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今日もオレ/俺は恋をする  作者: 秋野ハル
番外編【後日談前編】
28/57

後日談1話 ぎゅっと、ぎゅーっと

そんなこんなで始まりました後日談。

1話完結だったりそうじゃなかったりヤマなしオチなし意味もなしだったり、そのうち前日談なんかもやっちゃったりしますが、まぁ番外編らしく?緩く行く予定なんで、緩く楽しんでもらえればと。

 それは、終斗と付き合ってから5日目のことだった。


 終斗の家から学校までと、オレの家から学校までの道は途中で合流する形になっている。

 それでも終斗は自転車通学で、しかも早めに学校に行くタイプ。オレは徒歩通で、学校にはギリギリでも着けば良いってタイプだったから、一緒に登校することはあまりなかった。

 だけど付き合ってからはお互いに時間を合わせて、合流地点からは一緒に登校することにしている。

 無論、下校だって道が分かれる地点までは二人一緒であり、今日も途中まで終斗と一緒に帰ってきていた。

 そんでもって終斗と別れた後は、徒歩であと2分もない距離にある我が家まで、住宅街を一直線。

 早足で住宅街を駆け抜ければ、あっという間に我が家が見えてきた。

 白い壁面に赤い三角屋根。おまけに小さな庭まで付いた、2階建ての一軒家。

 ともすれば童話に出てきてもおかしくないような彩色だけど、これはお母さんの趣味らしい。

 これで小高い丘の上にでも建っていれば完璧にメルヒェンの世界の産物だったのだけど、あいにくながらここはただの閑静な住宅街。

 周りの家に比べてはやや派手寄り、といった程度の自宅にたどり着いたオレは立ち止まる理由もないので、さっさと玄関を開けてから元気良く声を上げた。


「たっだいまー!」


 言うが早いかドタドタと急ぎ廊下を通って、リビングまでやって来たオレ。

 オレの視界に広がるリビング。その窓側半分ほどはテレビや座布団、ソファーが置かれた寛ぎ空間となっている。もう半分には家族4人で座れる大机がでんと鎮座していた。

 そしてオレの帰宅に反応を返したのは、リビングの角に置かれたテレビの前で座布団を尻に敷いて、茶をすすりながらのんびりとテレビを見ていたお母さんだった。

 いかにも家事に適したラフな上下にエプロンを付けた装いをしている辺り、おそらく今は家事の合間だったんだろう。


「おかえりなさい、今日もご機嫌ねぇ」


 腰辺りまで伸びた色素薄めの長い茶髪を揺らしつつ、オレに顔を向けてそう言ったお母さん。

 オレよりも少しだけ高い身長と、もう30代後半とは思えないほど若々しい肌の張りを保っている幼めの丸顔が彼女の特徴だけど、オレは間違いなくこの人の遺伝子を受け継いでいるのだろう。仕事しすぎだろ遺伝子。

 だけどオレと違って彼女自身の経験がそう思わせるのか、どこか年相応の大人びた雰囲気もしっかり併せ持っているお母さんは、それに違わない柔和な微笑みをいつも湛えていた。

 今もオレに視線を向けたまま、なにが楽しいのかにこにこと笑みを浮かべている。

 とはいえこの人が笑顔なのはいつものことなので、オレも特に気にすることなくさらに返事を返した。


「まあね! それよかなんかお菓子ない?」

「あら、それなら冷蔵庫にアイス入れてあるわよ」

「それ季節的に外れてるよーな、まぁ貰うけど」


 オレは手に提げていた学生鞄を適当に床へ置いてから、リビングに併設されているキッチンへと赴いて、冷蔵庫の前に立った。

 家族4人、それも内二人は育ち盛りな一家の食料を支えるため、ずんとその巨躯を構えている冷蔵庫。その下部に位置する冷凍室を開けて棒アイスを取り出したオレは、その封を破ってから中身を口に咥えて、なんとなしにリビングへと戻っていく。

