第23話 オレと俺の大決戦、破(後編)。貴方と、繋がる
ハナミパークは当初、今でいうセントラルエリアだけしか存在しなかったらしい。それがHANAMI自体の成長やパークの人気上昇に伴い、ドリームエリア、フューチャーエリアの順に増築されてここまで大きい遊園地になったのだとか。
そんな感じの解説を始から受けつつ、俺たちはドリームエリアへとたどり着いた。主にイベント事での用途が多いエリアだからなのか、出店や土産屋なんかもアトラクションが中心だった他二つのエリアに比べて多く見かけた。
「それで終斗、これからどうするの?」
始に尋ねられた俺は、わずかな躊躇を置いてからある建物を指差した。
「……あれ、だな」
「あれ?」
始は素直に俺の指差す方へと視線を向けて……みるからに、顔を強張らせた。
そして震える声で、俺に問いただす。
「あ、あれって……あれ、だよね」
「どう見てもあれだな」
その建物は3階建ての長方形。無機質な灰色のコンクリートで覆われた壁面にはこれでもかと蔦が絡みつき、全ての窓はひび割れもしくはガラスが丸ごと取っ払われて、マンション内部への入り口は果てしなく続くような深い闇を湛えながら、大口を開けて待っている。
極めつけには『探検!ゾンビマンション』という例の分かり安すぎるタイトルを掲げた看板だ。ご親切にもディフォルメが効いたゾンビに「welcome!」という吹き出しまでついているが、ちょっとフランクすぎやしないかそれは。
おそらく、いや間違いなくあの建物の趣旨を理解したであろう始は、むっと眉をひそめた上で唇を尖らせたあからさまな表情で、再び俺の方を向いて言った。
「……終斗の意地悪、鬼畜」
楽しいなぁ!
謗られて最初に感じた気持ちなんだが、SとMどっちのものなんだろうかこれ。
下種な内面は当然おくびにもださず、俺はしれっと挑発で返した。自分でいうのもなんだが、これが多分"図に乗っている"というやつなんだろう。
「はっはっはっ、べつにいやならいいんだぞ」
「いっ……いやじゃないし! べつにもう高校生なんだから、こんなの怖くなんて……でもただちょっとあれというか久しぶりだから慣れてないというか――」
「そういうことなら早速行くか」
ごにょごにょと言い訳を並べ連ねる始を置いて、俺は例の建物に向けて歩き出した。
「ちょっ、ちょっと待ってよー!」
後ろから慌てて始が追いかけてくる、なんだこれ楽しい……。
意気揚々と進む俺に、おどおどしながらついてくる始。
普段とは逆の構図に不思議な面白さを感じながら、俺たちは受付を通りマンションの入り口へと足を踏み入れるのだった……。
◇
どこもかしこもほの暗いマンションの中には、不気味なゾンビが無数に徘徊しており侵入者の行く手を阻む。
しかしゾンビは光に弱いので、受付で貰った懐中電灯の光を当ててやれば、ゾンビはたまらず逃げていく。
なのでプレイヤーは懐中電灯を駆使してゾンビをかわしつつ、1階、2階、3階に1個ずつ散らばった宝石を全部集めて受付へと戻ることができれば、晴れてゲームクリアだ。
それがこの『探検!ゾンビマンション』というアトラクションの概要である。
ちなみに姿こそ現さないが幽霊なんかも住み着いているらしく、ラップ音やポルターガイストなんかもたまに起こるらしい。無論、あくまでもアトラクションの設定でしかないが。
そんなわけで俺たちも例に漏れず現在、一人ひとつずつ持たされた唯一の武器でもある懐中電灯と、点滅を繰り返す切れかけの天井照明を頼りに、マンションの探索に臨んでいた。
まだ1階の、ひとつ目の部屋を調べたばかりという序盤も序盤といったところだが、とりあえず今のところゾンビは出てきていない。
精々ほとんど先が見えない薄暗い廊下を歩いていると、時折ラップ音じみた怪音が聞こえるくらいだ……が、それでも恐怖が刺激されるらしい始は、音が鳴るたびに良い反応を見せていた。
――パチンッ。
