前日談2話 変わったオレと変わらないあいつと(後編)
病室に戻るとオレはベッドの上で上半身だけを起こし、終斗は借りてきたパイプ椅子に座らせて。
そして早速オレの体について話してみれば、終斗がその端整な顔に似合わず両目を見開いて驚きを露にした。
「はん、てん、びょう? ……お前が?」
「そ、だからオレの体はもう男じゃないの。股のアレだってすっきりさっぱり消えちゃったんだぜ?」
「そうか、反転病か……」
せっかく人が場を和ませるために冗談を添えたというのに、終斗は空返事ひとつだけを残し、勝手になにごとかを考え出してしまった。
……なんだよ、笑って乗ってくれればオレだって安心できるのに。
いやに張り詰め始めた空気に、終斗の真面目な表情に、胸がきゅっと締め付けられる。
庭から持ち越したやるせなさも手伝って半ば勢いで病気のことをばらしたけど、今更ながらにふつふつと後悔が沸いてきた。
『大したことない』と、笑って受け入れてくれると信じていた。信じていただけで、確証はなにもなかった。
1秒2秒3秒と、沈黙を重ねるごとに息が苦しくなる錯覚を覚えてしまう。はたして10秒だか20秒だか、とにかく長い沈黙の果てに終斗は口を開いた。
「……それって」
それってどれ、なんのこと!?
その続きを具体的に想像できるわけではない。でも少なくとも、良い予感がしないのは確かで。
はたして終斗の告げた言葉は、予想どおり良いものではなかった……けど、予想に反して悪い予感からも外れていた。
「たしかちゃんと療養すれば、死ぬことも後遺症が残ることもないんだよな」
「え? ……あ、うん、まぁ」
性別のことを完全にスルーされた上でふつーに体の心配をされて戸惑ったけど、特に答えない理由もなかったのでオレは終斗の問いに答えていく。拍子抜けしたせいなのか、妙に口が軽くなっていた。
「えっと……なんだったっけ、ああそうだ。性別が変わるときに体はもちろんなんだけど脳も多少変化するから、その際に強い衝撃を与えたり健康を害するもの与えたりすると脳に異常が出てくるらしいんだけど」
「病人特有の反応しづらいジョーク止めろよ! 本当に大丈夫なんだろうなそれ!」
大きく口を開けてツッコミを入れる終斗。いつも冷静なこいつには珍しい表情で、なんだか面白い。
気づけばさっきまで重く感じていたはずの不安が、まるで雲のようにふわりと軽くなっていた。
「大丈夫だって、もう一番危ない時期は過ぎたし。でもまだ変わりたてで免疫が弱いし筋力とかも衰えてるから、しばらくこうして経過観察して……順調にいけば次の週明けまでには退院できるだろうって話」
ひととおり話し終えると、真剣に話を聞いていた終斗はほっと一息……つかずに。
「……本当に、大丈夫なんだな」
そんなに信用度ないのオレ?と首を傾げつつも、とりあえずは素直に返した。
「だから大丈夫だって、ほらめっちゃピンピンしてる!」
右腕をむんと曲げて、元々大したことなかったのに体の変化&入院生活のダブルパンチにより限りなくゼロに近くなってしまった力こぶを見せると、それでも納得がいかないのか終斗はわずかな間じっとオレを見つめて。
だけどすぐに「はっ」と溜め込んでいた息を一気に吐き出し、
「良かったあー……」
なんて、大げさな安堵の声を上げたのだった。
こいつ……もしかしなくてもさっきまでやたら真剣だったのって、本当にオレの体調だけを心配していたのか。反転病なんて言ってしまえば性別が変わるだけでちゃんと療養すれば体に害はない、そういう意味では大したことのない病気なのに。
「心配性だなぁ終斗は」
自分の病気のことを多少分かっているオレは、つい終斗のことを茶化してしまう。そしたら終斗はむっと眉をひそめて、少しの怒りを含む声で返答を返してきた。
「悪かったな心配症で。でも目の前でいきなりぶっ倒れられたこっちの身にもなってみろ」
「あ……」
そっか、終斗はオレが倒れた原因を知らなかったんだ……。
正直ぶっ倒れた前後の記憶はおぼろげだけど、それでも終斗と買い食いしていた最中だったことは覚えている。