 口の中で溶けるみかんの果汁に顔をほころばせながら、目的もなくリビングに目線をさ迷わせていたら……目が合った、ばっちりと。

 視線の先には、淡いクリーム色のソファーへと沈むようにうつ伏せになって、オレと同じようにアイスを口に咥えながら行儀悪くファッション雑誌を見ていた少女が一人。

 毛先の長さが不揃いなショートヘアーは、オレやお母さんと同じ茶色だ。その濃度は彼女>オレ>お母さん、といったところか。

 ぱっちり開いたその大きな瞳からは、彼女の無邪気で活発そうな内面が窺える。だけど同時に、"子供"よりも"大人"に近く見える細めの顔付きからは、どこか女性特有の"色気"なるものが滲み出ていた。オレには無……ん゛ん゛っ。

 オレはそんな彼女の名前を知っていた。だから目が合った直後、特になんのためらいもなく名前を呼んだ。


「初穂、帰ってきてたんだ」

「ん、まーね」


 すぐに雑誌へと顔を戻しつつ返事を返してきた彼女の名前は『朝雛 初穂はつほ』。オレの……妹である。

 そう、妹なのだ。オレよりゆうに10cm以上高い身長に加え、オレとは比べ物にならないほど健やかに育っている胸囲……たしかこないだ聞いたときはCぐらいあるって……けっ。

 だからおそらく誰に聞いても十中八九間違えられるけど、初穂はオレの妹である。オレが兄、じゃなくて姉だからな!

 ちなみに初穂はまだ中学2年生。多分、お父さんが身長高いからそっちの遺伝子を多大に受け継いだんだろうけど、だから仕事しすぎだろ遺伝子。もうちょっとバランスよくできなかったのかよ……。

 その初穂は咥えていたアイスをさっさと口に収めると、雑誌に目を落としたまま何気無い様子で尋ねてきた。


「始さぁ」

「んむ?」


 妹のくせに生意気ながらも姉のことを呼び捨てにしてくるけど、今に始まったことじゃない。棒アイスを咥えたまま気にせず返事をすれば、また言葉が返ってきた。


「最近、終にいにずっとお熱じゃん」

「そりゃあもちろん! せっかく付き合ってるんだし! 今日だってさ、終斗と一緒に帰って――」


 終斗の話を振られて、ここぞとばかりに終斗との話を始めようとしたオレ……を気に留めることもなく、初穂はオレに視線を向けてまた何気無い様子で一言。


「――キスとかしたの?」

「ほぁっ」


 口から小さな声が漏れる。口からぽとりとアイスが落ちた。すぐ近くではお母さんが座布団に座ったまま、オレたちに顔を向けて「あらあら」とわざとらしく口に出して微笑んでいた。


「わ、わ、わ」


 とりあえずアイス拾わなきゃ……そ、それからえっと、えっと……!

 初穂の問いを頭から追い出すように慌ててアイスを拾ってから、すぐそばの大机に置いてあったタオルを引っつかんで、フローリングの床を拭きにかかるオレ。


「……なーんだ、その様子じゃまだかやっぱり」


 一方、アイスをこぼす原因となった張本人はぬけぬけと、退屈そうにそう言ってのけた。


「なっ……!」


 いかにも馬鹿にしくさったような口調にカチンとくる。相手が妹ならばなおさらだ、オレにだって年上の意地くらいあるのだ。でも威厳は無いよねHAHAHA!とか言ってはいけない。

 ともかくオレは、初穂に怒りをぶつけた……が。


「べ、べつにいいだろ! お前には関係ないんだし!」


 オレの言葉をどこ吹く風と言わんばかりに聞き流した初穂が軽い調子で投げ返してきたのは、文字どおりの爆弾発言だった。


「いやいやないこたないでしょ。始次第じゃ"終にい"が文字通り"おにいさん"になるかもしれないんだし」

「ぶっ! な、な、な……!」


 爆発した驚きのあまり、口から唾と空気を噴き出してしまった。飲み物を口に含んでいたら、間違いなく漫画みたいな噴き出し方をしていただろう。

 良かった……いや良くない!

 まったく……彼氏の一人もいないくせに耳ばかりが年増になっていく妹には、一発がつんと言ってやらねばあるまい。

 そう年上らしく、冷静にがつんとだな……。


「な、にゃ、にゃに言ってんがっ!」


 噛んだ……!

