第135話 風の巫女
突然、床に突っ伏して目をぐるぐると回しているアリアに、黄色い光が降り注いだ。
後ろを見ると、アンナとティアがゆっくりとこちらに向かって歩いてきていた。
「……わ、私は一体……? そうだ! お兄ちゃんに脇腹を……」
ティアの完全状態異常回復魔法が舞い降りて目を覚ましたアリア。驚いたような大きな声を出した後、徐々に小さな声になっていき頬を赤らめる。
「アリア、さっきのはやり過ぎすぎだ。本当に心配したんだよ」
「……ごめんね、お兄ちゃん。でも……き、もちよ……」
「きもちよ?」
俺が聞き返すと、アリアの顔は真っ赤に染まっていく。
「何でもない! お兄ちゃんのエッチ!!」
ふんすっ! と言いながら視線を反らすように再び俯くアリア。女性の考えは本当にわからない。
「アリア、お芝居はもう終わりましたか?」
「アリアは本当に何でも上手いよね」
俺の両隣から声がした。そこには銀髪と金髪の女神。
しかし、そこには聞き逃すことのできない言葉が。
「えっ? 芝居? 上手い?」
思わず素っ頓狂な声が出てしまう。
「途中からしか見ていませんが……。欲に駆られて力いっぱい抱きついたのは失敗でしたねアリア」
「本当に欲望がだだ漏れだったよね。いつか振り向いてくれる? なんて」
突っ伏したままのアリアの全身はビクリと大きく震えた。
「わ、私だって……お姉様やアンナさんに負けないくらいお兄ちゃんの事がっ――」
両手を地につけて、力強く体を起こしながらアリアが吼えた。
「「私達に負けないくらい……何ですって?」」
氷点下を思わせる声音が聞こえ、アリアは横を向いた!
両隣から発せられる殺気がビリビリと皮膚を通して伝わってくる。ナニコレコワイ!
額を一筋の汗が伝い、床に小さな染みをつくる。それさえも途轍もない長い時間のように感じた。
しかし、このままの状態はイクナイ。
ここは俺が、スーパーモブマンである俺の出番。
ピアノで言えばカデンツァ、競馬で言えば第四コーナー、焼肉定食で言えば残ったタレ。
つまりは最大の見せ場というわけだ。
俺は大きく息を吸い込むと、その場に勢いよく立ち上がった。
「え〜と、今日も良い天気でしたね〜」
俺の一言で三人の視線が集中する。流石、天気ネタである。天気の事を気にしない人はいないのだ。
「でも、今晩は冷えそうなんだよね……」
更に続く句で、両隣の二人が顔を見合わせた。そして頬をほのかに染めながらモジモジと恥ずかしそうだ。
うん、意味がわからん。
「あ、そうだ! 引っ越しのこと忘れてた!」
女神二人からの視線を受けて、横を向いていたアリアがはっとして俺の方を見上げてくる。その瞳を輝かせながら。
どうやらアリアは引っ越しに目がないようだ。
「みんなが仲直りしないと……」
天気の話でつかみを入れて、適当に広げたところで本題に入るこのパーフェクツプラン!
そら見ろ! 三人は俺の話を聞く体勢になって……、なって……、なっていなかった!
両隣の奥様〜ズの二人は、俺の手に「の」の字を書いている。照れながら。
「えっと……、アンナさん? ティアさん? 一体どうされたのでしょう?」
「「だって、ヤクモが今日の夜、冷えるなんて言うから……。一緒に寝ようっていうことでしょ?」」
奥様達は意訳がお上手なようで。
「は、はは、そうだよね〜。と、ところでアリアはどうしてそんなにキラキラなのかな〜?」
「お兄ちゃんが私についてこいって言うから!」
はて? この子は先読みでもできるのかな?
「は、はは、は……。もうどうにでもなーれ」
何だか険悪な雰囲気ではなくなったので、これでヨシ!
一時間が経って、各々の準備が終わった。
俺は大きな荷物はない。大切な物は風のナイフくらいだろうか。
アンナとティアは何も持っていない。移動させる荷物が多すぎて、運送業者に依頼するようだ。
アリアも何も持っていなかった。と思ったら、右手に何かを隠すように持っていた。
「アリア、それは?」
「お兄ちゃんには内緒!」
“には”ってどういう事なんだ。俺以外には見せるということなのだろうか。
聞きすぎると機嫌を損ねそうなので、今は諦めることにした。
全員で階段を降りて行くと、ロビーでティアンネさんが出迎えてくれた。
「アンタ、ついにやりやがったね!」
「ティアンネさんの言ってることが分からない」
「聞いたよ! 公爵に指名されたらしいじゃないか。アンナちゃんの地図を持ってきた頃が遠い昔のようだよ」
冒険者ギルドでアンナから聞いたことを思い出した。風の乙女亭がなければどうなっていたのだろう。
「ティアンネさんには感謝してもしきれないよ。また遊びにくるから!」
「いつでも来な。それとアンナちゃん、ちょっといいかい?」
「どうしたのティアンネさん」
アンネはティアンネさんに呼ばれて、ロビーの奥に入っていった。
しばらくして戻って来た時、初めて見るくらい顔色が悪くなっていた。
「アンナ、大丈夫……え!?」
触れようとすると、アンナは俺に抱きついてきた。そして……。
「お母さんが……、お母さんが生きているらしいの……」
アンナの声は小さく震えていたのだった。
アンナ(今日は冷えるってどういうこと!?)
ティア(肌と肌で温めあうということですか?)
アンナ(ティア! 今晩は譲れない!)
ティア(それでは三人で、ですね)