いつもどおりの、何気ない日常の中で突然親友が倒れたら……そりゃ心配する、オレだって滅茶苦茶心配する。
我が身に置き換えてみて、そして思った。オレってほんと察し悪いなぁ……。
「ごめん……連絡の一本もできなくて」
オレが謝ると、終斗ははっとして謝り返してきた。
「いや、こっちこそすまん。一番大変だったのは当人だよな。それに反転病ならおいそれと伝えられないのも納得がつくし」
「まぁ、そうなんだけど。それでも……」
終斗の言い分は全くもってそのとおりだ。
反転病という病気がそれなりに浸透している現在でも、性別が変わればその後の人生に大きく影響するのは当たり前といえば当たり前の話。
それに……差別や偏見というものも、とりあえずオレの周りで見たことはない程度には少ないけれど、それでも誰もがそういった感情を抱えていない……と言えないのもまたこの世の中の側面だ。
ゆえにオレみたいに学生の場合は病気のことを隠して別の学校へ転校するケースなんかも少なくないし、そういった事情に対する配慮として、学校側から反転病の生徒やその入院先などについてのプライバシーを漏らすということは基本的にしない。というか、法律的にその手のプライバシーの侵害が許されない……って、おおよそは『反転病との付き合い方』に書いてあったことの受け売りなんだけどね。
終斗もそういった背景を知っていたからこその台詞なんだろうけど、それでも全てを決めるのは当人であり、オレ自身が終斗に連絡をしようと思えばできたはず。それを思うと、どうしても反省の念が積もってしまい。
しゅんと項垂れてしまうオレだったけど、終斗はなんてことのないように微笑んでみせた。
「お前は相変わらず変なところでへこみやすいな。さっきも言ったけどお前が一番大変だったんだから仕方ないし、気にしてもいないよ。今こうして話せているんだしな」
「ん……」
なんというか……そっちこそ相変わらずのお人よしっぷりだ……けど、今はそれがありがたい。
と、不意にすっかり忘れていた疑問を思い出した。
「そういえば終斗、どうやってオレの入院先知ったんだ?」
「おばさんが教えてくれた。病気の中身までは言ってなかったけどな……って、お前こそ俺が来ること知らなかったのか?」
おばさん、というのは間違いなくうちのお母さんのことだ。おそらく終斗とオレを驚かせるためにあえて言わなかったんだろうけど、実に余計な気遣いである。
「うん全然。それならついでに言ってくれれば話が早かったのに、お母さんめ……」
「いや、というか反転病のこと告げずに入院先だけ教えるって、人によっては洒落にならないんじゃ……」
そう言われてみて、確かに納得はした。けれど親子だからか、オレはお母さんが遠慮なく茶目っ気を出せた理由も理解できたりするのだ。
「んー、多分そこら辺は分かった上で、あえて心配してなかったんじゃないかな」
「と、いうと?」
「だって、終斗はうちの家族に信頼されてるし」
うちでは当たり前の事実をオレが告げると、終斗は目をぱちくりさせてわずかに呆けた様子も見せて。
そしてがくりと首を落として呟いた。
「意味は分かるが理由が分からん。なんだって朝雛家での俺の信頼度はそこまで高いんだ……」
「そこはそれ、今オレと一番つるんでるのがお前だし。うちにもしょっちゅう遊びに来てるから信頼されるのも必然的ってな。諦めろよ、親友」
しかもクリスマスパーティとか、家族ぐるみの行事にも終斗はよく参加していて(大体オレが引っ張ってきてるんだけど)、その人柄の良さだって大よそは知られている。
オレのドジをフォローする姿なんかもよく見られていて、そりゃあ信頼度もうなぎも昇りまくりというものだ。
しかしオレの言葉に対し、終斗は苦笑して頬を掻く仕草をひとつ。
「……まぁ信頼されて悪い気はしないが……ここまでのものになると地味にプレッシャーかかるなぁ」
プレッシャーがかかる。その言葉につい連想してしまったのはやっぱりこの体のことだった。
「……直接聞くのもなんだけどさ、やっぱオレの性別が変わってるって聞いて思うところとかあったりすんの?」