 うぅ、舌がひりひりする……けど、気を取り直してテイク2!


「とにかくだな! キ、キスとか、その、"おにいさん"にどうこうとか、そういうのはまだ早いから! オレたち付き合ってまだ1週間も経ってないんだよ!?」

「でも高校生でしょ?」

「早いから!!」


 まったく初穂は高校生のことなんだと思ってるんだ……そりゃ女子は16歳過ぎたらもう結婚できたりするけど…………けけけけ、結婚!?

 いやなに考えてるんだオレそうだって男は18からだから終斗とはまだ結婚できないやいやそうじゃなくて!大体結婚の前にだって色々あっていいい色々ってなに!?いや分かるけどでもオレ……女じゃん!できるじゃん色々とかだからそういうのがまだ早いんだって!なんで早いんだって言われたら自分でもよく分からないけどでもでもそういうのは考えるだけでも恥ずかしくなっちゃうし心の準備とかとかとか!


「うううんんんうう」

「なんかいきなり唸りだしたんだけど……」

「あらあら」

「はっ……!」


 若干引いた妹の声と、相変わらず穏やかな母さんの声が耳に届き、オレはようやく現実に帰ってこれた。

 ひぃ。気づけば首から上が熱でも出たんじゃないかって勢いで熱くて、自分でもびっくりしてしまった。この調子じゃ顔は間違いなく真っ赤に染まっているだろう。

 そんなオレを見て、さっきまで若干引き気味だったはずの妹が、寝転がっていた体を起き上がらせた上でニヤリとほくそ笑む。どうみてもいじめっ子の笑顔だよこれ!


「んー? まだ早いって言ってたくせに、一体なにを想像してたのかな始ちゃんは。もー、小さいくせしてやらしいんだからぁ」

「ちちちちがわい! べ、べつにやらしいことなんて……」

「あらあら駄目よ初穂、そういうことあまり茶化しちゃ」

「お母さん……!」


 いつもの笑顔で初穂をたしなめるお母さんの懐の広さに、オレはいたく感動を――


「そのくらいの年頃は、ちょっとやらしいくらいがちょうど良いんだから」

「お母さん……」


 そこは否定してよ……。

 懐が広すぎるのも、少し考え物かもしれない。

 言い終えた後、お母さんは「うふふ」と意味深に微笑んだ……ような気がする。デフォルトで笑顔な人だから、中々表情が読み取りにくいのだ。

 再び、お母さんが口を開いた。


「でも実際、付き合ったからそこでハッピーエンド……ってわけにもいかないわよねぇ、むしろ肝心なのはそこからなんだし。始だってあるでしょ? 終斗くんと付き合ってからやりたかったこととか」

「う……」


 "からかう"というよりかは"諭す"に近い問い方。

 その雰囲気に呑まれてしまったようで、気づけばオレは自然と真剣にその問いについて考え始めていた。


「やらしいこと? やらしいこと?」


 初穂黙れ。

 外野の戯言を脳外へと放り出して、思考を続ける。

 付き合ってから、かぁ……。

 考えたことは全くなかった……とは言わないけど、なんかこう、そういうところは薄ぼんやりとした想像しかしていなかったかもしれない。

 いつも終斗のことを意識してるだけでドキドキしていたし、そうでなくても終斗を振り向かせるためにここしばらくずっと気を張っていたから、その先のことを考える余裕なんてなかったし……。


 ――それじゃあ、オレはこれから終斗となにがしたいんだろう。


 こうして真剣に考えるのは、きっと初めてだった。

 ……正直、現状でも"ほとんど"満足してはいる。終斗と堂々と『付き合ってる』って言えて、終斗もオレのことを好きでいてくれて。お昼だって一緒に食べるようになったし、学校の行きも帰りも毎日手を繋いでくれる。だけど……。


