44 魔法を無効化する指輪
アンドレアの言葉に、ざあっと血の気が引いた。
妾になる。いくらなんでも、その意味が分からないほど子供ではない。
「──そうすれば、大人しく言うことを聞く気になるだろう……?」
私が聖女だと認識されている限り、殺されることはない。そう思っていた。確かにその通りだ。アンドレアは聖女が必要な以上私を殺せない。
──けれど、それは決して大切に扱われることと同義でないことを、私は失念していた。
「聖女などと言っても、この私には魔法は効かない……。であればただの小娘ではないか。どうせ男には、力で敵わないのだからな」
「ひっ……いや……」
逃げようとしたが逃げ場がなく、私は尻餅をついたまま、ずりずりと少し下がった。それだけで距離を取れるはずもない。
「や……やだ、こないで……」
「大人しくしろ。──殴られたくはないだろう?それとも手足の一本でも折ってみるか?さて、聖女は己の傷でも癒せるのか、試してみようか」
恐ろしさにガクガクと震える。目にも涙が浮いていた。
嫌だ、とそればかりが頭を回る。
怯えきった私に、アンドレアは満足そうにニタリと嘲笑いを浮かべ、髪の毛を掴んで無理矢理に上向かせた。
「怖いか?ならもう二度と抵抗しないと言え。大人しく聖女としてこの私に尽くすと誓うなら──優しく抱いてやる」
その言葉に涙が決壊したようにぼたぼたと零れた。
触らないでという言葉すら、泣きじゃくって声にならない。
──抵抗をする?闇魔法で?どうやって?
アンドレアには魔法を無効化する指輪がある。私の闇魔法はあくまで余分を奪うだけのもの。そして聖女の力を意識的に、そして自分ために使えた試しはない。
「ふん、こんな安物の髪飾りではなく、本物の金をふんだんに使い、珍しい宝玉をちりばめた一級品を──」
アンドレアは髪を掴んでいた手を離し、リベリオから貰った髪飾りを毟り取るように強く引っ張って外した。
ぶち、と髪が数本、千切れる音がして──私は無我夢中で叫んだ。
「──それに、触らないでっ!」
途端、体の奥から何か熱い塊がせり上がってきて、アンドレアに向かって飛んで行った気がした。
熱くて光る塊──強い魔力。
それが当たったアンドレアは静電気がビリっと来たかのように一瞬、顔を顰めた。だがすぐに唇を吊り上げる。
「今、何かしたのか?聖女の魔法か何かかな、聖女殿……?残念ながら、聖女の魔法ですら、この指輪で無効化出来るようだが──ッ、う、……むっ?な、なに、なんだ、これはッ!」
アンドレアは右手の中指に嵌められた金色の指輪を掲げるように示した。
その指輪はじわじわと変色していくのが見えた。
「ぐああっ、きさ、きさまっ、なにをッ!いた、痛いッ!ぅあ、熱いぃッ!」
指輪に赤いくすみのような錆が浮いて、その黄金の輝きを失っていく。
同時に指輪から白い煙がぶすぶすと立ち上っていた。焦げ臭い匂いと共に、アンドレアの中指が赤黒く変色している。その場で四つん這いになり、手首を押さえて、もがき苦しむ声を上げた。
アンドレアは私から奪った髪飾りを取り落としていた。私は這々の体でそれを拾い上げて、体全体で庇うように握りしめる。
私からありったけの魔力が放出されたせいなのか、今度は魔法貧血が起きたようでクラクラとしていた。体が重く、その場で転げ回るアンドレアから、ずりずりと少しずつ距離を取った。ほんの少し動くだけで息が切れる。なんだか酸素が薄く感じて何度も呼吸をした。
しばらく後、アンドレアの指輪がカッと強く光り、そのまま粉々になって崩れ落ちていく。
アンドレアの悲鳴が部屋中に響き渡った。
「あっ……ああーッ!ゆび、指輪ッ、私の、指輪があぁーッ!!」
それと同時に、私の目蓋に強い光が走った。
──分かった。全部。
今、最後の闇魔法の使い方を、私は覚えた。
指輪がなくなった中指を見つめて茫然自失しているアンドレアに、今度はこちらから手を伸ばした。
「私の闇魔法は、貴方の知ってる通り、とても無力です。余っている物を少しだけ奪う、それだけの力。だから──何もしない貴方の、その余分な魔力を……奪います」
私の闇魔法はそれほど強くはない。多分、ロザーンなら、同じ闇属性で、私より強力な闇魔法が使える人は何人もいるのだと思う。それは最初に召喚されて、属性だか強さだかを調べられた時からそうだった。
けれど、この闇魔法はあくまで聖女の力を引き出すための、アシストのような力。