相手が親友だからこそできる、踏み込んだ重い質問……だとオレは感じていたんだけど、でも終斗はオレと違って全然あっけらかんとしており。
「ん? いやそれはそれ、これはこれというやつだろう。正直もっとひどい想像もしていたから、ちゃんと健康でいるんなら俺として特に思うところはないな」
なんて、本当に軽い調子で言ってきたのだ。
今度はオレが目をぱちくりさせる番だった。『あれ、そんな軽い話だっけ?』と内心で首を捻って、『そんな軽い話なのかな』と考えて。
そして――
「……そっか」
ああきっと、そんな軽い話なんだ。自然とそう思えた。
直後、不思議と胸中から重りが抜けたような感覚を覚えた。どうやら自分でも気づかないうちに、近い将来への不安が募っていたらしく。
「終斗」
気づけば自然と口を開いていた。
「どうした?」
終斗が小さく首を傾げてくる。
一方のオレは、なんだか無性にお礼が言いたくなっていて。だけど……男同士で改まって、というのも妙にこっ恥ずかしい話で。
そもそも終斗からしたら、改めて礼を言うようなことでもないのだろう。いわく『特に思うところはない』程度の軽い話らしいし。
だからオレはさっきまで考えていた言葉を飲み込んで、代わりに伝える言葉を決めた。そして笑顔でそれを口にした。
「……学校、オレ転校なんてしないからさ。退院したらまたよろしくな、親友」
それを聞いた終斗は一瞬目を見開くも、すぐに状況を飲み込んで……あいつらしい優しい微笑みを返してくれた。
「もちろん。いつでも待っているよ、親友」
そのあとは、あっという間に時間が過ぎていった。
退院までの3日間は、毎日終斗が見舞いに来てくれた。
退院して、復学するまでの2日間で女子用の制服をこしらえた。試しに家で着てみたらお母さんはいつもの笑顔で、お父さんは満足そうに頷いていて、そして妹は大爆笑だった。
その他諸々新生活に向けてそれなりに忙しくしていたら、なんやかんやでいつの間にやら登校日である。
◇
おおよそ築50年と、それなりに年季の入った市立青陽高校。
ところどころ古臭いもとい味のある校舎の3階、1年A組の教室の前の廊下には高校指定のセーラー服を身にまとって立っている少女、少女……?が一人。
……オレのことである。
下にスパッツこそ穿いているものの、それでもスカートの風通しの良さはいつまでたっても慣れる気配を一向に見せず。
この前試しにセーラー服を着て鏡に映した自分の姿が、否応無しに脳裏を過ぎった。
どうみても"朝雛始という男子生徒の女装"にしか見えなくて、こうして思い返すだけでも違和感と倒錯感がない交ぜになったおかしな感情に眩暈を起こしそうだ。
駄目だ、あまり考えてると気分が悪くなる。だから別の記憶でオレの女装姿を塗り潰そうと試みる。
オレがチョイスしたのは、終斗が初めて見舞いに来てくれた日のこと。
……うん。
「なんてことない軽い話だ。大丈夫、大丈夫……」
きっとオレが想像しているほど、みんな気にしているわけじゃない。この姿だって存外あっさりと受け入れられるかもしれない。
実際あっさりと受け入れてくれた親友のことを脳裏に浮かべて前向きに考えつつ、高鳴っている心臓を落ち着けるために深呼吸を何度か繰り返した。
それでもやっぱり緊張で体が強張っている俺を、とうとう教室から先生が呼んできた。
「えー、突然だが今日はみんなにちょっとしたお知らせがある。とりあえず入って来い――朝雛」
ついに来てしまったか……よし、腹括った!括ったぞオレは!
とにかく何事も、肝心なのはファーストインプレッションってやつだ。
そうだから変に気張る必要なんてどこにもない。ごく自然に、いつもどおりにガラリとドアを開けてだな――
「し、失礼しましゅ!」
初っ端からやっちゃったよ!
オレがいきなり噛んでしまったせいなのか、それとも女子制服を着ていることに驚いているのか。どちらにしても、ついさっきまで騒ぎ声のひとつやふたつ聞こえていたはずの教室が、一瞬にして静まり返ったという結果だけがそこにはあって。
し、死ぬほど恥ずかしい……!
