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第97話 シュタインズフォート攻城戦 遅れてきた音楽家 前編

 今から数時間前。


 俺達を乗せたグングニルは、このシュタインズフォートに向かっていた。


 サンブリア公国を出立して、三日後の夕方。


 距離が近づくにつれ、その難攻不落の砦はその勇姿を明確にしていった。

 断崖絶壁を味方につけた砦は、近づく者を拒絶する要塞だった。


 しかし、遠目に確認できる距離になると、その感想は手のひらを返すように覆された。

 砦の門は破壊され、その役目を果たせずに朽ち果てている。

 物見塔やパラペットには焦げた黒い煤のような跡が沢山ついており、火を使った何かが行われたと思われる。


 そして、これらの状況は砦に王国の警備兵が、残っていない事を物語っていた。


 グングニルは、シュタインズフォートを遠巻きに眺めながら、迂回する。


 今度は王国側の景色が目に飛び込んできた。しかし、その状況に絶句する。


 砦前に広がる大きい草原には、焦げたような黒い煤の跡。

 それが広範囲に分布している。

 色々な場所からマグマが噴出したかのような有様だ。


 遠目にも、王国の装備をした兵士らしい人間を確認できる。

 かなりの人数が、倒れたままで動けなさそうだ。


「ティア、広範囲に状態異常回復と回復魔法を使えるかな?」

 俺が振り返ると、既に準備を終えていたティアが大きく頷いた。


 俺もティアのフォローをする為に、ヴァイオリンを構えて弓を引いた。


 激しく重なり合う音は、お互いを引き立て、時には相対し、響きをつくりだす。

 バッハのヴァイオリンソナタ第一番 プレスト。


 ティアの地力とスキルの効果を上げるには、最良の選択だろう。

 俺は五感の全てを音楽に託し、演奏を続けた。


        ☆


 ヤクモの演奏が始まった時、グングニルは平原の中心部付近の上空まで移動していた。


 アルティアは意識を集中して、効果範囲を拡大していく。

 グングニルを中心として、草原全体を範囲化していた。


 そうしていると、ヤクモの演奏がアルティアの身体を優しく包み込んできた。

 アルティアは、ヤクモからの抱擁に、心と身体が湧き立つのを自覚する。


 ヤクモを一目見たアルティアは、意を決したようにマナを解き放った。

「不浄なる邪を清め給え!」



 今まで使った事がない広範囲での魔法発動。しかし、アルティアに気後れはなかった。

 ヤクモが目の前に居るから。そして、アルティアの為に演奏をしているから。


 アルティアの放ったマナは、一筋の光となって夕日で紅く染まった雲を突き抜けた。


 そして上空で拡散された輝きは、白銀の光となって兵士達に降り注いだ。

 紅く染まっていた草原を塗り替える癒やしの白い雪。


 その温かい雪は、爆炎魔法で重度の火傷を負った兵士達を、包みこむ。

 火傷で壊死していた部位に雪が触れると、まるで何事もなかったように跡がなくなった。


 白い雪は白い光。アルティアは完全状態異常回復を発動させていた。

 しかし、火傷は治っても、傷までは癒せない。


「癒やしよ、その恩恵を与え給え!」

 間髪いれずにアルティアの魔法が発動される。それは兵士達の傷を癒やす為の回復魔法。


 オレンジ色で発動される回復魔法の輝きは、従来よりも美しい。

 エクスヒールと呼ばれる、ヒールの上位魔法だ。


 草原全体に降り注ぐオレンジ色の光。

 光のシャワーは兵士達についた傷を、洗い流すかのように癒やしていった。


 倒れていた兵士達は、一人、また一人と膝をついて立ち上がりだす。


 アシュケルの炎に焼かれ戦闘不能に陥った兵士達。

 絶望的だった状況は、聖女の奇跡により一転した。


「さすがはヴィドの聖女だね」

 ヤクモがいつの間にか演奏を終えていた。アルティアは首を小さく横に振って否定する。 


「ヤクモがいるからですよ、わたくしの力など……」


 徐々に距離を縮める二人。そして触れ合えるくらいの距離まで近寄ったときだった。


「そんな雰囲気つくっても駄目なんだからねティア。弟君も流されたらダメなんだからね!」

「本当にティアは抜け目がないですね」


 ヤクモはアンナに、アルティアはアイリーンに猫をもつように引っ張られる。

