43 聖女の力
目蓋の裏を走る光は、何かまた新しい魔法を使えるようになった証のはずだ。だが以前、リベリオが出発する際にも、同じように光ったけれど変化が分からなかった。今も何が出来るようになったのか分からないままだ。
「え……?」
そのきょとんとした声は、私ではなくメイドさんからだった。
私は彼女の手を掴んだままだったが、そこからうっすらと光が漏れている。
「い、痛みが……なくなりました……」
「えっ?」
彼女から慌てて手を離すと、あの痛々しい内出血が消えていた。
「な、治ってる……?」
「は、はい……体のどこにも……痛みが……」
そこまで言ったメイドさんの目から、涙がどっと溢れた。頰を伝い、パタパタと落ちるそれを拭いもせず、メイドさんは私の手を恭しく握った。
「聖女様……ありがとうございます……わたくしのような者にまで……このような奇跡を……」
「そ、その聖女様ってやめてください。私は紗奈です。そう呼んで欲しいし、お礼もいりません。私は感謝されたくてやったわけじゃないし」
「サナ様……ですが……」
「ううん、私こそ謝りたい。私、ロザーンの人だからって、貴方にひどい態度取ってた。でも私にひどいことをしたのはそもそアンドレアと、あとせいぜいドミニクとか言うあの人でしょう。なのに、この国の人だから信用できないって、貴方のことそう思ってた。でも、それじゃ、獣人だからってくくりで差別する人と同じだったよね」
同じ人間なのに、表面だけで差別するなんて嫌だなってずっと思っていたのに、自分も同じことをしていた。
私、馬鹿みたいだ。そんな当たり前のことに気がつくのに、何日もかかってしまった。
「……もし良ければ、貴方の名前を教えてくれませんか?私、このロザーンという国自体を嫌いになりたくないし、同じように貴方個人のことを知りたい。出来れば好きになりたいって思う」
「……マルグレートでございます」
「マルグレート、毎日食事を運んでくれたり、着替えを持って来てくれてありがとう」
メイドさん──マルグレートは静かに首を横に振り、再び跪いた。
「サナ様……ですが、私のこの体は調べられ、おそらくサナ様が行った奇跡であると、すぐに露見してしまうことでしょう……」
「うーん、でもそれは仕方がないよ。実感はないけど本当のことだもん」
確かにこのことがアンドレアに伝わった時を考えれば恐ろしい。でも、マルグレートの怪我を放っておく方が辛かった。だからそれは構わない。
私はそう考えて彼女に笑いかけた。
もしかすると、私の聖女の力というのは、自分のことだけでは無力なままで、誰かのためにと願った時だけ発動するのかもしれない。それなら、マルグレートがいなければ、私はこんなすごいことも出来ないままだったわけだ。
片付けをお願いして、改めて食事を持ってきてもらった。いつも通り冷めていたけど、いつもより少しだけ美味しく感じた。
そうしてマルグレートが下がってしばらくしてから、再びドアがノックされる。
現れたマルグレートは青ざめて震えていた。
「サナ様……申し訳ありません。これからアンドレア様が……いらっしゃいます」
「……うん、分かった」
とうとう来たのだ。
マルグレートは心情的には私に寄り添ってくれる。けれど、どうしても彼女や家族の命を守るためには何も出来ない。
でもそれは仕方がないことだ。私もマルグレートを犠牲にしたくない。
それに、これは私の問題だ。
そうは決めても不安が消えることはない。
頭に手をやって、リベリオからもらった髪飾りに触れて深呼吸をする。
しばらくの後、アンドレアがノックすらなく、押し入るように入ってきて、私は腰を浮かせた。
ニヤニヤとしているその顔は、最初に見た時ほど格好よく見えない。それは私の精神的な変化のせいだけでなく、表情にあるのは明らかだった。唇が歪んだように吊り上がり、やけに目がぎらついている。
近寄られて分かったが、吐く息がひどくお酒臭い。匂いもニヤつき方も、全てが気持ち悪くて、私は一歩後退りしようとした。だが一瞬早く手首を強く掴まれ、そのまま乱暴に引っ張られた。
酔ってるせいかもしれない。加減を知らない強さで引っ張られて、その場でたたらを踏んだ。
「聖女よ、ようやく力が扱えるようになったそうではないか」
酒臭い息を吹きかけられて、私は顔を背ける。
「そうだ。よく分かったであろう?大人しくこのロザーンに尽くすと言えばもっと良い部屋を用意しよう。美味い食事に酒、宝石やドレスがいいか?そなたの欲しいものをなんでも与える。だから早く見せてみよ、その奇跡の力を!」
