八月の脇役 その四
あーもー、やだなー、部屋に、いやむしろおうちに帰りたいなぁ、なんて思いながらも、今更そんな事はできないのは重々承知。しかたなく注目を集めないようにそっとドアをしめ、困惑げに眉をしかめている集団に合流した。
こりゃぁもう、お茶飲みながら自己紹介なんてする空気じゃないな。
「何かあったんですか?」
おそるおそる声をかけると(いや、知りたくないんだけどさー。話についていかないとさぁ)、みんながぎょっとしたような顔で一斉にこちらを振り向いた。な、何? こわっ!
そのあまりの勢いに思わず後ずさりする私の腕を、綺麗にネイルを施した手が掴んだ。ラメの入ったショッキングピンクにリボンのモチーフはかわいいけど、食い込んでるから! 痛いから! あと、カーディガンに引っ掛かったらほつれちゃうから!
「それ……。やっぱり、あなたね! あなたでしょ!」
「え? え?」
「あの事で恨んで……ねぇ、そうなんでしょ!」
なんか穏やかじゃない事になってるっぽいんですけど~。一体私が何をしたってんだ!
「白状しなさいよ。あなたが、佐々木さんを……!」
「まぁまぁ。ちょっと落ち着いてくださいなぁ、コガネさぁん」
「そーだよ。つーか、マジ、コガネの見間違いじゃね?」
完全にヒステリー状態に陥っているコガネ先輩を、二人の女性が私から引き剥がしてくれた。あ、この人達キャンパスで見たことある。
よくカフェテラスで二人でお茶してますよね? どんなに満席でも、周りの「譲れよ」って視線にも構わず、空になったコップを前に雑誌読んだりしながら長時間居座ってますよね?
いや、いいんですけどね。テイクアウトだって悪くはないさ……。天気さえよければ。
「あ、あの、一体何が?」
とにかく、佐々木さんに何か尋常ではない事があったらしいことはわかったけれど、もう少し詳細な情報を聞かせてほしい。そうお願いすると、二人は顔を見合わせてちょっとため息をついた。
「それがぁ。さっき教会で撮影の下見をしてましたらぁ、コガネさんがとびこんでいらしてぇ……。でぇ、ええとぉ……」
ベリーショートで、どちらかというと目つきが悪く、ボーイッシュな服装をしている人がおっとりと頬に手を当て、首をかしげる。この人は確か、もう一人の人から「ツグ」って呼ばれてたはずだ。
「んでさー、いきなり『佐々木さんが殺された!』ってわめいてさー。ちっ、せっかくイメージが固まってきてたのにさー」
頭のてっぺんからつま先、ついでに爪の先まで真っ黒なゴスロリっぽい格好の人が舌打ちする。こっちは「はっちゃん」とか呼ばれてただろーか。
……そんな場合じゃないのはわかってるけど、なんか、こう。うん。なんか二人とも、服装とキャラが合ってない気がする。
「まぁたいつものカン違いじゃないんスか?」
隅のほうにしゃがんでカメラの機材らしきものをいじっていた男の人が、ボリボリと首の後を掻きながらめんどくさげに茶々を入れると、コガネ先輩はキッと彼に振りむき、睨みつけた。
「本当に窓から見たのよ! だから確かめに行くって言ってんじゃない! ゴトウ君はいつものんきすぎるのよ! そんなんだから恋人もできないのよっ!」
今、コイビト関係ないよね? 彼女って、ののしりだすと止まらないタイプなのだろうか。敵が多そうで気の毒な事だ。
「まーまー、コガネちゃぁん。おちつこーよ。ほらほら、もうすぐ来るかもしれないしさ」
くすんだ金髪をした人がひらひらっと手を振っておどけてみせた。しかしその隣で腕を組んで考え込んでいた眼鏡の人は首を振った。
「しかし、ヒワダ。楽観したい気持ちはわかるが、万が一本当だった場合手当てが必要だろう。やはり確認したほうがいいと思う」
そいつぁもっともだ、さすが助監督、とみんなが頷き(へー、この人が助監督さんなんだ)、しかし全員が行くのもなんだから、というわけで偵察部隊が派遣されることになった。
「で? あなた、今までなにしてたわけ?」
ホールからティールームに移動した居残り組みは、私、コガネ先輩、ツグ先輩、ゴトウ先輩、ヒワダ先輩、そして騒ぎを聞いて駆けつけてきたシェフ、パティシエの7名だ。