 考えて、自覚した。

 ほとんど……100%、とは言えない。そうだ……オレは少しだけまだ、満ち足りないものを感じていたんだ。

 今でも十分贅沢なくらいに幸せなのに、それでも足りないって思うのは……オレが単に欲張りなだけなのか、それとも――。


「なにか、思い当たるところでもあったかしら? ふふ、遠慮なく言ってみなさい。どうせここには女3人しかいないんだし」


 どうやら色々考えているうちにそれらが顔にでてしまっていたようで。オレの心境を察したらしいお母さんが優しく促してくる。

 まだ考えがまとまったわけじゃないけれど、逆にこれ以上考えても解答にたどり着けるか分からなかったので、オレは素直に今の気持ちを吐き出してみた。


「えっと……その、終斗と付き合えているだけで、今もすごい幸せなんだけど……でもちょっとだけ、なにか物足りない気がして……うまくは、言えないんだけど……」


 あやふやな思考をあやふやなまま投げているせいで、どうしてもたどたどしい言葉にしかならない。

 だけどお母さんはそんな言葉でもしっかり聞いてくれていて、オレが全てを話し終えたあとにはひとり納得したかのように頷いてから言った。


「……なるほど、大体分かったわ」


 直後に初穂も「なるほど」とお母さんのように頷いてから、話に割り込んできた。


「やっぱりやらし」

「くない! さっきからなんでそんなにやらしい推しなんだよ初穂は!」

「そりゃあ……中学生だし、思春期だし!」


 自信満々に言ってきたけど、それって女子にも適用されるの?


「初穂、年頃だからそういうのに興味あるのも分かるけど、ほどほどにしときなさい、ね?」

「はぁい」


 適用されるの……?

 なんにせよ母は強しというか、あれだけしつこかった初穂もあっさり引き下がり、ようやく話が本筋に戻ったようで。母さんは改めてオレに語りかけてきた。


「さて、それはそうと……始は私似なんだし、多分だけど始のしたいことっていうのも、私とあまり変わらないんじゃないかしら」

「お母さんと始が……? まぁ確かに、背丈は似てるよね」

「お前はすぐ人のプライドに土足で踏み込む!」

「あらあら、いいじゃない小さくても。あなたたちのお父さんだって「小さいお前が俺は大好きだ!」って堂々と宣言してくれたこともあったし。そういう意味で、大事なのは好きな人に好かれるかどうかじゃない?」

「なるほど、そうだよね! べつに色々小さくても……あっ、でも……そういえば前に終斗、巨乳好きだって……」

「あら、そうなの? 私の見立てじゃ彼、どっちかって言えば保護欲掻き立てられるような子に惹かれるタイプっぽいし、色々小さい始とは相性ばっちりだと思ってたんだけど」

「そ、そうかな!? 色々小さくてもいけるかな!?」

「いけるいける。私だって昔は気にしてたけど、お父さんに出会ってからはむしろ誇らしいくらいよ? そうそうあの人と出会った当時は私も始と同じくらいの高校生でねぇ、あの人はそのとき大学生で……」

