど、残されたワイらはどうすんねん、『コレ』……」
「にゃぁ……」
そう言うと、ガオルは足元を指差した。
最初に捕らえた獲物を諦めた『手形』達、それが今度は他の生徒を狙うことに切り替えたらしい。
すでに倒れているクラヤミは拘束され、ガオルもガッポリも脚を固められている。
クラヤミを盗られないために手を動かせば、今度は自分達に襲い掛かるものだから、徐々に彼らの身体にも『手形』が増えていた。
「チィッ!! このままじゃ埒が明かんで!!」
「ひぃ、もう手が疲れたにゃす……」
「泣き言はナシや! 口より手ぇ動かさんかい! 自分も引きずられんで!」
「うぅ……マダコぉ、早く帰って来てにゃぁ……」
肩に、喉に、さらには口まで手が迫り、悲鳴すらも上げられなくなる。
荒く吐き出されるはずの息は行き場を失い、肺は枯渇し心臓は破裂せんばかりに震えていく。
いくら友情を信じていても、もはや諦めの心が顔を見せ始めたその時であった。
「お待たせ~!! ヤミちゃんに言われたモノ、探してきたよ~!」
倒れているクラヤミはもちろんのこと、口を塞がれた二人も声が出せない。
それでも、歓喜で見開いた瞳で、声の方向を凝視した。
やはり何も見えないが、ゴツ、ゴツ、と重く堅い物体を運ぶ振動が伝わって来る。
あの時、クラヤミとマダコの間で何を喋ったのかは定かでないが、運搬されるその物体がこの絶体絶命の状況を打開してくれる秘策なのだと確信できた。
『ミテ……コッチ、ミテ……』
「ん゛ん゛~!!」
「うわ! みんな大ピンチ! 待ってね、よいしょっと!」
マダコは、『手形』に押さえつけられて床に伏す仲間には眼もくれず、彼女らと怪異の間へ割り込む。
そして、隠されたヴェールと取り払うように、コロモダコの擬態を解く。
「てやぁ~! そんなに見て欲しいなら、ミテあげるよ!」
手品のようにいきなり現れたモノ。
ガオル達の方向からでは、ただ長方形の板にしか見えない。
マダコはそれを盾のようにして後ろに隠れているが、こんな板切れ一枚では、あっという間に引き剥がされて終わりだろう。
とてもではないが、ここいる全員を守るには心許無い。
しかし、板の向こう側からは、苦悶の声が響き出した。
『ミ、ミナイデ……ミナイデ……コッチ、ミナイデ!!』
頭に直接届く怪異の声。
今までは無邪気で子供のような声という印象であったのに、突然しわがれた老人のように変わってしまった。
さらに、ガオルやクラヤミ達を押さえつける『手形』が急に剥がれだし、べたべたと張り付くような音を上げながら一斉に動き始める。
「ぷはぁッ! なんや!? なにが起こっとんのや!?」
「マダコ~! 待ってたにゃす!!」
「二人共、そこにいてね! ヤミちゃんが言うには、これでアイツをやっつけられるんだって!」
『キャァァァァッ!!』
マダコの言葉を肯定するように、板の奥から凄まじい声が轟く。
恐る恐るとガオルが頭を横に傾けると、板の向こう側が目に入る。
そこには、窓の表面から『眼玉』が引きずりだされているところであった。
無数のカラフルで薄っぺらい『手形』、それが蜜へ群がる蟻のように『眼玉』へ喰らい付いているのだ。
メノウ色の朱と白の積層した瞳は充血し、痛みで血の涙をボタボタと垂れ流している凄惨な状況。
目も当てられない痛々しさに、ガオルは思わず目を背けてしまう。
「な、なんやアレ……!?」
「アイツの手が、アイツ自身を苦しめてるのにゃ……?」
気が付けば、ガッポリも彼と同様に顔を覗かせている。
彼女も、この異質な光景に驚き眼を剥いているらしい。
『ア、ギ……ァァ……』
頭の中へ響く声は遠ざかっていく。
窓から飛び出し、生徒達の方へと引きずられているのに、遠ざかっていくである。
そして、マダコの立てる板にまで辿り着くと、そのまま消えてしまうのだった。
続きます。