教室の様子を窺うことすらせずに、オレはただ俯いて教壇まで歩いていく。
基本的にぶっきらぼうだけど、ごくまれに真面目で頼れるおっさん。そんな印象が強い1-Aの担任は、俺が教壇まで来るとその場所を明け渡し、それから生徒たちに向けてオレのことを話し始めた。
「えー、突然だが今まで病気で休学していた朝雛が、今日から戻ってきた。見れば分かるが病気ってのはいわゆる反転病だ。これからは女子としてみんなと高校生活を共にすることになるから、そんな感じで。ほら朝雛、挨拶」
先生がオレの背を軽く押して、挨拶を促す。
緊張で重い頭をなんとか上げて教壇から景色を見渡すと、視界に映るはただひたすらに好奇の目、目、目。
「っ……!」
比喩ではなく本当に、一瞬だけど息がくっと詰まる。代わりに心臓が耳障りな騒音を立てた。
大丈夫、大丈夫。さっきまで胸に刻み込んでいたその単語はあっという間に掻き消され、ここぞとばかりに怯えと羞恥が顔を出した。
ああもう、頭がくらくらして倒れそうだ。というかいっそ倒れたい、倒れたらきっと楽になれる。だけど……
『もちろん。いつでも待っているよ、親友』
ここでまた倒れたら、絶対にあいつは心配するだろうな。なんて考えたら、負けるかこんちくしょうと気合が弱気を押しのけた。
誰も口を開くことのない教室は、文字どおりオレの独壇場。
よく言うじゃないか、観客はかぼちゃとでも思えって。つまり今この舞台はオレ以外が全員かぼちゃ、野菜相手にためらう必要なんてないさ!だから頑張れオレ!
無理矢理にでも己を奮い立たせて、緊張でからからに乾いた口をくわっと開いて。はたしてオレは教室中に、以前とほとんど高さの変わらない声を大きく響かせた。
「あ、あのっ……えっと、オレ、こうやって性別は変わっちゃったけど、気にせず今までどおりに接してくれればいいから、これからもよろしきゅ!」
んー、二回目!!
当たり前だけど野菜は決して口を開かない。リアルかぼちゃ畑がオレの目の前には広がっていた。いっそ笑って欲しいくらいなんだけど、今ここに人間はいない。
あっという間に心は折れて、嗚呼今すぐ楽になりたいと先ほどの決意すらまるっと忘れて黄昏れるオレ。
だけどこの悲劇とも喜劇ともつかぬ一人舞台に、颯爽と割り込む救いの声ひとつ。
「まぁとりあえず、だ……」
背後で気だるそうに口を開いた担任に、オレは希望の光を見出した。頑張れ先生この空気をどうにかしておくれ。ごくまれに頼りになるという先生の評判をオレは信じて――
「今から1限目の終わりまでは特別に自由時間にするから、あとは生徒同士でよろしくやってくれ」
くっそ丸投げかよ!
ごくまれに頼れるけど基本的に放任主義な先生は、その"ごくまれ"をこれといって発揮することなくいつもどおり適当に事を終えると、自分の役割は終わったとばかりに教室の隅のパイプ椅子に腰掛けて文庫本を読み出した。
元々大してなかった先生への株がストップ安なんだけど、今はもうそれどころではない。
かぼちゃ畑と強がってはみたものの、この集まる視線にいいかげんオレのちっぽけな精神が耐え切れるはずもなく。
「ぁぅ……」
視線という名の圧力に負けるように、再び壇上で俯いてしまった。
人と接するのは好きだけど、今日ばかりは空気になりたい……。
とにもかくにもこのままここで視線を浴びせられ続けるのはあれだ、無理だ。とりあえず誰もなにも言わないし、話は終わったし一度席へと戻ろう。
オレはそう思い立ち、俯いたまま歩こうとした瞬間……突然、"黄色い"としか例えられない悲鳴が上がった。
『きゃぁぁ可愛いー!!』
「……へ?」
思わず面を上げると、視界に映るのは無数の目どころかオレに迫ってくる喜色満面の女子軍団だった。
は、なに初めてのモテ期?いや今のオレは女子だし、んなわけないだろう。
なにやら嫌な予感がすると、本能的に身の危険を感じて逃げようとしたけれど、獲物を追い詰めるライオンがごとく左右からの挟撃を敢行してきた女子軍団にあれよあれよと囲まれて。
「朝雛君なんかちっちゃくなった!?」
「始ちゃん可愛いー!」
「えっ、ちょ……」
なにがなんだか分からないまま女子の濁流でもみくちゃにされるオレ。
「髪さらさらだ、いいなぁ」
「わ、わ、わ」
「肌ぷにぷにですべすべー!」
何か甘い匂いが一杯で何か柔らかい物が……って何か危ないところに手が!