「ねぇねぇ二人とも、話逸れてる逸れてる。それと、ここの温度が多分2度ぐらい上がったよーな」

「あっ」

「あらあら」


 若干ジト目気味な初穂のツッコミで、また話が逸れていたことに気づいた俺と母さんは、ようやく同時に我に返った。

 なんだか若干部屋に熱気が溜まっている気がするけど、多分恋バナのせいだろう。恋はいつだって熱量高めだ。

 母さんは「さて、いい加減話を戻しましょうか」と前置きをしてから、改めて本題に触れた。


「見た目もだけど、始は性格も昔の私に似てるから。だからあなたが思ってるそれはきっと、昔の私とおんなじもの」

「おなじ、もの……?」


「そう、それはずばり――甘えたい、よ!」


「あ――甘え、たい!?」


 いつもは穏やかなお母さんが珍しくぴしっ!と大げさに指を突きつけながら宣言したその言葉を聞いて、オレは稲妻が走ったかのような衝撃に襲われてしまった。

 甘える……なんていうか、心地良い響きだ。

 それが具体的にどういう行為へと繋がるかは、まだよくイメージできてないけど……少なくとも、終斗にそんな類の行為をしたことがないのも確かだった。

 パズルのピースがかちりとハマったときに近い感覚と共に、ひとつの欲求が胸の奥底から浮かび上がってくる。

 ――甘えて、みたい。

 欲求はむずかゆい疼きとなり、心と体を逸らせて。気づけば口が開いていた。


「オ、オレ、ちょっと今から、その……終斗の家に……」

「いいわよ……って許可取るような話でもないけど、せっかく恋人同士になれたんだし、思い切り甘えてきなさいな。"あなたらしく"……ね?」

「あ……うん!」


 そっと背を押すお母さんの言葉が、オレの中にある口火を切った。

 迷うことなく、オレは終斗の家に行くための準備をしにリビングを出ていく。

 後ろでは初穂と母さんがなにか話し始めていたようだったけど、逸る気持ちに引っ張られている今のオレに、それを知る由などないのだった……。




「うふふ、とりあえずは一件落着ってところかしら。あの子のことだし終斗くんも真面目だからふつーに甘えるだけになりそうだけど、それもまたひとつの恋の形ってね」

「ふつーにって……まさか、お母さんや」

「なにかしら?」

「甘えるって、"お母さんらしく"だとどーなんの?」

「そりゃあもう……ベッドで」

「はいもういいごちそうさま! いくら年頃っていってもさすがに親の生々しい惚気話は食えねぇや!」



   ◇



 築15年の6階建て。お歳は二桁だけれども、外観はわりと綺麗でまだまだ現役とお見受けできる、6階建てのマンション。そこの301号室が、終斗の自宅だ。

 ドアの横に付いている、マンション自体が古めなせいかモニターすら無い簡素なチャイムのボタンを押して、しばらく待つ。

 するとすぐにドアが開いて、待ち人が出てきた。

 彼は学校から帰ってきてそんなに時間が経っていないからかまだ学校指定の長袖シャツのままだったけど、オレもセーラー服のままなのでおあいこだ。

 どちらかといえば長身痩躯な彼……終斗は、オレの姿を確認してから短く名前を呼んだ。


「始」

「あ、終斗……こんにちは、っていうのも変かな。1時間ぶりくらいだし……」

「たしかに。とりあえず、中に入るか?」

「う、うん……」


 終斗がドアを開けて中に入るよう促してくれたので、オレは素直に従ってドアをくぐった。

 初めてどころか何回も入ったことのある家だし、恋人になってからも料理を教えてもらうためにしょっちゅう出入りしていた。だというのにこれからやろうとしていることを考えるだけで、緊張に軽く身が強張る……。

 なんてことに気を取られているうちに、リビングまで通されていた。

 一応、『家に行く』という旨だけは先に連絡しておいたからか、フローリングの床に敷かれたカーペットの上には、二人で向かい合うのにちょうど良さそうな小さい丸テーブルが用意されていた。テーブルの上にはちゃんと湯のみが二人分用意されている辺り、さすが終斗というべきか。

 「座ってくれ」とまた促してきたので、言われたとおり丸テーブルの前にそっと腰を下ろした。

 内股で八の字に足を開いて座ると、終斗もその対面にあぐらを掻く形で座ってから、口を開いた。


「悪いな、今はちょっとお茶しか持ち合わせがなくて。ジュースとかじゃなくて良かったか?」

「あ、ううん大丈夫。というかこっちがいきなり押しかけてきたんだし」

「まぁ暇ならわりとあるし、始が来てくれるなら歓迎しない理由もないだろう。茶菓子とかはいるか? そういえば座布団敷いてなかったな……持ってこようか」


 すごい、招かれてから約1分でここまでの至れり尽くせりっぷり。

 このまま甘えれば駄目人間の坂を見事に転がり落ちれそうだしそれはそれで魅力的なんだけど……今回は、そういう"甘える"がしたくて来たわけじゃないので。

 立ち上がる終斗を、オレは咄嗟に呼び止めた。


「しゅ、終斗!」

「ん?」


 半端に立ち上がりかけた体勢のまま、首を傾げる終斗。そんな微妙な姿勢でもかっこいい……じゃなくて!

 いざ「甘えたい」だなんて言おうとすると、緊張する。そもそも未だに甘え方とかよく分かってないのに……。

 でも……こ、告白なんかよりもずっと簡単なはずだし、頑張れオレ!頑張るぞオレ!