最終的には、聖女の魔法を使うための魔力として、変換する効率を引き上げるための魔法。
──つまり、この『魔力を奪う力』こそが最終目標なのだ。
それまで闇魔法で奪ってきた熱や光も、ずっと魔力に変換されて、私は無意識に聖女の力を使い、アニムニアの地を富ませていた。けれど、そのまま魔力自体を吸った方が効率がいいのは当然だ。
しかも私は無意識であるが、アンドレアの指輪が壊れるほど大量の魔力を放出した直後。いわば空っぽのタンクのようなものだ。
手を当てるだけでアンドレアから奪った魔力が体に流れ込んでくる。
生理的には本当に嫌で嫌で仕方ないけど、このままでは体が動かないから、背に腹は変えられない。
アンドレアは指輪は失ったとは言え、中指以外は無傷だ。腕力で抵抗されては危険だった。
「ガッ……ぁ……」
アンドレアの目から光が失われ、ガックリとその場に突っ伏した。魔力を吸いすぎたのだ。
とはいえ、さすがに私の能力では死ぬまで魔力を吸い尽くすなんてことは出来ない。おそらく強めの魔法貧血状態で、ただ意識を失っただけだろう。
魔力が補充されたからか、私の方は魔法貧血の症状が嘘のように消える。体に力が漲っていくのを感じていた。
そして私の手の中にも、アンドレアから奪い返した髪飾りがひんやりとした冷たさを伝えてくる。
そこでようやく、ほっと安堵の息を吐いた。
「よ、よかったぁ……ほ、本当に、今度こそ、駄目かもって……」
緊張の糸が切れて、その場に座り込む。
だが、あくまでアンドレアの意識を失なわせただけだ。
すぐに目を覚ましてしまうかもしれない。兵士やドミニクが察知して来てしまう可能性もある。
「……うん、逃げよう」
私は今度こそ、ここから逃げる決心をした。そしてリベリオが助けに来てくれるまで、時間を稼ぐのだ。
それに、指輪が破裂してから、この部屋の空気が変わったのを感じていた。
おそらく、鍵がないのに窓が開かなかったのは、魔法で結界のようなものが張られていたのだろう。
試しに窓を開ければあっさりと開いた。指輪と一緒に結界も壊れたのかもしれない。
私は意識を失ったアンドレアに視線を落とした。正しくは、その腰に下げた──剣を。
震える手を伸ばして、そっと鞘から抜く。
思った以上に重い。取り落としてしまいそうだ。
そしてギラリと反射する金属の刃はよく磨かれていて、いかにも切れ味は良さそうだった。
きっと、アンドレアはこの剣で自分に反対する人間を斬り殺してきたのだろう。
恐ろしくなって、ブルッと体が震えた。
私はズッシリと重い剣を両手で握りしめる。
震える切っ先をアンドレアに向け──けれど何も出来ずに降ろした。
──無理!出来ない!
アンドレアがどれだけひどい人でも、私には他人を傷付けることは出来そうにない。ヘタレと言われても構わない。私の勇気のない行動が、遠回しに誰かを傷付けることになってしまうかもしれない。それでも、平和な日本で生まれ育った倫理観では、いくら甘いと言われても、剣を持って人を傷つける自分を許せそうになかった。
代わりに重い剣を引きずって窓際へと近寄った。窓にかかるカーテンを強く引っ張って外す。
分厚くて丈夫そうな布だ。
けれど剣で切りながら引き裂けば、細長い紐状になる。切れ味がいい剣なのが幸いして、容易く布が切れる。この部屋に一切なかったロープ代わりになるという寸法だ。
その切れっぱなしの紐状の布をたくさん作る。まずは意識を失ったアンドレアの両手を後ろ手で縛った。その輪っかに更に紐を通して重いベッドの脚に括り付ける。一応両足も縛った上、目が覚めてから兵士を呼ばれても厄介なので、ついでに猿轡も噛ませておく。
これで意識を取り戻しても、すぐには動けないだろう。
私は次いで、たくさん作った布を三つ編みのように纏めて太く丈夫になるようにした。長さも足りていないので、結んで継ぎ足し、部屋中のカーテンを使って長いロープを作る。
思ったより時間はかかってしまったが、扉の外からは何の物音もしない。アンドレアが最初から私を辱めるつもりだったなら、一、二時間は誰も近寄らせないだろうと判断したのだが、正解だったようだ。
それを窓の近くにある、動かないようにしっかり固定されたソファーの脚に括り付けた。
窓を開けてロープを垂らす。
下を見るとかなり高い。けれどここから逃げるしかない。
私はロープを握り締め、窓枠に足を掛けた。