「ひゃっ。や、ちょ、た……助けてー!」
オレは思わず遠巻きにこっちを眺めていた男子たちに助けを求めた。
"元"とはいえ同性だ。男同士だからこその熱い絆は、女子の壁にも負けないとオレは信じて……。
「女子同士の絡み……眼福だな」
「くっ、俺がもし反転病に罹っていればあそこに……!」
「しかし朝雛、ああ見ると結構可愛いな……」
「少々胸が足りないが……悪くない」
「むしろそこが……いや、なんでもない」
ど、どいつもこいつもー!男なんてそんなもんかよ気持ちは分からんでもないけどそれはそれとしてオレまでそういう目で見んなよチクショウ!
そんなこんなで結局は1限目が終わるまで、オレが女子たちから開放されることはなかったのだった……。
「わー、胸もちっちゃいー」
「や、止めてー! 変なとこ触らないでー!」
◇
休み時間が始まる度にもみくちゃにされたり、質問攻めを喰らったり。なんか余所のクラスからも冷やかしが現れたり、とにかく怒涛としか言えない1日がようやく終わりを告げようとしていた。
「はー、やっと終わった……」
放課後。なんかもう色々から開放されたオレは、孤独という名の一時の平穏を安らかに享受しながら、ある場所へと向かっていた。
校門近くの駐輪場、そこに待ち合わせをしている人間がいるのだ。
ほどなくして駐輪場に辿り着いたオレは、きょろきょろと辺りを見回してそいつを探す……いた。
オレの姿に気づかずスマホを弄っているそいつの――親友の名前を、オレは呼んだ。
「終斗!」
「ん、ああ来たか。はじ……」
面を上げると同時、終斗が固まる。だけど、ほどなくして。
「……ぷっ」
「キシャー!」
人の姿を見るなり笑いやがった、なんて親友だ!
怒りから威嚇をかますオレに、終斗はまだ笑いながらも謝ってくる。
「はは、悪い悪い。せっかくだからとお前の女子制服姿をこうして放課後まで楽しみにとっておいたが……女装だよなぁそれ」
「きぃ! ……でも、ぶっちゃけオレもそう思う。さすがにないよなぁ」
「喜べ、違和感はないぞ」
「むきぃ!」
表面上は怒りを見せておくし実際多少は腹も立つけれど、それはそれとして軽口の応酬はなぜだか無性に懐かしくて楽しかった。
「ま、ここでたむろしていても仕方ないし続きは帰りながらとするか」
自身の側に停めてある自転車のストッパーを外し、しかしオレに合わせて自転車を手で押していく終斗の隣でオレも歩き始める。
今日は女子になったせいで色んな初めてを体感したけれど、こういう時間は昔も今も変わらない。
不思議と口が軽くなり、校門を越えた辺りから話題がぽんぽん飛び出していった。
「それにしても、今日はひどい目にあった。女子ってなんでスキンシップがあんな零距離なんだろうな……」
「その言葉でお前がなにされたか大体察しがついたけど……ほら、始は元々小さいし、姉いわく女子は小さいものが好きらしいから」
端整な顔で微笑みながらしれっと人のウィークポイントを突いてくる親友に、オレはツッコミを入れる。
「答えになってねぇ! つうか小さい連呼すんなし!」
「でもこういっちゃなんだが、役得だっただろ?」
「……まぁ、否定はしない」
色々柔らかかったし姦しかった。あれは……確かに男の頃じゃ早々味わえなかっただろうなぁ。
「でもどうせなら男の頃に味わいたかった……あ、そういや女子は女子ですごかったんだけど男子もさぁ! 『お前こう見るとわりと可愛いな』とかさ。お前から見たらオレもう女子かもしれないけど、こっちから見たら同性みたいなもんなんだから鳥肌物だよ! ぶわーって!」