「あ、あの」

「あの」

「あの!」

「あの?」

「あまっ……甘えさせて、ください!」

「あま……あまっ!?」


 瞬間、終斗が目をひん剥くように見開いた。

 終斗にしては珍しい表情を見れた、と喜ぶ自分がほんの少しいる一方、大多数の自分は恥ずかしさと緊張で大慌てだった。

 よく考えなくても、物凄い変なこと頼んでるんじゃないのオレ……!

 で、でもお母さんも同じだって言ってたし、お、女としてそんなに変でもない気持ちだって信じたいけど……でも終斗、滅茶苦茶驚いてた……。

 とはいえ振った賽は必ず目を出すし、言ってしまったものはもうどうしようもない。

 ドキドキしながら終斗を見守っていると、終斗は2秒ぐらい半端な姿勢で固まったあと、ようやくちゃんと立ち上がって、丸テーブルから少しだけずれた位置に立ちなおす。

 なにをするのかと思いきや、両腕を緩く広げて……一言。


「こ……こうか?」


 困惑の表情と共に広げられたその腕の意味が、一瞬理解できなかった……けど。

 その腕の間にある空間、終斗の胸元辺りに目を向けると同時。


「ぁ……」


 オレの口からは、自然と声が漏れていた。

 ごくりと唾を飲み込む。心と体を疼かせていた欲求が、はっきりと強まった。

 自分でもなにがなんだか分からないまま、それでもなにかに導かれるように体が立ち上がって。

 ふらふら揺れるのもお構いなしに、おぼつかない足取りで終斗の両腕の間へと向かう。

 互いの身長差は約30cm、つまり終斗の胸辺りとオレの顔が大体同じ位置にあるということで。彼の両腕の間で力を抜いて倒れこめば、オレの顔は自然とその胸元へと吸い込まれていった。

 とん、と肉の薄い胸板で優しく支えられると同時、終斗の匂いが鼻に届いた。


「ふぁ」


 まるで条件反射のように声帯が振動して、短い吐息と言葉にならない声がひとつ、吐き出された。

 ハナミランドで借りたコートと同じ匂いだったけど、終斗の肉体そのものがシャツ1枚、もしくは下にもう一枚着ているかもしれない。といった程度の薄い壁にしか遮られていないせいで、コートのそれよりも確実に強く感じる。

 視界には白のシャツが一面に広がり、だけどその向こうに終斗の体があるのは当然分かっていて。ほとんど無意識のうちに自分の両手を終斗の背中に回すと、そのままぎゅうと抱きしめて、その胸板に顔を押し付けた。

 少々痩せ気味だからか肉は薄くて硬いけど、でも頼りないなんてことは全然なくて、オレ程度がいくら押し付けてもびくともしないそれには、『体を預けても良いんだ』と思わせる確かな安心感があった。


