表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
山の詩~とある天才指揮者の銀嶺に至るマーチ  作者: 譜楽士
足跡は、大地を踏みしめて
26/30

いざ、コンクール

 コンクールの会場は、もちろん山梨県の中心地・甲府だった。

 いかに東京よりは涼しいといえど、盆地である甲府の夏は暑い。なので会場で城山匠(しろやまたくみ)が本番の衣装に着替えてくると、それを見て部員の鰍沢瑠美(かじかざわるみ)が言った。


「あ、城山先生。こないだあげた靴、履いてくれたんですね」

「うん。こんなときこそ履かないとだろう」


 先日、生徒たちからもらった革靴を、城山は本番のこの日に履いていた。

 仕事が上手くいきますように――そんな願いを込めて渡された靴を、今日履かないわけにはいかないだろう。

 逆に、今でなくていつ履くというのか。

 仕立ての良いちゃんとしたものだけあって、靴はちゃんと足にフィットしている。履き心地も良い。もらった日から少しずつ慣らしてきたからだ。

 城山がそう言うと、瑠美は笑ってうなずく。


「靴ってその日いきなり履くんじゃなくて、ちょっとずつ慣らしていった方がいいっていいますもんねえ。だから本番の直前でもなく、直後でもなく、少し前に渡そうって話になったんです」

「ありがとう、そこまで配慮してくれて。改めてお礼を言わないと――」

「ところで靴をもらったとき先生、泣いちゃったんですって? いやあ、見たかったなー」

「と思ったけど鰍沢さんには必要ないみたいですね! プラスマイナスゼロです!」


 感謝をしかけたところでからかってくる瑠美へと、照れ隠しに城山は叫ぶ。

 靴をもらったときにあまりに感極まって泣いてしまったわけだが、今思い返すとただただ照れ臭い。

 しかも、生徒にそれをダシにからかわれるなんて。「冗談じょーだん! じゃ、出演者証ももらったしボクは搬入に行きますねー!」と飛び出していく瑠美を、城山はやれやれと苦笑いして見送った。


 打楽器は搬入経路が異なるため、演奏者用のリボンをもらったらそこからは別行動になる。

 次に会うときは舞台の上なのだ――と城山が少しの緊張を帯びた息を吐くと、その隣で部長の甲斐千里(かいちさと)が言う。


「瑠美のアレはアレで、照れ隠しですからね。城山先生もあんまり真に受けなくていいと思いますよ」

「え、そうなの?」

「はい。きっと相当嬉しかったんでしょう。ダッシュで逃げたぐらいですもん」

「へえ……」


 おかしげに言ってくる千里に、城山は改めて瑠美の去っていった方を見た。

 今いる場所は、学校の楽器置き場だ。そのスペースの出入り口の人ごみに紛れて、瑠美はあっという間に見えなくなっていた。


 コンクールの県大会ということもあってか、会場にはそれなりの人が行き交っている。

 初めてのホールってやっぱりドキドキするなあと辺りを見回しつつ、城山は千里に言う。


「甲斐さんはこのホール、何度も来たことあるの?」

「そりゃあもちろん。中学から今まで、コンクールといえばいつもここでしたよ。でも、たまには違うホールで吹いてみたいですねえ」


 山梨県大会の定番であるこの会場は、千里もだいぶ馴染みであるらしい。

 たまには違うホールで吹いてみたい、というのは、県大会を越えて西関東大会で吹いてみたいということか。

 部長である彼女のことである、そういった意味も含んでいるだろう。ただ、このホールもいいところだと思うけどな――と、城山は建物の中に入る前に見た、会場の周りの景色を思い出していた。


 学校の窓から見えていた南アルプスは、このホールからも見ることができる。

 さすが標高の高い山々だ。かの山に見守られて、これから『モンタニャール()の詩』を披露するのである。

 ぜひいい結果を持ち帰りたい。荷物の中にあるスコアと指揮棒を意識して、城山は軽く息をついた。


 練習もしてきた。手ごたえもある。

 自信がある――なら、あとはこの緊張を力に変えるだけだ。

 少しリラックスしてこよう。この靴で、少し歩いて――と、城山は千里に言う。


「じゃあ、僕は時間まで散歩がてら、会場を見て回って来るよ。ホールの中の反響とかもチェックしてくる」

「了解です。あ、じゃあ舞、先生を案内してあげて」

「えっ、わ、わたし⁉」


 急に話を振られて驚く茅ヶ岳舞(かやがたけまい)に、千里は「なに言ってんの。当たり前じゃん」とコンクールのプログラムなどを整理しながら言った。


「あたし、ちょっとまだ手が離せないからさ。舞なら大丈夫でしょ。よろしく頼むよー」

「で、でもわたし、そんなことができる身分じゃないというか……」

「僕より慣れてると思うなあ。茅ヶ岳さん、このホール来たの何回目?」

「さ、三回目です……」


 ごねる舞に、城山は試しに質問をしてみた。

 彼女は確か高校一年のコンクールの前に転校してきたというから、何度かここにも足を運んだことがあるはずだ。

 そう予想して訊いてみれば、案の定舞は正直なところを答えてくる。


「ほら、僕より絶対詳しいじゃないか。ホールの構造ってさ、微妙に場所によって異なるから迷いやすいんだよね。お願いできないかな」

「わ、分かりました……」

『よろしくねー』


 観念してうなずく舞に、城山と千里は声をそろえて言う。

 同じ楽器同士で息が合ったのがおかしかったのか、二人の様子を見て舞はぷっと噴き出した。

 それにつられて城山と千里も笑い出し、その場には和やかな空気が流れる。

 と――


「……え?」


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()、城山は振り向いた。

 楽器置き場の入り口。

 今そこに、見知った影があったような――


「どうしたんですか? 先生」

「……いや。気のせいだと思う、たぶん」


 ()()()()()()()()()()()()()()()が、改めて見回してもそこには知っている人間はいなかった。

 本番が近くて神経質になっているのかもしれない。そもそもあの人が、わざわざ山梨まで足を運ぶわけがない――と思いつつも。


「……甲斐さん。ここを頼んだよ。部外者が来たら変にひとりで応対せずに、必ず勝沼(かつぬま)先生を呼ぶように。いいね?」


 念のため部長にはそう指示して、城山は舞と歩き出した。

 彼女たちのことは絶対に守る。心の中で改めてそう決意して――。


「茅ヶ岳さん、大ホールの入り口ってどっちだっけ。あと自動販売機ってどこかな?」

「あ、こっちです!」


 初めてのホールを部員と往く。

 ちゃんと案内をしてくれる舞に、なんだ、やっぱり大丈夫じゃないかと城山は笑った。

 考えてみれば彼女が以前の学校にいたのは、たった数ヶ月なのだ。

 高校生活のトータルで考えれば、山梨で暮らした時間の方がはるかに長い。

 その事実を、日々を信じると言ってくれた生徒の後について、城山は歩いていく。


「……僕はあなたには、絶対に負けない」


 たとえ本当に、あの先輩がここに来ていたとしても。

 自分たちが過ごしてきた日々を、否定などさせはしない――そんな強い気持ちで。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