身振り手振りを交えて、どれだけオレがぶわーって来たのかをオーバーリアクション気味に伝えた。
とはいえ実際のところ、向こうも半ばお気楽な冗談として言っていることは察せたし、そこら辺オレもガチで嫌がっているわけではない。そもそもそうじゃなきゃ、こうやってネタにしないし。
まぁ鳥肌ったのは事実だけど。いつか覚えていろよクラスメイトの男子A(仮)。
一方、オレの話を微笑ましいものを見るかのような笑みのままうんうんと頷きつつ耳を傾けていた終斗。
田舎のおばあちゃんみたいな話の聞き方するなお前。なんて内心のツッコミを知ってか知らずか、オレの話が終わった直後にもう一度うんと頷いてから言った。
「お前はクラスメイトから愛されてるなぁ」
「お前はさっきから返しが適当だなぁ! こう、もうちょっと慰めてくれてもだな……」
と、不意に気づいた。なんだか終斗の表情がいつもと違う気がする。
いや、いつもと同じ優しげな微笑み方なんだけど、でもこう、なんだろう……。
「どうした?」
「いや、なんていうか……」
喉に小骨が引っかかった程度の違和感だけど、その小骨が無性に気になる。
遠回しに探るのは苦手なので、本人に直球で聞いてみようとしたけれど。
「終斗、今なんか考えてる?」
自分でもなにが気になっているのかイマイチ分からなくて、随分とおかしな問いかけをしてしまった。
「は?」と口に出して明らかに疑問符を浮かべた終斗に対し、慌てて訂正を付け足すオレ。
「……ってさすがにアバウト過ぎるか。ごめん、やっぱなんでもない」
でも終斗はいつの間にか、考え込むように顎に手を当てる仕草をしていて。
今度はこっちが疑問符を浮かべていたら、ほどなくして終斗が口を開いた。
「……まぁ、なんだ。強いて言うなら、お前がわりと楽しそうで良かったよ」
……ああ、そうか。
その言葉を聞いた瞬間、終斗に感じていた違和感の正体に思い当たった。
なんてことない。終斗は相も変わらず人の心配ばかりしていたのだ。オレが女になっても、セーラー服を着ていても、こいつは前となにひとつ変わっちゃいない。
にへら、と自然に笑みが漏れた。
「終斗はやっぱり、心配症だなぁ」
終斗も目を細めて返す。
「仕方ない、こういう性分なんだ」
「そっか、性分か。なら……仕方ないな」
会話が途切れた。
他の学生や通りすがりの小学生たちが騒ぐ声を遠くに聞きながら、オレたちは無言で住宅街を歩いていく。
だけどこの沈黙は居心地が悪くなるどころか、不思議と落ち着いて。
そうしてしばらく二人で歩いていたら、静かなおかげで神経が少し敏感になったのか、日の光が妙に暑いに気がついた。
いつの間にこんな暑くなったんだっけ?思い返して、すぐに気づいた。
オレが倒れて入院してから、もう2週間以上経ったのか……倒れたのが5月下旬で今が6月中旬。よくよく考えてみれば、ちょうど季節の変わり目だ。
どうやらオレが入院している間に春は過ぎ、代わりに夏がすぐそばまで迫ってきていたらしい。
「あと1ヶ月もしたら夏休みか、早いなー」
オレが倒れて、性別が変わった。入院している間に、季節が移り変わっていた。退院してから、生活が変わった。具体的には……し、下着とか。それに今日、復学してからクラスメイトとの距離が変わった。けど距離感が変わったとはいえみんな気の良い奴ばかりで、今のオレにあっさり順応して受けいれてくれたのは不幸中の幸いなんだけど……だからって順応しすぎだろ女子も男子も!
