42 痛み
「あのお方は狡猾ではありますが、言うことを聞く信奉者には飴を与えます。諦めて協力し、待遇が良くなる方を選んだ方が賢明でしょう」
「……貴方達は、諦める以外の抵抗はしなかったんですか。魔法士って、強い魔法とかが使えるんじゃないの?」
ラウムは静かに首を振る。
「アンドレア様はこのロザーンの国宝でもある魔法を無効化する指輪を持っています。魔法士が反乱を起こしたところでなんの意味もない。ただ、嬲り殺しにされるだけです。私なんて、本来は中堅どころのしがない魔法士でしかない。私より上の魔法士が軒並み殺されたから、この立場にあるだけの話ですよ……」
ラウムからはアンドレアを酷く恐れているのがひしひしと伝わってくる。
「聖女を取り戻したことでアンドレア様も数日は機嫌がいいでしょうが……それ以降は覚悟をした方がいいです」
話は終わったのか、そう立ち上がるラウムに私は話しかけた。
「ま、待って。アニムニアの……私の大切な人たちは無事でいるか教えて!」
「おそらくは、としか言いようがありません。貴方を見つけ出したドミニクは貴方の周囲を嗅ぎ回っていた。当然、アンドレア様にも報告は行っているでしょう。ですが、ドミニクも共に転移でこちらに戻っている。再びアニムニアを目指したところで何日もかかる。転移魔法を使える魔法士はもう少なく、魔力を無駄に使ってまで、今やる必要もないですから」
「そう」
言いながら私はひとまずホッとした。
全てを信じ込むのは危険だけど、みんなには無事でいて欲しい。
「ただ、貴方が大人しく従わないと、いずれ人質として使われる可能性はあります」
「……あの、私が聖女ということが間違いである可能性は、本当にないんですか。私、アニムニアでも闇魔法しか使えませんでした。魔法が使える人が少ないから、あの国で目立っていただけじゃないんですか。私の魔法なんかより、転移魔法を使える方がよっぽどすごいし」
そう言った私にラウムはゆるゆると首を振る。
「今でも貴方には闇魔法の属性しかないと魔法具ではそう示されます。ですが、貴方こそ聖女なのです。我々は最初から間違えていた。貴方個人の属性と聖女の力は基本的には別のものだということです。いえ、表と裏なのかもしれません」
「表と、裏……?」
「闇魔法は広く言えば対象から余剰を奪う力です。その奪った余剰が聖女の力の源であるのでは、と。奇跡のような魔法を体内の魔力でだけで補うのは難しいですから。闇魔法がそれを補う一端なのかもしれません。いえ、ただの受け売りです。それを提唱した魔法士も、既にこの世にいませんから……」
そう言うとラウムは疲れ果てた表情で部屋から出て行った。
私は彼の言葉を思い返して椅子の上で膝を抱えた。
アンドレアは恐ろしい男だ。たくさんの人があの人に殺されてしまっている。生きている人も怯えきっている。
私が大人しく聖女として言うことを聞けば丸く収まるのかもしれない。私が我慢するだけでいい。
──けれどそれでは、何も変わらない。
今までの日本で過ごした18年間。親の顔色を伺って、ささやかな自分の夢を持つことすら禁じられて、そして挙げ句の果てにここにいる。
今までと同じはずなのに、我慢をすることが心の底から嫌でたまらない。
リベリオに会いたくて仕方なかった。
それから数日の間は問題なかった。
日に三回、能面のようなメイドさんが着替えや食事を運んでくるだけ。
暇で暇でしょうがない上に食事のメニューも代わり映えしないし、何日経ったのかもすぐに分からなくなってしまいそうだ。
「お食事をお持ちしました」
いつも通りにお盆を携えたメイドさんが入室する。なんだかやけに危なっかしい手付きだ、と思った瞬間、彼女がふらりと傾ぐ。あっと思った時にはお盆がひっくり返っていた。
ガシャン、と金属のカップが音を立ててテーブルに当たり、スープやお茶の中身が彼女にかかる。