何度目かのラップ音。手のひらを叩くような音が唐突に響き渡り、続いて始が声を上げる。すでに若干涙声っぽかった、よし。
「ひぃっ! もうなんでこんなパチンパチン言うんだよここぉ……」
先導する俺は特に気にもせず、歩きながら口を開く。
「そりゃあお化け屋敷だからな。ラップ音のひとつやふたつ日常茶飯事だろう」
「お化けじゃなくてゾンビ物だろこれ! なんで幽霊までいるんだよ、設定を大事にしろよ! 大体なんだよ懐中電灯の光に弱いゾンビとか、散らばった宝石を集めてこいとか……大事にしろよ!」
「たしかにツッコミどころ満載だが、設定がリアルになったらそれはそれで怖さが増す気もするな」
「ひぅ……すぐ、そういうことばっか言う」
「性分だからな」
今非常に楽しいのも含めて性分というものなんだろう、自分でもこんなに楽しいとは予想外だったが。
そうこう言っているうちに、俺たちはふたつ目の部屋の前に到着した。
「よし、開けるか」
「ほ、ほんとに開けるの?」
そうしなければゲームが進まないのだから、そうするしかない。決して始の反応を楽しみたいとかそんなことは滅相も。
丸型のドアノブを捻ると鍵がかかっている様子はなく、あっさり回ってドアが開いた。
お互い右手に握っている懐中電灯を正面に当てつつ、玄関に足を踏み入れてみれば、視界に飛び込んできたのは一本の短い廊下。最奥にはまたひとつ、ドアがあった。
人が住むのに無理があるのはこの時点で明らかだが、それはこのマンションがおそらくアトラクション用にだいぶ簡略化されているためであろう。ちなみにひとつ目の部屋は驚くことに、リビングとトイレしかなかった。うん、こんなマンション廃れて当然だと思う。
なんにせよ、一本道なら調べるところが少なくて楽だ。まぁ分岐点を作るわけでもなく、わざわざドアの先にもうひとつドアを置く辺り、いかにもなにかありそうな気はするが。
「よし、進むか」
「ほ、ほんとに進むの!?」
例の如く例によって、進まなければいけないのだから、そうするしかない。決して始の以下省略。
一応懐中電灯で、廊下のあちこちを照らして調べながら進む。なぜか壁に子供の落書きじみたものがちらほら描かれていたが、ただの雰囲気作りだろう。俺はもちろんスルーして奥に向かった。俺は、だけど。
「な、なんなのこの落書き……なんか怖い……わけじゃ、ないけど……ってもう開くの!? こ、心の準備が……」
始の反応はきっとお化け屋敷冥利に尽きるだろうなぁ、なんて考えながら俺は躊躇なく、廊下の最奥のドアを開いて中に入った。
その先に広がっていた景色は――
「これは……子供部屋か?」
「うわぁ、なんていうかうわぁ……」
後ろで始が引き気味な声を発していた。
その部屋はざっと見て10畳ほどの広さで、電気こそ点いていなかったが暗闇に慣れた視界は、そこかしこに転がる着せ替え人形や魔法少女の変身アイテムらしき女子が好みそうなおもちゃ、それに絵本や積み木といった定番の遊び道具なんかを映し出した。
懐中電灯で適当な壁を照らしてみると、廊下に書いてあったようなものと同じような筆跡で書かれた落書きが。廊下のはこれの伏線だったのかと、どうでもいい納得を覚えた。
「さて、調べるか」
「ほ、ほんとに調べるの!?」
そうしなければ以下省略。
ためらう始を説得した後、俺たちは二人で手分けして部屋を調べだした……はずなんだが。
「……始、同じところ照らされてもわりと困るんだが」
「だ、だってひとりで調べてうっかり変なの見つけたら怖っ……くないけど、ほら、あれだよ!」
どれだ。
まぁ半ば無理矢理お化け屋敷に入らせたのは俺だし、このくらいはべつにいいか。あまりガチで怖がらせると、あとで罪悪感でてきそうだし。
俺は怯える始を隣に、探索を続ける。右から左に、天井から床に懐中電灯を照らしていくと、床に転がっているボロボロのおもちゃや、壁や床にべだべだと付けられた子供サイズの黒い手形などが姿を現した。
