36 転換点
次の日の朝、私はどんな風にリベリオと顔を合わせればいいんだろう、なんて生温いことを考えていた。
昨晩は一晩中ふわふわとしているみたいで、こっちに来て初めて一人で夜を過ごしたって意識さえすっかり抜け落ちていた。勝手に頰がくにゃくにゃして笑顔になってしまう。デレデレのそんな顔は誰にも見せられないくらいひどいものだ。昨日のことを思い出してはニヤニヤしたり恥ずかしくなってジタバタとしていたらもう朝だった。もう間も無くにリベリオがやってくる時間になるだろう。
──けれど、私の望んでいた、平穏で気恥ずかしい、そんな朝の風景は訪れなかった。
「……すまない、サナ」
そういうリベリオの隣には美人なお姉さんが立っていた。茶色い犬の垂れ耳を持つ彼女は、ロッソさんの恋人のエイダさんだ。二人のデートの時に何度か店を利用してくれた縁で私とも顔見知りになっている。
私は恋人になったばかりのリベリオに対して照れるよりも、何故この二人が一緒に、と目をパチクリとさせた。
「リベリオ殿下、サナさんにちゃんと説明してあげてくださいね」
「ああ……」
リベリオは私を連れて土間に足を踏み入れた。
「……本当にすまない。今日は店に出られそうにない。それで彼女に頼んだんだ」
「な、何があったの」
嫌な予感に胸を押さえて私は尋ねた。
私は前々からリベリオがなんらかの公務や、レクのように売買された子供を助けに行く可能性があることは分かっていた。
「……教会に新しい子供が来たのはもちろん知ってるだろう。その子供たちはとある国で保護されたんだが、元々はもっと人数がいたらしいんだ。だから……」
「……うん、分かった。行ってきて」
ここしばらく、私と行動を共にしてからは一度もなかったけれど、いつかこんな日が来るのは分かっていたのだ。レクのように酷い目にあった子供がいるのかもしれない。そんな子供を少しでも早く救出するために行くとリベリオが決めたことだ。
「いいのか?」
「リベリオは優しいから、そんなことを聞いて放っておけないでしょ。雇う時にもそれも込みで雇ったんだもん。行かないで、なんて言わない。でも、気をつけて……なるべく怪我とかもしないでほしいな」
「……ありがとう」
本当は行って欲しくない。けれど、リベリオを困らせたり、負担になることも嫌だった。私はスカートをぎゅっと掴んで笑顔が曇らないように耐えていた。
「ごめん、サナ」
「ううん、私は平気、だから……」
「サナ……」
リベリオは私をぎゅっと抱きしめた。いつも料理で器用さを発揮するその指で、今は私の髪を撫でている。
その感触がくすぐったくて、なのに胸が締め付けられるほど切なかった。
私はリベリオが無事に帰ってきてくれるようにと祈ることしかできない。どうか、リベリオが怪我をしませんように、子供もすぐに救出出来て、みんな無事でいますように──。
久しぶりに目蓋の裏に強い光が走る。けれど私にはなんら変わったところも、新しい魔法を覚えた感覚もなかった。
「……サナ、今何かしたか?」
「え?」
リベリオの言葉に首を傾げた。新しい魔法が使えるようになったわけでもないようだし、自分でもよく分からなかった。だがリベリオは何か感じたのだろうか。
「えっと……何もしてないよ」
「……そうか。気のせいか。不思議と力が湧いた気がしたんだ。……無事にサナのところに帰りたいって気持ちのせいかもしれない」
リベリオの言葉に私は顔を赤くした。
リベリオのアイスブルーの瞳が私をじっと見つめている。その目に見つめられるだけで心臓が落ち着かなくなってしまう。
「う、うん。無事に帰ってきてね」
「ああ。約束する。サナもその髪飾りは常に付けていてくれ」
「お守りの石なんでしょ。うん、昼間はずっと付けておくし、寝るときは枕元に置いて寝るよ」
「ああ。それは持ち主が危険に晒された時に、教会にある大アデル石にそれを知らせると言われている。フォクシーのいるところじゃなく、王都の大教会のアデル石のことだ。それに俺が転移する際の目印にすることができるんだ。長距離を飛ぶ時、全く知らない場所に出るのは危険だからな」
私はそれを聞いて目をパチパチとさせた。
「それじゃ、レクを助けにきた時も」
「ああ。亡くなった母親に言われた通りアデル石をお守りにして身につけていたからな。これから探しに行く子供も持っているといいが……」
「……無事だといいね……」
「ああ……」
「今日からしばらくは私がお店を手伝うわね」
エイダさんはそう言ってにっこりと笑った。
リベリオはすぐに戻ってしまった。正直寂しいし不安だ。それでも今日もいつも通りに店は開かなきゃいけないから、エイダさんに手伝ってもらえるならありがたい。
「えっと、でも、エイダさんはお仕事の方はいいんですか?」
ロッソさんの彼女のエイダさんは、小物のお店をやっていると聞いていた。ロッソさんから開店祝いにもらった花瓶もエイダさんが選んだ可愛い品で、そのセンスの良さが窺える。しかもやたらも花が長持ちするのだ。特殊な材質なのかもしれない。
「ええ、大丈夫よ!こないだまで在庫の特売をしていてね、今は商品の入荷待ちでほぼ開店休業って感じなの。だからしばらく休んで、いっそお店の工事でもしようかと思っていたのよね。ちょっとガタが来てるところあったし」
「それならいいんですけど……」
エイダさんの言うこともどこまでが本当かは分からない。リベリオが無理を言って頼み込んでくれたのかもしれない。けれど時間もないし私には他に頼めるあてもない。顔見知りでしかも接客に慣れているエイダさんが店の手伝いに来てくれたことに感謝しかない。
「じゃあよろしくお願いします!」
「任せてちょうだい!どうせ工事じゃ働けないんだし、こうして少しでも稼げるのは助かるわ!お金を貯めて、いつかは王都の外れに大きな家を建てたいのよね。でも王都は物価が高いから」
エイダさんは快活そうに笑い、やや巻きの強い尻尾がパタパタと揺れた。
「それにサナさんともこれを機に色々お話してみたくて」
「え、お話、ですか?」
「そう、まずね、この店の食器ね。冷たい飲み物にはもっと薄くて軽やかな雰囲気の陶器の方が似合うと思うのよね。色も青とか、涼しい色合いね。確かに薄い陶器って割れやすいし、ちょっと高値なんだけど、こう手に持った時や唇へ当たる感触が全然違うでしょう?私ね、輸入雑貨も取り扱っているのよ。これからはそういう薄い食器を仕入れようと思っているけどそういうのに興味はないかしら?」
エイダさんはウキウキしながら話し出す。尻尾もどんどん機嫌良さそうに大きく揺れている。話し出したら止まらないところとか、まるでシビラさんみたいだ。獣人の女性はこんな感じで朗らかでお喋り好きな人が多い。
「それから恋話もしたいわ!ねえねえ、サナさんってリベリオ殿下とお付き合いしているのでしょう?リベリオ殿下はほら、見た目は本当にお綺麗だから当然追っかけはいるけど、今まで浮いた話の一つもなかったのよね。だからそこら辺気になっちゃって。詳しく聞かせて欲しいわ!それから私とロッソの馴れ初めも聞いてちょうだい!」
「そ、それは楽しそうで、とてもいいですね。でも、そろそろ開店の時間なので説明聞いてもらっていいですか!」
このままでは店にシビラさんが来たら賑やかさが二倍になってしまいそうだ。けれどエイダさんの快活さはリベリオと離れた寂しさを少しだけ軽減してくれそうだった。