「ん……」


 触れ合う肌に終斗の体温が伝わってくる。彼の心臓の鼓動も小さい震えとして肌に届き、それと共に喉の奥からかすかに息を漏れた。


 ――"ここ"にいたい。


 そう、切に思った。

 愛しい人の匂いと、体と、体温と。全てを感じられるこの場所は、きっとどうしようもなくオレの求めていた場所で。

 だからここにいたい。もう今のオレに、それ以外のことは考えられなくて――


「ふぁっ、あ……」


 また勝手に、声が出てしまった。

 その原因は間違いなく、頭上に乗っているある物だ。

 それが頭上で動くたび、頭が優しく揺らされるたびに、その揺れが伝播するかのように喉を震わされる。


「ひゃ……」


 当たり前だけど人の目に頭上は見えない。それでもオレは、今自分がなにをされているのかをすでに理解していた。なぜならば、少し前に同じことをされた記憶があったからだ。

 それはハナミランドでされた、"なでなで"だった。

 つまりオレは今また、頭をなでられている。ということだ。

 くすぐられる髪、優しく刺激されるツボ。そしてなでてくれている人が終斗であるその事実。そう、至高の"なでなで"が再びここに顕現したのだ。


「え、えへへ……」


 幸せだ、幸せすぎておかしくなりそうだ。

 いやもしかしたらもう、ちょっとだけおかしくなってるような気もするけど、でもまぁうん、幸せだしいいや……。


 そうしてオレは、外が夕暮れ色に染まるまでずっと終斗に"甘えて"いたのだった。


   ◇



 本当に甘えるだけ甘えて帰ったから、正確な時刻は覚えていないけど、多分夜鳥宅におじゃましてから1時間ぐらいは経っていたと思う。

 とにかく夕飯の都合とかもあったのでひっじょーうに名残惜しくも終斗と別れ、半ば夢うつつにも近いふわふわした気持ちのまま、オレは自宅に帰ってきた。


「ただいまー……」

「おかえりなさい、思ったより早かったわね」


 若干おぼつかない足取りでリビングへと赴いたオレを、お母さんは笑顔で出迎える。

 一方、ソファーに座りコップ片手に寛いでいた妹が、からかうような口調で聞いてきた。


「それで始、一体終にいの家でなにやってきたのかなぁ?」


 言うだけ言って、ニヤニヤとやらしい笑みを浮かべながらコップに口をつけ始めた初穂。

 普段ならもう少し思うところもあるはずだけど、今のオレは色々と、ふわふわだ。

 だから初穂の言葉に対して特になにを考えるということもなく、素直に話した。


「えっと……終斗に、初めて抱いてもらっちゃった」


 瞬間、ぶふぅっ!と派手な噴射音が鳴ると共に、初穂の口からオレンジジュースが漫画じみた勢いで噴き出された。

 アーチを描いて床へと飛んでいくジュースに、綺麗に飛ぶなぁとのんきな感想を抱いていたら、お母さんにも尋ねられた。


「あらあらうふふ、どうだった? 初めての体験は」

「あの、すごい幸せで、気持ち良くて、癖になりそうっていうか……えへへ」


 ちょっと照れくさくて、つい笑みでごまかしてしまう。

 そんなオレを見て笑みを深くするお母さんとは対照的に、初穂はなぜか咳き込みながら、床にこぼれたジュースを気にも留めず大声を上げた。


「げほ、げほっ……べ、ベッドでやったの!?」

「え? リビングでだけど……」

「リビングで!?」


 なんでそんなに驚くんだろう。

 初穂の疑問の意図は掴めないものの、特にやましいこともないので素直に答えたオレに対して、初穂はとんでもないものを見る目を向けてきた。

 その目のまま初穂は唾を飲み込んで、そしておそるおそるといった様子で口を開いた。


「ち、ちなみにいかようにして……」

「こう、終斗の胸に飛びこんでぎゅって感じで抱きしめて」

「うん……うん?」

「そしたら頭なでてもらって……ってなに言わせるのさもう!」


 いくら家族にだって、あんなことを詳しく言うのは恥ずかしい。

 ついいやんいやんと体をくねらせてしまうけど、初穂は……なんか、ものすごい微妙な顔をしていた。


「……ところで、服は」

「服? あ、終斗は制服のままでね! でもえっと、学ランは脱いでるから下のシャツだけで、だからぎゅってしたときも終斗の体温で温かくて」

「まって、ごめんこっちから聞いてなんだけどまって。ひとつだけ言わせて」

「うん」


 オレの言葉を静止したあと、初穂はゆっくりと立ち上がり、頭を抱えて……地面に向かって思い切り叫んだ。


「ああああそういうことかよもぉぉぉ! なんか色々と損した気しかしないんだけどぉぉぉ!」

「!?」


 理由はよく分からないけれど、なんにせよいきなり叫ばれたら、普通にビビる。というか今ビビッている。

 だけどお母さんは、それでも一切動じずにいつもどおりの笑顔のまま、一言。


「一体なにを考えていたんだか。思春期ねぇ、初穂も」

「ほんとにね思春期だからね!」

「?」


 お母さんに向かって、半ばやけっぱちに言葉を投げ捨てる初穂。

 確かなのは、思春期というものは複雑だ。そんな当たり前の事実だけだった。

【おまけ:始の帰宅後、一方の彼は】

終斗「始の体、柔らかかったな……シャンプーのせいなのかは分からないけど、甘くて良い匂いもしたし…………あああああやばいこれ絶対くせになる、下手すると余裕で駄目になれる……!」

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