だが今のところこれといって、目を惹くような物は見当たらない。
「ひぃ! こ、この人形、目が取れて……うわぁ、手形!?」
始は探索の間なにか見つけるたびに悲鳴を上げていたが、結局はなにも起こらないまま、部屋の右半分の探索が終了した。
その頃にはさすがに始も慣れてきたのか「な、なんだなにも起こらないじゃん。驚かせやがって……」などと呟いたりもしていたが、それはいわゆる"フラグ"というやつだと思う。本当にお化け屋敷向けの性格だなこいつ。
右半分にない以上、どうせこっちになにかあるんだろう。そう思いつつ部屋の左半分に目を向けて、怪しいところを目測で確認する……見つけた。左端、部屋の隅を隠すようにして子供用の小さな滑り台が置かれている。
肝心の隅は滑り台に隠されていてよく見えないが、目を凝らしてみれば暗すぎるぐらいの暗闇が滑り台の合間から覗いていた。そう、そこになにが存在しないと有りえないほどの暗闇が。
ああ絶対にいるな、どうするかな……。あえて放置するのもアリだけど、あとで後ろから急に脅かされても始の精神が持たなさそうだし、さっさと見つけておくか。
そう思い、滑り台に懐中電灯を向けようとしたその瞬間。
「ぁぁそぉぼぉ……」
か細いが、井戸の底から響いたようにぐぐもった不気味な子供の声が、部屋の右側から聞こえてきた。
「ひぎゃああああ!! 子供、聞こえた! 子供!」
続いて、始があられもない悲鳴を上げながら懐中電灯を慌てて部屋の右半分に向けて振り回す。正直子供の声よりもこっちの方が心臓に悪い。
始をなだめながら、俺も同じく右半分へと懐中電灯を向ける。声はたしか床の方から聞こえたような……。
「ぁぁそぉぼぉ……」
「いやぁぁだぁまだ聞こえるぅぅ!」
始の悲鳴がうるさくて少々手間取ったが、謎の声の正体は床を注意深く探していたらほどなくして見つかった。
俺はそれを両手で拾い上げてから、始の名を呼んだ。
「始」
「ひぃぃ声がどんどん近づいてぇぇ!」
「落ち着け」
錯乱している始の頭を懐中電灯でこつんと軽く叩けば、始は少しだけだが落ち着いたようでようやく俺に気づいた。
「いたっ……あ、終斗!? なんか、なんか声さっきよりでかくなってない!?」
「でかいもなにも。ほら」
「ひぃ! お前なんてものを……って、あれ……?」
俺が目の前に突き出したそれに一度は驚きあとずさった始だったが、それのカラクリにようやく気づいて、電灯で照らしつつまじまじと見つめた。
「ぁぁそぉぼぉ……」
「……もしかして、声ってこいつからでてる?」
「もしかしなくてもな。所詮はどこまでいってもお化け屋敷、ただの録音だよ」
突き出した俺の両手が持つのは、ゴミと言っても過言ではないほどに朽ち果てた熊のぬいぐるみだ。ぬいぐるみの腹からは「ぁぁそぉぼぉ……」とぐぐもった声が、幾度となくリピートされ続けていた。つまりは、そういうことである。
「な、なぁんだ……こんなの怖がる必要ないじゃん。い、いや全然怖がってなかったけどな!」
そこまで頑なに怖がりを認めない根性含め、お化け屋敷の客として完璧だと言わざるをえない。俺が店側だったら年間フリーパスを上げても構わないほどだ。
なにはともあれ、ぬいぐるみの背中にあったスイッチを切ったら音は止まったため、今度こそ左側の探索を再開……「ぁぁそぉぼぉ……」ん?電源は切ったはずじゃ……。
「しゅ、終斗? 今また……」
「ああ、このぬいぐるみはたしかに電源切ったんだがな」
「ま、まぁぁぁ……」
また聞こえた子供の声。同じ声音だが、今度は違う言葉。左側から聞こえたその声は、気のせいかさっきの声よりも明瞭に感じられた。
俺の脳裏に部屋の左隅で見た謎の影が過ぎるのと、始が震える声で強がりながら部屋の左に体を向けたのは、ほぼ同時だった。
「これはもしかして……」
「へ、へへんっ! どうせまたレコーダーかなんかで流してるだけだろ! そんなの――」
ガタンッ!