「やっ……いたっ!」
「さあ、ほら、早く奇跡を起こすのだ。このロザーンの大地を潤わせ、民からの喝采をこの私に寄越せ!」
「やめてっ!」
強く掴まれた手首が痛む。私は渾身の力でアンドレアの手を振り払った。
私としてはただ振り払ったつもりだったが、手のひらが当たり、バチンと思いがけず派手な音を立てる。
「──なにをする」
アンドレアが私に叩かれた手を押さえた。
音だけで大して痛いはずはないが、不快そうに眉を顰めて私を睨んでいる。
敵意につい怯みそうな自分を叱咤して声を張り上げた。
今度こそ、ちゃんと言い返す。私はもう、怯えて言うことを聞くだけの存在ではない。
「わ、私は大人しく言うことなんて聞かない!貴方のやることは間違ってる!」
逆らうのは怖い。けれどアンドレアには、もう誰も忠告なんてしてはくれないだろう。したところで、聞く耳も持たず殺してしまう。けれど聖女のことはどんなに腹が立っても殺せないはずだ。
「もう、やめてください。ロザーンを良くするために、他所から無理矢理聖女を召喚したところで、その場しのぎでしかないと思います。今、この国に必要なのは、土地の整備や、今後の悪天候や不作への備え、農家の人への補償だとか、そう言うことじゃないんですか?」
私は精一杯アンドレアを説得しようと試みていた。
「ロザーンの人のためだっていうなら、他に出来ることが絶対にあるはずです。貴方は今、王様なんですよね?なのになんでこんな真っ昼間からお酒なんて飲んでるんですか。一般の人が災害で苦しんでいるから聖女を呼ぶというなら、その前にやることが──っ!」
「うるさい」
ぐっと首を掴まれて、息が詰まる。
体は震えている。足なんてガクガクしてその場に崩れ落ちそうだった。それでも気持ちでは絶対に負けないとアンドレアを睨んだ。
「うるさいなぁ……うるさい。うるさいんだよ、黙れよお前。どいつもこいつも、だからなんだよ。そんな綺麗事でどうにかなるかよ。お前分かってんのか、お前も民の命もどうだっていい。……俺が王として跪かれる存在であればいいんだよ」
アンドレアは虚ろな目をしていた。白目は血走り、興奮で瞳孔が開いている。私の方を向いているけど、見ているのは私ではない。どこかずっと遠くを見ているようだった。だと言うのに唇は止まらずに呪詛のような言葉を呟いている。
首を掴まれたまま動けない状態で、おぞましい言葉を叩きつけられる。ゾッと背筋が冷えていくのをとめられなかった。
もう完全に異常としか思えない。酩酊しているせいなのかもしれないが、怖くて仕方がない。
「俺の代だけ聖女で潤ってりゃそれでいいんだよ。大人しく聖女の力を垂れ流していろよ女風情が、生意気言いやがって、なんだよその目は父上も母上もなにがフランミリオの方が王に相応しいだ俺が先に生まれたのなら俺のものだこの国も金も酒も宝石も贅沢なもの全ても生意気なことを言うあの女も──お前も……聖女?ああ、ただの女だろ」
アンドレアの目に光が戻る。
けれどそれは良くない意味でしかないと感じ取っていた。
「そうだな。聖女と言ってもただの女だ。女なら、躾けてやればいい。ああ……そうだ」
何かに気がついたように唇の両端が吊り上がる。
ゾッと背筋に寒気が走った。
──まずい、逃げなきゃ!
慌てて逃げようと身を捩るが、首を掴まれていては振り払うことも出来ない。
だんだんと首を掴む手に力が込められて苦しくなる。全く呼吸が出来ないわけではないが、急所である首を掴まれること自体が恐ろしくて息が乱れた。
「そうだ、名案だ!」
アンドレアは場違いなほど明るい声を出した。
そしてその声と裏腹に、乱暴な手付きで私の首を掴んだまま引きずるかのように引っ張る。鼻歌を歌いながら機嫌よく、足取りも軽い。
掴まれた首が圧迫され、ぐっと息が出来なくなって目に涙が浮かぶ。
そのままドン、と強く押された。
背中から倒れたが痛みはない。
そこはベッドの上だった。
それがどう言う意味か、考えるよりも先に私は咳き込んだ。その合間に何とか酸素を肺に取り込む。苦しくて背中を丸めながら何度も咳をして、驚いた肺が落ち着くのを待った。何度も咳き込んだせいで喉がヒリヒリと痛む。掴まれていた部分を手で摩った。
「──聖女よ。これまでの非礼は詫びよう。そして、貴方には素晴らしい地位を与えよう。この私の──愛妾としてね。ほら、素晴らしいだろう?うれしいだろう!?素性もわからぬ卑しい女風情が、このロザーンという大国の王、その妾になれるのだから──喜ぶといい」