「だ、大丈夫!?」
「あ……も、申し訳ありません!」
能面のようだった顔に焦りの表情が生まれ、慌てて這いつくばった。ひどく怯えているみたいにカタカタと震えているし、真っ青だった。
「申し訳ありません、申し訳ありません!聖女様にお怪我はございませんでしょうか」
私の方には飛沫すらかかっていない。それよりも彼女の方が心配だった。私は慌てて彼女に近づく。
「あの、貴方こそ、火傷とか……大丈夫ですか……」
「だ、大丈夫です。申し訳ありません!」
口では大丈夫と言うが、彼女は右腕を押さえている。スープがかかって火傷でもして痛むのかもしれないと、思わずその手を取った。
瞬間、私は肩を震わせた。
長袖からわずかに覗く肌に、紫色に変色した痣が見えていたから。
火傷ではない。手で触った感じ、スープ類はいつも通り冷めていたようだ。
──これは、つまり。
「け、怪我をしてるんですか……?」
「大丈夫です、大丈夫ですから!聖女様、どうか御手をお離しください!」
私は黙って彼女の袖をまくった。
「……ひどい……」
痣なんてものじゃない。腕の内出血は広範囲に痛々しい色合いで腫れ上がっている。
どこかにぶつけたとか、そんな軽いはずがない。叩きつけられたとか、何度も叩かれたとか、そうでなければこんなに広範囲になるはずがない。
入室した時にふらついていたのも、きっとこのせいだろう。
もしかすると、服で見えない箇所に、もっとあるのかもしれない。
「……あの、誰かに、暴力とか振るわれてるんですか。それって、私のせい……ですか」
「……聖女様のお気になさることではございません」
いや、それはまさに私のせいでしかない。
私がいい返事をしないことで、アンドレアか、それとも他の誰かかはわからないけど、それを身の回りの世話をするこのメイドさんへ鬱憤をぶつけているとか、きっとそう言うことなのだろう。
もしかすると、私を懐柔しろだとか、そんな命令をされていたのかもしれない。でも、このメイドさんはこの数日、そんな態度は全然取らなかった。
「もし、私が聖女の使命を全うすると表明すれば、貴方は殴られないんですか?」
「……お止めください。わたくしのような者は捨て置きください。そのようなことをおっしゃってはなりません。……わたくしもロザーンの民です。聖女様を無理矢理に故郷から引き離したロザーンの民なのです」
無理矢理に聞き出すようにして、彼女がポツリポツリと語ったことによると、前の王様は聖女召喚に反対だったそうだ。そして、このメイドさん同様、城内にも人道にもとる行為だと感じている人は少なくないらしい。
けれどアンドレアは違った。元々獣人を人扱いしないように、異世界だろうが他国だろうが、自国のために無理矢理さらった人間を強制的に働かせることに、罪悪感すら感じない人間なのだそうだ。
ロザーンは近年、悪天候や不作が続いていた。だから国を豊かにして、人心掌握をするために聖女を手に入れる必要があったのだという。
アンドレアは、国宝である魔法を無効化する指輪を奪い、兵を率いて聖女召喚の反対派を尽く処刑していったのだそうだ。
それはラウムの語ったことと同じだった。
「……そんな、酷すぎるよ。たくさんの人が不幸になってる。聖女で国が豊かになったって、一時凌ぎでしかないじゃない。みんな諦めて、辛そうな目をして生きていくなんて……」
「仕方がないことなのです。わたくしには貴方様を逃して差し上げる力もございません。……わたくしにも子がございます。貴方様と同じ、女の子で……だからその子のためにも死を選ぶことも出来ず……」
子供がいると言ったメイドさんは、体の痛みを堪えている時よりも1番痛そうな顔をしていた。
──助けたい。
傲慢かもしれない。私は弱いし、聖女らしいことは何もできない。でも、痛みを癒してあげたい。
そう思った瞬間、目蓋の裏に強い光が走った。