なにかが倒れるような音とともに、始の声が途切れる。
始を見れば、目を見開き恐れを通り越したようなある種の無表情で固まっていた。右手に持つ懐中電灯の存在すら忘れてしまったようで、その光は無意味に床を照らしている。
彼女の視線を辿り、部屋の左側。それもなにかあるだろうと予想していた隅に目を向けてみれば、案の定というべきか。滑り台が倒れてその上に四つんばいの姿勢で人影が、俺たち以外の"なにか"がそこにはいた。
ああなるほど、二段構えか。中々手が込んでいる。
俺が脳内でそう評した直後、"なにか"が言葉を発した。さっきまで始が怯えていた声と、同じ色で。
「ま、ま」
ママ、とでも言ったつもりか。そいつは一言呟いたあと滑り台の上でゆっくり、ふらふらと不気味な挙動で立ち上がる。
「マ゛マ゛」
さっきよりもはっきりと、しかしいやに重く濁った声音で同じ言葉を再び繰り返し、一歩踏み出す。
足を動かしたことで、下の滑り台が暗がりの部屋にガタッと物音を反響させる。隣で「ひっ」と短く声が漏れる。それが、合図だった。
「あ゛あ゛ぞ、ぼぉぉぉぉぉ」
「きゃあああああああああ!!!」
「ふぅおっ!?」
上から順に、両手を水平に持ち上げながら俺たちに向かってくる"なにか"……もといゾンビのおぞましい叫び。
ようやく硬直が解けた始の可愛らしくも、本人は必死全開であろう叫び。
その始にアメフトのタックルもかくやという勢いでわき腹に抱きつかれて、背骨が変な方向にひん曲がりそうな一撃を受けた俺の情けない叫び。
あまりの威力にわき腹からミシミシと軋むような幻聴さえ聞こえてくる。並大抵のホラーよりも生々しく恐ろしい恐怖体験の中、なんとか懐中電灯をゾンビに当てれば、いかにも少女趣味なフリルが多く付いたファンシーな服を着た、髪の長い女児ゾンビの姿が露になった。
青白いを通り越して腐りぼろぼろになった黄土色の顔が苦しそうに歪んで、濁った叫びを上げる。
「ぎゃああああ……」
両腕で必死に光を塞ぐ動作とともに、ゾンビがすたこらさっさと部屋の外に逃げていった。
しかし演技自体は迫真のものだったと感心するが、始よりも身長が若干高かったのとぱっと見20代近い顔付きをしていた辺り、『ああきっと頑張って身長小さい人を選出したんだろうな』と世知辛い憶測をついしてしまう。
そんなドライな感想が浮かんでしまったのは、きっと別の恐怖体験の真っ最中だからだろう。
腰に手を回し、体を密着させて抱きつく。そう書けば見栄えは良いかもしれないが、実際のところは両腕で俺の腰周りを拘束して、俺のわき腹に頭を押し付けた上でそのまま絞め殺す必殺技、とか書いた方が近い有様だ。
「きゃああああやだああああ!!」
始は未だに錯乱して俺の隣で叫び続けているが、叫びたいのは俺の方だ。あ、やばい。腹に圧力かかりすぎて、なんか吐き気がぶり返してきた……。
とりあえずなんとかして宥めなければ、俺の口からリアルバイオハザードが発生してしまう。
「始、落ち着け始」
「ひゃああああやああああ!」
「くっ、ふんっ……! 呼びかける程度じゃ駄目か……このままでは――」
瞬間、不意に過ぎった光景は、お化け屋敷に入る前のとある一幕だった。具体的に言えば、始の頭を撫でているシーンで。
