第117話 女神の宝珠
部屋の奥に向かって歩いていたシュタイン王が、急に立ち止まった。
「この壁にはライフカードやギルドカードと同じ、血に反応する仕掛けが組まれている。王家の血縁者が壁に触れると――」
シュタイン王は壁に向かって手を添える。すると壁は音もなく消え去った。
俺達は再び前に歩き出した。
「後でお前の血を登録する。アイリーンに恥をかかせたのだから普段より多めにな」
やっぱりお義父さん、怒っていらっしゃった! しかし、口調がビックリするほどフランクになっている。
「お父様、わたくしは恥だと思っていません! それより気持ちよか――」
俺は思わずエリーの口を押さえた。かなり危険な言葉が口から飛び出そうな気がしたから。
シュタイン王は、それを見てため息をつきながら、半眼で俺を見た。
「はぁ。どうやって、あのアイリーンをこれだけ懐かせたんだ。一本気で男嫌いだったのが信じられん」
「お父様、わたくしを変な人みたいに……。色目ばかり使われていた身にもなって下さい!」
「王族なんだから仕方ないだろう? 俺としては、妻のシェリーと約束事が叶えられたから満足だけどな」
「お母様との約束事、ですか?」
「ああ、そうだ。アイリーンの夫は絶対に、お前が選んだ男性にするという約束だった。まさか王族の娘を娶って、他の女性と重婚する色男とは思ってなかったがな!」
色男を強調された。確かに俺はパッとしない。
そして、背後から駄々漏れの殺気を感じた。
「お父様は三途の川を観られたいみたいですね。ティアもいることですし、閻魔様には会えないでしょうけど……ねっ!」
言い終わる前にティアのハイキックが、シュタイン王を襲っていた。俺が視認できたのは、シュタイン王がそれを側頭付近で腕を上げ、ガードしていたからだ。
「アイリーン、この力はなんだっ?!」
ハイキックを受け止めたシュタイン王が呻くように言い放った。その上体はブレているように見える。
エリーは冷たい瞳のまま、同じ足でローキックを放っていた。
仰け反ったままのシュタイン王は、受けきれないと判断したのだろう、バックステップでそれを躱した。
エリーはその動きを読んでいたようで、ローキックした足を地面につけて、逆の足を使い回し蹴りを放つ。
「ぐっはぁ!」
バックステップ中で足が浮いていたシュタイン王は、今度こそ避けることが出来ずに、直撃を受けて壁に吹き飛んだ。壁に衝突した音が大きく響く。
「エリー、風の防護壁で防音は気にしなくても大丈夫だよ」
アンナの事前準備は万全だった。エリーは、シュタイン王に向けている瞳とは全く違うものを、アンナに向けた。
シュタイン王は壁を背に、前傾姿勢で崩れ落ちようとしていた。一気に間合いを詰めたエリーは、膝蹴りを顎に向かって打ち上げる。
空中に打ち上げられるシュタイン王。既に意識はないのだろう、その姿は糸の切れた人形の様。
その時、シュタイン王を黄色い光が包み込む。それと同時に失っていた意識を取り戻したようだ。
しかし、それは傍目に見ても不幸の始まりだった。身動きの取れないシュタイン王は、エリーの連撃を受けたのだから。そして再び糸が切れたような人形が出来上がっていた。
何度も三途の川を渡ったであろうシュタイン王は満身創痍だった。
「アイリーン、どんな事をしたんだ?」
生まれたての仔鹿のようにガクガクと震える足に鞭打って、チワワのような潤んだ瞳で訴えるようにシュタイン王は訊ねた。
「お父様、それはどうしても話さなくてなりませんか?」
エリーはこちらを一目見て、恥ずかしそうに俯いた。俺は、シュタイン王の質問に沿わない反応をみて違和感を感じる。
シュタイン王は無言で頷いて、答えを促した。
「さ、最初は普通だったのですが、しばらくして、よ、四つん這いになったり、立ち上がって後ろから――」
「待って! ちょっと待って! エリーは何の話をしてるのっ!?」
俺はエリーの声に被せるように大声を出した。シュタイン王の視線は絶対零度よりも冷たい。
奥様達は、顔を赤くしながら内股になってモジモジしている。ピリス! なんで君までっ!?
「だって、お父様にどんな事をと聞かれたので……」
恥ずかしさに赤く染めた頬が、その吐息の熱さを物語っている。
「「娘にそんな事を聞く父親がいるわけがない!」」
俺とシュタイン王は美しいハーモニーを奏でた。そして熱い握手を交わす。
お義父さんと息子の美しい画がそこにはあった。
大乱闘が済んで、俺達は女神の神殿と呼ばれる場所にたどり着いていた。
神殿というより、神社などでみる小さな祠をイメージをした場所だった。
大理石で造られた小さな祠の中に、この世の物とは思えない独特の輝きを放つ卵大の宝珠がある。
不思議と見ているだけで、心が穏やかになっていく。秩序を司る女神の一部というのも納得ができた。
俺はその宝珠に心を奪われたように、一歩、また一歩と前に歩き出していた。
その動きを止める者も咎める者もいなかった。
宝珠の目の前まで来て、俺は無意識に手を伸ばした。
「待て! それに触れるんじゃない!」
シュタイン王の制止を促す声は余りにも遅かった。
女神の宝珠は俺が触れると、より一層輝く。
―― ようやく会えましたね、わたしの愛しい息子。貴方の能力でこの世界を混沌の女神から救って ――
部屋に響く音は、声のような、風のような不思議な感覚だった。
シュタイン王「アイリーン、戦闘能力はいくつになったんだ?」
エリー「五十三万です」




