39 侵入者
背中にじわりと汗が浮かび、心臓が激しく音を立てていた。
エイダさんも青い顔できょときょとと不安そうに辺りを見回している。見るというよりは周囲の音を聞いているのかもしれない。忙しなくその茶色の耳が動いていた。
まさか泥棒だろうか。このカフェも順調に儲けが出ていて、リベリオからもこの辺りは治安がいいけど油断するなと口酸っぱく言われていた。
私も耳を澄ませてみるが、私の耳ではエイダさんの感じた物音とやらは全く聞き取れない。表に面した木窓は全部しっかりと閉めていたから、不審者がいたとしても外から覗かれてはいないはずだ。
「……サナさん、やっぱり誰か……いるかも」
「ほ、本当、ですか……」
「私、耳はいい方だから、間違いないです。い、家の周りをうろうろしてるみたい……」
エイダさんの両手は胸の前で組まれ、小刻みに震えていた。
「ど、どうしよう……」
アニムニアでは電話で警察を呼ぶことすらできない。大通りまで出れば街の見回りをする衛兵の詰め所があったが、私は足が早いわけではない。走ったとして、そこまで逃げられるだろうか。それならせめてエイダさんだけでも逃げてもらいたい。獣人の彼女は身体能力も私より高いはずだ。
「な、何人いるとか、分かりますか?」
「えっと……歩き回ってるのは一人だと思う。あ、でももう一人──あ、イッ、いたッ!」
直後、エイダさんは両耳を押さえてふらりと体を揺らした。
「エイダさん!どうしたの!?」
エイダさんは両耳を押さえたまま床に膝をついていた。私の呼びかけにも応じず、脂汗を垂らして苦悶に顔を歪めている。
「くッ、ぁ、ああっ!みみ、耳がッ!痛い痛い痛いッ!」
「耳……?」
体を丸めるように蹲り、両耳を押さえたまま激しく頭を振っている。耳を澄ませてみても私には僅かにキンと耳鳴りのような音が聞こえているだけだった。
「し、しっかりして!」
エイダさんはもうほとんど地面に倒れ伏していて、呻き声を上げるだけで私の呼びかけにも返答がなかった。肩に手を当てれば驚くほど熱い。
「──これ以上続けると、その獣人の女は死にます。耳から特殊な音波で脳を破壊する魔法ですから」
ゾッとするほど冷たい声だった。
いつのまにか裏口の方から侵入していたのだろう。
エイダさんはガクリと力を失ったように倒れ伏した。どうやら意識を失ったようだ。それと共に耳鳴りも聞こえなくなっていた。
「獣人には覿面に効くんですよ。逃げようとすれば再び音波魔法を使います。……抵抗せず、大人しくしてくださいますね」
そう言った男は、昼間に来たカフェのお客さんのおじさんだった。
手には宝石の付いた箱を持っている。その禍々しさからエイダさんが倒れた原因がその箱なのだと察せられた。
「あ、貴方は……」
いや、お客さんではない。客のふりをしてフラン達のことを探っていた不審な男。今は無感情にこちらを見ている。
昼間は優しそうに感じたその目は黒々とした穴のようで、空恐ろしいものを感じさせた。
もう一人、暗い色のローブを着込んだ見知らぬ男がいつのまにかおじさんの背後にいて、こちらを見て頷いた。
「……間違いない。我らが召喚した異世界の聖女だ」
──その声を聞いて私は思い出した。
かつてロザーン国に召喚された時にいた魔法使いの男が、目の前にいる。
心臓が鷲掴みにされたように息が出来なくなる。はっはっと浅い呼吸を繰り返して声を絞り出した。
「わ……私を……追ってきたの……!?」
「まさか。こんなところにいるとは思ってもみませんでしたよ。フランミリオ殿下の追跡時に偶然見つけただけですが……しかしこれはよい拾い物でした」
「フランミリオ……殿下……?」
フランミリオとはフランのことだろう。しかし殿下という敬称に私は眉を顰めた。