「……ええい、ままよ!」
錯乱状態の始にいかほどの効果があるのかは未知数だが、俺はその閃きにかけた。
始へと視線を下ろし、俺の手を始の頭上に持っていくとためらいもなく、しかし傷つけないようにそっと手を始の頭に下ろした。
「ほあ」
スイッチでも押したかのように、悲鳴がぴたりと止んだ。なにこれ面白い。
同時に腰への圧力もだいぶ弱まった。俺は内心でほっと一息つきつつ、そのまま頭を軽くひと撫でしたのち始に問いかける。
「落ち着いたか」
「は、はい……」
なんで敬語。
それにしても……どうしたものかな。正直、ここまで錯乱するほど怖がるとは思わなくて、今更ながら罪悪感がふつふつとわいてきてしまう。名残惜しいし、まだちょっとした"目的"が残っていたがしょうがない。
途中で引き返すのもありだって受付では聞いていたし、もう戻るか。
あれだけ散々怖がったんだ、始も当然戻りたがっているだろう。そう思いつつ、一声かけてみた。
「1階でここまでのものが出てくるとなると、上の階はどうなるか分からないし……もう戻ろうか?」
「……やだ」
……意地っ張りだな本当に。そんなところも可愛いと思うのは、贔屓目に過ぎるだろうか。
まぁ本人がそう言うならば、止める理由もないので止めはしない……が、それならそれでとりあえず、腰からは離れて欲しい。
「そうか、なら一旦離れて……」
「……むり」
無理か、そうか。
リタイアはいやだが、誰かにくっ付いていないと進めないとはなんて面倒な……だがそんなところもかわ以下略。
しかし好きな娘と密着しているという状況だけ見れば、やはり見栄えは良いんだが……身も蓋もないこと言えば、普通に歩きにくい。それとこの状態で再びゾンビと出会おうものなら、今度こそ俺の腰部及び腹部が終わる。
さてどうしたものか。こんなところで立ち往生しているわけにもいかないし、早く策を……と、再び脳裏に天啓が舞い降りた。
それは俺がこのお化け屋敷にきた、最大の"目的"でもあった。
――始と、手を繋ぐ。もしくは腕に抱きついてもらう。
男なら、一度は誰もが憧れるシチュエーション。お化け屋敷で「キャーこわーい!」的な台詞とともに、彼女が彼氏の腕に抱きつくアレだ。
そんなシチュ、もはや漫画の中ですらみない過去の遺物なのかもしれない。所詮、現実においてはそんな夢物語なんて文字通り夢そのものなのかもしれない。
それでも……それでも俺だって夢は叶うものだと、叶えてこその夢だと信じたいのだ。現実はわき腹への強烈なホールドだったが。
だが……今ならどうだ?普段ならともかく、今の始は恐怖で錯乱気味だ。腰にしがみついたりするのなら、腕にしがみついてくれる可能性もさもありなん。
どうせ普段は繋ぐ度胸なんてないんだ、こういうときじゃないと言い訳のひとつもできないだろう?さぁさっさと言ってしまえよ。そう、俺の中の悪魔が囁く。
そんな恐怖心を利用する真似していいと思っているの、やっぱり男ならこんな暗がりじゃなくて白昼堂々と手を繋ぐべきじゃないの?俺の中の天使が囁く。
俺の中でふたつの心がぶつかり合う。俺は、どうしたら……。
――始の手、きっと柔らかくてすべすべだぜ?
