40 二度と訪れたくない場所
景色がぐにゃぐにゃと歪み、溶ける。
次の瞬間には見知らぬ場所に飛んでいた。何度か経験したことのある転移魔法だ。けれどリベリオと転移した時とは違い、ひどい回転性の目眩にその場に膝をついていた。
胃がムカムカして気持ちが悪い。貧血を起こしたように血の気が引いて目の前が暗く、きつく瞑った瞼の裏でチカチカと光の点滅が見えた。リベリオとの転移の時だって多少の違和感はあったけれど、まるで体が拒絶をしているというくらいひどいのは初めてだ。
しばらくして少し落ち着き、ゆっくりと目を開ける。
見知らぬ、と思ったがそんなことはなかった。濃い赤の絨毯が敷かれ、シャンデリアの輝く豪華な部屋。私のいる場所は他より一段高く、分厚い絨毯に直接刺繍でもしたのか金色の糸で魔法陣のような模様になっている。周囲には色とりどりの宝石らしきものが置かれ、その内の幾つかは爆ぜたように割れていた。
二度と訪れたくなかったあの場所。私が召喚された時の部屋だった。
──またここに戻ってきてしまった。
「アンドレア陛下──フランミリオ殿下は逃しましたが、この通り、聖女を捕まえて参りました」
「──ご苦労であった。フランミリオの件はともかく、よく聖女を見つけ出したものだ。後々褒美を取らせよう」
「はっ、ありがたき幸せ」
その声に、私は無意識に震えていた。
声の主は優雅な足取りで私に向かって歩いてくる。
何もない時ならきっと見惚れてしまうくらいのイケメンだけれど、今の私には恐怖の対象でしかない。金髪も整った顔立ちも変わらない。衣装はあの時よりも更に豪奢な物になっていた。
──ロザーンのアンドレア王子。
いや、今は王様なのかもしれない。それらしいことを言っていた気がする。
思わず身構え、己の体を無意識に抱きしめていた。
「おお、聖女よ。無事であったとは何より……」
「──ち、近寄らないで。私に触ったらその綺麗な服に吐いてやる。転移でまだ気持ち悪いんだから」
アンドレアは私の言葉に眉を顰め、慌てたように後退る。その滑稽な仕草に少しだけスッとした。
それと共に少し心が落ち着いた。今だって本当に怖くて怖くてたまらない。手も足も震えていた。でも、あの時は何も出来なかったし、声すら出せなかった。それに比べれば私だってほんの少しくらいは強くなったはずだ。もちろんただの気持ちの持ちようであって、闘ったとして敵うとは思えない。腕力や身体能力は何も変化していないし、闇魔法を使っても誰かを倒せるほどの強さはない。それでも強がりだって、ないよりはマシだ。
アンドレアは嘘くさいとしか思えない笑みを浮かべている。
「聖女殿、きっとなんらかの勘違いがあったのでしょう。貴方は召喚後、聖女に相応しい部屋へとお通しする直前に攫われたのです。言葉の通じない貴方は、哀れにもあの卑怯な獣人共に誘拐され、都合の良いことを吹き込まれて騙されていたのですよ」
アンドレアは私が事情を知らないとでも思っているのか、猫撫で声でそう言った。
「その証拠に、貴方はあの地でただの平民として暮らしていたそうではないですか。稀有なる異世界からの来訪者にそのような扱いなど失礼極まりないでしょう?ですがこのロザーンは違います。貴方を聖女として、ふさわしい待遇をお約束いたします」
私は召喚されてから、こちらの言葉がわかるようになるまでわずかなタイムラグがあった。そのせいでアンドレア達に偽者だと誤解をされたわけだが、あっちはそれを逆手にとって今度は私が騙されていたと誤魔化そうとしているつもりらしい。
私は強くかぶりを振る。
「……やめて。あの時、貴方達が何て言っていたか、ちゃんとわかっていたし、どんな風に扱われたかも絶対に忘れない。闇属性の聖女なんていない、偽者だって言ったのはそっちでしょう!」