コガネ先輩は「自分も行く」と言って駄々をこねたが、監督が「危険かもしれないから残ってくれ。代わりに俺が見てくるから!」と説得(っつーか懇願)したので、ふてくされながらも最後は頷いた。
じゃーメイドさんと「はっちゃん」先輩はいいのかよ、と思わなくもなかったが、万が一何かあったときに女性もいたほうがいいだろうしなぁ。まぁ、あっちには光山君もいるんだし、大丈夫だろう、多分。
シェフとパティシエはご夫婦で、なんとパティシエは妊娠中なのだそうな。
そんなおなかを抱えた彼女が腕をふるって焼き上げてくれたスフレが目の前で萎んでいくのを悲しく思いつつ、私はコガネ先輩による尋問を受けていた。
「荷物を片付けて、着替えて……。それだけです」
「それにしちゃ、ちょっと遅かったんじゃない?」
んなこと言われても。
気合入れて、明らかに滞在日数より多めに服を持ってきちゃったし、みんなが撮影中にこっそり海で遊ぼうと思って水着も持ってきちゃったし? 船で焼けたせいかちょっとほっぺがヒリヒリしたから、スキンケアだってしてたし。しょーがないじゃん、私だって女の子だもん。
むしろ曲がりなりにもモデルのあなたがそうせずに窓の外なんか見てた理由が知りたいね、私は。
「私は皆さんより遅れて案内されましたから。それに、結構遠いお部屋だったんです」
コガネ先輩はまた、「フン」と鼻を鳴らした。……このぅ、その鼻、もう一回口紅詰めたろか?
「コガネさんたらぁ、考えすぎですよぅ。盛沢さんは佐々木さんのお友達ですしぃ、何かするわけ、ないじゃないですかぁ」
おっとり、あくまでのんびりと、ツグ先輩が庇ってくれた。うわぁい、「お友達だから」というのが理由になるかどうかはわからないけど、味方がいてくれてうれしーなぁ。
しかしその口調にイラっとしたのか、コガネ先輩はまた噴火した。
「るっさいわね、ツグ! 私は見たのよ! 佐々木さんが倒れたそばに、この子が立ってるのを!」
えええええええ? なにそれ、アリエナイ。そんな暇なかったって。
「え、マジで~?」
そのあり得ない話に、頬杖をついて宙を眺めていたヒワダ先輩が食いついて身を乗り出す。ええい、余計な事して煽るなっ!
「そうよ、そのワンピースを見たわ。絶対、あなただった!」
「ンでも彼女の顔見たわけじゃないんスよね? カーテンかなんかと見間違えたんじゃないスか?」
私はこくこく、とゴトウ先輩の言葉に頷いた。いやほんと、私しらないもん。
孤立無援ではない事にひとまずほっとして、私は冷めた紅茶を口にした。
……にがい。
気まずい沈黙がしばらく続いたあと、不意にガタン、と音がした。思わずびくっとして音の方に視線を移すと、それはドアを開けて監督がふらふらと入ってきた音だった。
彼の、白いシャツの一部が赤く染まっている。顔色が真っ青なせいか、それはとても目立った。
なに、あれ。
「ソウ! 何があったの!」
コガネ先輩は監督に駆け寄って、そのシャツの裾を掴んだ。
「俺が話す。とりあえず入れてくれ」
二人を押しのけるように助監督が入ってきて、扉を閉めた。……あれ、何人か足りないよ?
彼は頭痛がするとでも言うように額に手を当て、ソファーに腰をおろした。そしてふかぁいため息をついて眼鏡を外すと、思いのほか端正な顔でこちらをじっと見つめた。
こ、こんな時じゃなければときめくシチュエーションかもしれなかったのにぃ!
「……佐々木さんは、腕に怪我をして気を失っていた。命に別状はなさそうだったから、そこは安心していい」
彼は私から目をはなさないまま、続けた。その鋭い視線に、嫌な意味でドキドキする。
「メイドさんはショックで倒れて、今はハッタが付き添っている。執事さんは、佐々木さんの実家に電話中だ。海人は一応、ボディーガードに残してきた」
あぁ、あの「はっちゃん」先輩は八田さんっていうんだ……。なんてぼんやり考えながら、私は口を開いた。
「佐々木さん、け、怪我って……」
喉が引きつって、うまく声が出せない。さっきの渋い紅茶のせいだろうか。耳鳴りが、眩暈がする。
「右腕に、矢が、刺さっていた」
だれかが「ひっ」と悲鳴を飲み込む声が、なぜか遠く聞こえた。




