第111話 譲れない事
微睡みが通り過ぎ、目を覚ました。隣で美しい銀髪をベッドに垂らしたアンナが俺を見ている。
「ヤクモの寝顔が可愛くて、起こせなかったよ」
俺のセリフをぶんどったアンナは、柔らかく微笑んでいた。
「眠ってしまっていたみたいだ。アンナ、今、何時くらいか分かる?」
「ヤクモの部屋は時計がないのね。多分、三時くらいだと思うんだけど」
「謁見が五時って言ってたから、そろそろ用意しないと間に合わなくなるかな」
俺が半身を起こすと、アンナは目の動きだけで追ってきた。
「ヤクモはよく直ぐに動けるのね……。何だか体が自分のものじゃないみたい……」
恨めしそうな声でシーツを引き寄せている。どうやら体が動かないみたいだ。
確かにあれだけ乱れると、色んな意味で大変だったと思う。普段の優しい雰囲気とのギャップが、とても魅力的だった。
「アンナはとても可愛かったよ。俺は、食堂から簡単な食事を持ってくるから、休んでおいて」
「ヤクモ待って。風よ、刃となりて、切り刻め」
アンナが呟くと、かまいたちが部屋の壁を切り裂いた。四角形に切り目が入った壁は、その傷に抗えず大きい穴を空ける。
「えっ!? どうして壁に大穴を?!」
どう見ても修復不可能な大きい穴を見て慄くしかできない。
「いつでもヤクモの部屋に来れるように、ずっと計画していたの。ティアンネさんに、許可はとっているから大丈夫だよ!」
事もなげに、恐ろしい計画を無邪気に話すアンナ。
俺は自分の部屋にある扉が、お亡くなりになっている事を思い出した。
そして、床に散乱している服を来て、アンナの部屋から食堂に向かう。
「あなた、いってらっしゃい!」
後ろから聞いたことのある言葉が、俺の後頭部に直撃した。
アンナの部屋から出た時、ティアが部屋から出てきた。
なんというタイミング! なんという間の悪さ!
ティアは俺の気配に気が付いて、にこやかに微笑んだ。
「その様子だと、アンナとも結ばれたみたいですね」
「そ、そのティア、離さないとか大切にするとか言ったその日に、ご――」
ティアの人差し指が俺の口へ添えられる。謝罪は指先一つでダウンした。
「昨日も言いましたが、ヤクモを独占しようとは考えていません。ヤクモが考えないといけないのは、わたくし達全員への愛情の注ぎ方ですよ」
何故かティアは注ぐという部分で、恥ずかしそうにしていた。
「そうだね、同じというのは難しいと思う。でもティアもアンナもエリーも等しく大切なんだ」
「ヤクモなら大丈夫です」
ティアが俺の腕を掴み、体を寄せてくる。たわわに実った果実は、容赦なく襲ってきた。
「ティ、ティア、当たってるよ!」
「わざとよ」
何処かで聞いたセリフと共に、妖艶な笑みたたえて更に体を寄せてくる。
俺達は新郎新婦のように階段を共に降りていった。
ティアと食堂に入ったとき、アリアが忙しそうにしているのを見付けた。
既に食事のピークは終わっており、お客さんの姿は皆無だ。しかし接客以外でも仕事は沢山ある。
俺はアリアを呼んで、軽食を作ってもらうように伝える。ティアを席に着かせ、対面に俺も座った。
「ティア、その、なんて言うか、大丈夫?」
「昨日ゆっくり休めましたので、もう大丈夫ですよ」
昨日は辛そうだったので不安に思ったが、ほぼ回復できているようで安心した。
「お兄ちゃん、ニヤニヤして気持ち悪い!」
アリアは不機嫌そうに、勢いよくトレイを机の上に置いた。
そんなにニヤニヤしてました? そんなことないよね?
「アリア、それは言いがかりだよ。今、ニヤける所なんてなか――」
「ふんっ! お兄ちゃんのエッチ!」
アリアはキレッキレのターンで、厨房へと走っていった。
「ヤクモは相変わらずですね。アンナに、この軽食を持っていってあげてください」
「ティアも分かんない事を言うね」
俺は立ち上がって、トレイを両手に持ち上げた。そして、落とさないように慎重に運ぶ。
突然、ティアから飛び道具が俺を襲った。
「アリアもヤクモの事を愛してますよ」
その言葉で振り返ってしまう。大きな動作は、トレイにのっている軽食を踊らせた。
無情にも散乱する軽食。奥から走ってくるアリア。
「もう! お兄ちゃんは座ってて! わたくしが運んであげるから!」
言うが早いか、アリアは動作に入っていた。そして、あっという間にもう一つの軽食セットが出来上がる。
「お兄ちゃん、部屋まで一緒に行ってあげるから付いてきて」
「はい……」
振り返るとティアはヒラヒラと手を振って、俺達を送り出していた。
俺は三階でトレイを受け取って、アンナの部屋に入ろうとする。
「お兄ちゃん、そこはアンナさんの部屋だよ。え? まさか……」
「アンナとは夫婦になるんだよ。部屋くらい入るよ」
「……お姉様は?」
「ティアとも結婚する。アリアとは家族になるね」
「お兄ちゃんのケダモノおおおおぉぉぉぉ!」
アリアの叫びは残響時間二秒をきちんと守りながら、風の乙女亭を揺さぶったのだった。
アンナの部屋から通り抜けて、俺のベッドにたどり着いた。
「ヤクモ、アリアに何をしたの、すごい声だったよね?」
「何もしないし、しようとも思わないよ。二人と結婚することを話しただけだよ」
俺はげんなりとしていたのに違いない。シーツを胸元まで上げたアンナは、少し寂しそうに微笑んだ。
「アリアもヤクモの事が好きだからね。でも私達はヤクモだけは譲れない」
アンナは決意を込めた表情に変わる。俺はそれが嬉しくて近づいてキスをした。
「ひゃん! どうしたのヤクモ、いきなりだとビックリするよ」
「アンナの言葉が嬉しかっただけだよ。お腹が空いてるよね? 一緒に食べよ」
「そ、そうね」
アンナは、ゆっくりとした動作でベッドに半身を起こして、食事を始めた。
俺はみんなが一緒にいる生活を思い浮かべる。
それは、とても楽しくかけがえのないものになるだろう。
そして絶対に守らなければいけないものでもあった。
エリー「まだなのでしょうか?」
コルトー「時間にはなっておりません。アイリーン殿下」
冷たい瞳がコルトーを貫いた。
コルトー「僭越ながら、壁ドンの件を思い出しました。殿下はもしや……」
その後、コルトーの姿を見たものはいなかった。