とにもかくにもたったの2週間とちょっとしか経ってないっていうのに、オレの周りはあっちもこっちも変わってばかりで、オレはそれについていくので精一杯で。それでも、
「高校入って初めての夏休み、だな。去年はたしかカブト虫の採集したんだっけか、自由研究の題材だーとか言って嫌がる俺をムリヤリな……」
「あーそういえばそんなこともあったっけか。良いじゃん朝の2時とか3時から起きて森の探索とか、いかにも中学生だったじゃん」
「どっちかというと小学生っぽくないか? まぁ結果的にはそれなりに楽しかったから良しとするが、せめて言いだしっぺらしくもう少しちゃんと計画は練ってきて欲しかったぞ。結局捕まらなかったし、カブト虫」
変わらないものだって、隣にはあったから。
「だ、大事なのは楽しんだ思い出だから! でも楽しかったとはいえ、せっかく高校生なのに今年も虫捕りっていうのは芸がないな……せっかくだし、高校生らしいことでもやってみる?」
「高校生らしいことって言われてもなぁ……ナンパ? いや自分で言っといてなんだが俺が辛い、パスだ」
「つうか今のオレじゃ逆ナンじゃんそれ! 男を誘うとかノーサンキューだっての。あ、でも夏なんだしナンパ関係なくやっぱり海は行きたいよなー。プールでもいいけど」
大丈夫。それを道しるべに、きっとオレはオレらしく歩いていける。頑張っていける。
「ならとりあえず泳ぎには行くということで。とはいえ遊ぶ算段ばかり立てていてもいけないな、俺たちは学生なんだし。どうせなら今年は夏休みの宿題も計画立ててきちんとやっておいたらどうだ? 毎年のようにギリギリで泣きつかれるのは俺も面倒だし」
「うげっ、せっかく盛り上がってたのに嫌なこと思い出させるなよー。まぁ毎回ひどい目にはあってるし、考えておくけどさー……高校生の宿題かー、中学よりも難しくなってるんだろうなー……」
「そう落ち込むな、俺も時々手伝ってやるから」
「それじゃあ最後にまとめて――」
「それは駄目だ」
「うへぇ……」
いつもどおりとは程遠かった1日の終わり。それでもオレたち二人だけの穏やかな時間は、今日もいつもどおり、ゆったりと流れていく。
【おまけ:とあるお節介さんの一幕】
私は席についたまま頬肘をついて、ぼけっとそれを眺めていた。
「やぁーめーてぇー!」
狩りだ。あれはまごう事なきハンティングだ。
小さいものに飢える肉食動物と化している女子たちと、哀れな子羊のように蹂躙されている朝雛さんに、ついついそんな連想をしてしまう。
「おお、なんかめっちゃ面白そう……」
ある種祭りにも似た非日常的な雰囲気に釣られて、私のすぐ近くの席に座っていた女子がまた一人立ち上がる。そして彼女は私に声をかけてきた。
「よぉし、ちょっくら行ってこようかな。まひるはいいの?」
「いや、遠慮しとくわ。あの輪に入れるテンションが私にはない」
「そう? なら行ってくるわ。始ちゃーん!」
今のこの状況のなにが彼女の琴線に触れたのか、それとも元々朝雛さんのことを弄りたかったのか。とにかく妙なテンションで狩りに乱入するクラスメイトを、私は相変わらず頬杖をついたまま見守っていた。
ひとり、またひとりと狩る側ばかりが増えていく中、私がそれに参入しない理由は単純。そういう人間じゃないからだ。賑やかなのはいいけれど、あまり姦しいのは少々苦手だった。
それに、朝雛さんは見ているだけでもわりと楽しい。
ころころと変わる表情に、ちょこまかと動く小さい体。見ていると、なにかを思い出させる。そう、なにか……
「……あ、うちの犬だ」
我が家で買っている小型犬を、真っ先に思い出した。
んで興味本位で思ったわけだ。
「今はちょっといいけれど……またその内、機会があったらちょっかいかけてみようかな」
そのちょっかいがなんだかんだで9月頃まで先延ばしになってしまうことも、ちょっかいをかけたらかけたでその縁が思わぬほどに深く長く続くことも、この時の私はまだ知らない……。