「おや、ご存知ないのですか。ロザーン国の第二王子、フランミリオ様ですよ。遊学に託けて行方をくらましたため、手引きをした魔法使い共々追っ手をかけていたのです。あの足でどこまで逃げる気なのやら」
「だ、第二王子って……」
「ええ、貴方をこちらに呼び寄せた、偉大なるアンドレア殿下の弟君であらせられます」
ヒュッと私は息を呑んだ。目の前が暗くなっていく。じん、と頭蓋骨が冷えていくかのようだった。
今も夢に出る。忘れもしないロザーン国での出来事を。私を聖女の偽者だと詰り、指を突きつけられたあの時。勝手に呼び出されて、もう2度と家に帰ることも出来ず、挙句の果てに聖女ではないならとゴミのように奴隷として売られた恐怖と屈辱。たまたまリベリオに助けられてアニムニアに来ることが出来ていなければ、今頃生きていられたかも分からないほどに辛かったあの日々のことを。
そう遠くない過去の出来事がフラッシュバックし、頭がクラクラとしていた。その場にしゃがみ込まないことが不思議なくらいだった。
「あと少しのところでフランミリオ殿下には逃げられてしまいましたが……アンドレア殿下へのよい土産が出来ました。いえ……きっとそろそろアンドレア陛下となられている頃でしょう。即位の祝いの品としてふさわしい」
「……そんな……」
「さあ、ロザーンへの道を開いてください。聖女を連れ帰らねば」
「い、嫌っ……!わ、私は行かない!」
私はようやくそれだけを振り絞るように言った。
「か、勝手なこと言わないで!そっちが聖女じゃないって、一方的に捨てたくせに!わ、私は聖女じゃない、ただの一般人なの!」
「いいえ、貴方は本物の聖女なのでしょう。調べさせてもらいましたが、極めて珍しい魔法を使っているというではないですか。しかも貴方がアニムニアに来た辺りから、この近隣では作物の収穫量が格段に増え、品質も良くなっている。河川の水の濁りも減り、旱魃も大雨もなく、天候が非常に安定しています」
「そ、そんなの──」
「……あれから何度も召喚をさせられたが、再び聖女を召喚することは出来なかった。その代の聖女は絶対に一人しか召喚出来ない。我々は間違えていなかったのだ!」
「ええ、その通り。これが全て偶然のはずがない。貴方が聖女だからです。聖女がいる土地は安定し、魔力に富み、豊かな土壌となる。……そして聖女を呼んだのは我らがロザーンなのですから、その恵みはロザーンにもたらされるべきだ」
そう言いながら、彼は倒れ伏したエイダさんを指差す。
「貴方が大人しくついてくるならこの獣人の命は見逃しましょう。まあ、もう虫の息でしょうがね。もしも貴方がそれでも拒否をするのであれば、この女だけでなく、あの異教徒の教会の人間を殺します。汚らしい獣人の子供を並べ、貴方がよい返事をするまで一人ずつ……」
「──っ!やめて!」
その酷薄そうな目は決して脅しではないと私に伝えていた。私が教会のフォクシー達と仲良くしていることも短時間で調べ上げ、召喚された聖女としての裏を取っている。
「わ、わかった……ロザーンに……行くから……みんなに手を出さないで……」
私の声はひどく震えていた。声だけではない。手も足もみっともなくガクガクと震えている。
私の返答に男達はニヤリと笑い、魔法使いのローブを来た方がなにやら道具を取り出している。
私はそれを横目に見ながら、手をぎゅっと強く握る。震えはどうにもならない。それでもきっぱりと言った。
「──でも、もしも私の大切な人をこれ以上傷つけたら、わ、私は死を選びます。これはただの脅しじゃない。……貴方達だって聖女に死なれたら困るでしょう」
心臓は体から突き破って外へと飛び出しそうなほどだったし、膝もガクガクと震えて立っているのがやっとだった。それでも私は私の大切な人達を守るために、そう喉から言葉を絞り出した。