 にゃあにゃあと叫んでいるが、これは平常運転。


「おい、ヤクモ。これからどうするつもりなんだ? 当然、砦に乗り込むんだろ?」

 ジュリアスは、甲板の端までヤクモが引っ張っていかれるのを見て、ため息をついた。

 ヤクモはアンナに首をつままれている。


「お、おう、まずは状況を知りたいから、向こうに見えるテントに行くよ」

 ヤクモが指さした方向には、宿営地らしきものが見える。


 ジュリアスはそれを見て、驚いた表情を見せた。

 なんだかんだでよく見ていると思っているのだろう。


「お前は本当に抜け目がないな。全く見えていない所もあるけどな!」

 ジュリアスは語尾を強調して言った。アンナも深く深く頷いている。


「意味が分からない……、お姉ちゃんまで激しく同意しないでよ……」

 ヤクモは、首根っこをつままれたまま、ガクリと首を落とす。


「まあ、ヤクモらしいよな! 俺にはリアナがいるから関係ないけどな! それじゃあ、俺はキャリーにテントへ向かってもらうように言ってくる」

 ジュリアスは、爽やかに手を振りながら、甲板を降りていく。


「あのリア充め! 出会った時には同じモブだったのに……!」

 ヤクモは、ジュリアスの後ろ姿を見送りながら、呟く。にゃんこ持ちをされながら。


 真後ろにいるアンナには、その呟きは全て聞こえている。

 アンナは、動き出したグングニルに揺られながら、揺れる瞳をヤクモの背に向けていた。



 軍の宿営地上空に到着したグングニル。


 第一騎士団は、この飛行する帆船がどういうものかを理解している。

 副団長が先頭に立ち、何人かの兵士達が後に並んだ。


 甲板から縄梯子が垂らされ、乗っていた人物が一人、一人と降りてくる。


「ご苦労さまです。副団長、ピリス団長はどうしたのです?」

 最初に地面に足をつけたアイリーン。


 プラチナブロンドの髪を、風になびかせながら副団長と対峙する。

 その凛とした姿、毅然とした態度は、騎士団長の風格を表している。


「アイリーン殿下、申し訳ございません。ピリス団長はシュタインズフォートを攻撃の際、敵兵に囲まれ捕らえられました。敵軍が使う爆炎魔法は非常に強力で――」


「良いわ、ここに着く前戦場を見ました。それでピリス団長が捕らえられたのは、どれくらい前なの?」

 アイリーンは副団長を遮り、より詳しい情報を得るための質問をなげる。


「ハッ! 今から約三時間前になります。その時、敵に捕らえられたピリス団長に代わり、解放された冒険者がおります」


「直ぐにその者をこの場所に呼びなさい」


 アイリーンの指示に、副団長は末席にいた兵士に言葉をかけた。

 兵士は脱兎の如く駆け出す。


 アイリーンはその兵士が駆けていく姿を確認すると振り返った。後に控えるヤクモを見るために。

「ヤクモ、ピリスは大丈夫なのでしょうか?」


 副団長と話をしていた時とは全然違う声音。不安と甘さが混じりあった声。

 副団長と兵士達は出世スキルが発動して、見ざる、言わざる、聞かざるになった。


「出来るだけ急ぎたい。ピリス団長は地位のある人物だから、どんな状況でも利用できるからね」

 ヤクモは、アイリーンがリンバルに攫われそうになったときの事を、思い出していた。

 重要人物を確保できれば、国家間の交渉に大きなアドバンテージを持つことになる。


 そんな時、少し離れた場所で叫び声が聞こえた。それは近づいて来る。

 姿を現した叫び声の主は、アイリーンを見るなり、土下座をしながら絶叫した。

「アイリーン殿下っ! 何卒、何卒っ! もう一度、シュタインズフォートに攻撃をっ! アシュケルだけはっ、刺し違えてでも倒さないといけないんですっ!」


 なりふり構わず叫ぶ金髪のイケメンに、ヤクモは思わず声が出る。

「ルシフェル?」

 

 ルシフェルは顔をあげ、ヤクモを見る。


 今にも泣き出しそうな顔は、夕陽が落ちつつある平原に宵闇の訪れを告げているようだ。

 しかし、空には闇を照らす月明かりが、差そうとしていた。


俺「ティアは以前、範囲化すると効果が落ちるって言ったよね?」

ティア「その通りですよ、ヤクモ」

俺「草原全体に魔法をかけたのにどうして……」

ティア「スキルと演奏効果と深い愛ですよ」

俺はパッシブで出世スキルが発動した。

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