アンドレアは誤魔化せないと知ってか、スッと表情をなくした。
「ひ、人の人生をめちゃくちゃにしておいて、何様のつもりよ!?私はこんなところに来たくなかった。アニムニアに帰して!」
私は突然、元の世界から召喚され二度と家に戻れなくなった。辛くても割り切って、ようやくこっちでの居場所を得て、──好きな人も出来て、前向きに第二の人生を生きて行こうと思ったら、また連れ戻されたのだ。
思わず感情的になっていた。好き放題にひとしきり喚くとハアハアと息が荒くなっていた。
そんな私にアンドレアは無表情に視線だけよこした。
「そんなわけにはいかない。お前はロザーンが召喚した聖女だ。我が国の物だ」
「……違う。私は物なんかじゃない。アニムニアは私をちゃんと人として扱ってくれた!」
「……聖女殿はお疲れのようだ。部屋に案内をして差し上げなさい」
アンドレアは手をパンパンと叩いてメイドさんを呼び出した。
「少し休めばロザーンの聖女としての自覚も出てくることでしょう」
私もこの場所に長居したくはなかった。何しろまだ軽い目眩があり胃がムカムカしているのだ。肉体的にも少し休みたかったし、頭の中がぐちゃぐちゃになっていた。
「こちらのお部屋でございます。必要な物が御座いましたらベルでお呼びくださいませ」
私は客間のような、これまた豪奢な部屋に通された。けれど能面のようなメイドが出て行ってすぐガチャリと外から鍵が掛けられたことにも気が付いていた。ここは言わば座敷牢のような部屋で、ただの客間ではないのだろう。
「リベリオ……私、どうしたら……いいの……」
思わずそんな泣き言じみた声が出ていた。
アニムニアは遠く、リベリオはいない。何処まで行ったか分からないけれど、きっと私とレクを助けてくれた時と同じく、遠い国まで誰かを助けに行っているのだろう。私が消えたこともしばらくは知る機会すらない。
リベリオがいないと怖くて不安でたまらなかった。
それだけではない。エイダさんの体も心配だった。まだ息があるとは言っていたけれど、ひどい怪我をしているかもしれないし、音波の魔法で耳や頭に深刻なダメージがあるかもしれない。考えただけで震えが走るほど恐ろしい。
それに教会のみんなも心配だ。私が大人しく付いていけば手を出さないとは言っていたけれど、あんな卑劣な奴らを信じられるはずがない。いるのが女性と子供ばかりの教会なのだ。けれど、どうか無事でいてと祈ることしか今の私には出来ない。
──もしも私が本当に本物の聖女であるならば、どうか私の大切な人達を守って。お願い!
私は目を閉じて強く祈った。
遠く離れた場所に効き目があるかなんて分からない。そもそも私には聖女の自覚なんてあるはずないのだから。
作物の収穫量が上がったとか、気候が安定したとか言われても、それは農家の人の努力や偶然であることを否定できない。
それでも今だけは、方向すらわからない遠く離れたアニムニアに祈った。
「──あ、そうだ!」
私はふと思い出し、頭の後ろに手をやって、すっかり体の一部のようになっていた髪飾りを外した。
リベリオからプレゼントされた銀の髪飾りにはトルコ石を緑にしたような不透明な石が嵌められている。これはアデル石──リベリオ曰く持ち主の危険を知らせるのだとか。そして、リベリオが転移する時の道標になってくれるはず。
これを持っていれば、いつかリベリオが助けに来てくれるかもしれない。
いつになるかは分からなくても、それは私の心を照らす希望の光みたいだった。
「──うん、負けない。怖いけど……でもリベリオにまた会えるまで、絶対に心折れたりなんて、しないんだから!」
私は決意と共に髪飾りをぎゅっと強く握り込んだ。