悪魔が再び天使を背負い投げしていた、圧倒的勝利である。
腹を決めた俺は早速口を開こうとした、が……途端にぶわっと嫌な緊張が全身を襲い、頬に熱が集まってくる。ただ手を繋ごうとしているだけなのに。
未だ懐中電灯を持つ右手が、気づけば変な手汗に塗れていた。
電灯を左手に持ち帰ると右の手のひらをズボンの裾で一度拭き、恥ずかしさを少しでも抑えるために始から目を逸らして。
はたして俺の腰に手を回す始の左手に、俺は自分の右手を重ねてそっと握った。
「……どうせ掴むんなら、こっちにしないか」
●
怖いけど、リタイアはいやだ。リタイアはいやだけど、怖いものは怖い。
誰でもいいから人の温もりを感じていないと腰さえも抜けそうで、終斗のわき腹から離れられなかったオレの左手へと不意に伝わったのは、どことなく安心感を覚える温もり。
気を取られた直後、頭上から声が聞こえた。
「……どうせ掴むんなら、こっちにしないか」
「こっち……?」
終斗の声と感じる温もりに導かれて、オレは自分の左手に目を向ける。
するとオレの手とそこに重なる終斗の手が、視界に飛び込んできた。
「うぁ……」
終斗の熱を、はっきりと感じる。
"こっち"って、もしかしなくてもこの手のこと……?いやでもそんな……でもでも、これ以外にそれらしいの見当たらないし……。
ごくり。自然と喉が、つばを飲み込んでいた。
同時に、終斗の声が再び上から落ちてきた。
「……その、なんだ。今のままじゃ歩きづらいし。まぁ、お前が嫌ならいいんだが……」
声のする方に顔を向けてみれば、終斗はどことなく照れくさそうにそっぽを向いていて。
本当に、本当にいいの?
ずっと、夢に見ていた。終斗と手を繋いで二人一緒に歩く、些細かもしれないけど遠い夢。
夢は叶うものだと、叶えてこその夢だと信じたい。とはいえこんなあっさり叶っちゃっていいんだろうか、まだ告白すらしてないのに……。
手から伝わる温もりが脳まで温めてしまったのか、熱に浮かされたように頭がぼーっとしてくる。
本当にいいのかと少しだけためらって、それでもやっぱり繋いでみたくて。
……向こうから言ってきてるんだし、いいよね。
誰に向けたか分からない断りを心の中でひとつ入れて、オレは口を開いた。
「……分かった」
オレは一度、終斗の腰から離れる。同時に離れていく終斗の手に、一抹の名残惜しさを感じる。
しかし終斗がすぐに再び右手を差し出してきた。
オレはその右手を、半ば反射的に左手でぎゅっと握る。触れた手に伝わる感触に、訳もなく声が出た。
「わっ」
……気持ち良い。なんとなく、そう感じた。
こうして改めて握ってみるとよく分かる。この手は大きくて、節くれ立って、ざらざらしている……男の手だ。小さくて、丸っこくて、すべすべしているオレの手とは正反対。オレも半年ぐらい前までは、こんな手をしてたんだっけ……。
いや、ちょっと違った気がする。今よりかはたしかに終斗の手に近かったけど、それでも今握っているこの手よりも一回りは小さくて。むしろこの大きくて男らしい手を、羨ましがっていたんだと思う。多分、悔しがってもいた。
だけど今は、羨ましいとか悔しいとか、そういうのじゃなくて……ただ純粋に、愛おしい。
「……それじゃあ、行くか」
「う、うん……」
終斗の言葉に空返事で返すと、終斗が歩き出した。離れそうになった終斗の右手を離すまいと、オレも早足で歩きだす。終斗とは身長差があるから、並んで歩くと急がなきゃ追いつかない……あ、歩幅合わせてくれた。
相も変わらず暗くて視界は悪いけど、終斗がいれば、この手さえ握っていればへっちゃらだ。
むしろ月並みだけど、この時間がずっと続けばいいのに……とさえ、思えた。
とはいえ楽しい時間ほど早く終わるのがこの世の常というわけで……例の如く気づけばお化け屋敷の外にでていて、アトラクションクリア記念のキーホルダーを貰っていたわけだけど。
え、ゾンビ?2階からは終斗の手ばかり楽しんでいて全然記憶になかったよ!『恋は盲目』だなんて、昔の人は本当によく言ったと思う。




