3-30「逆臣はどちらか、語るまでもないだろう。軍を退いたらどうだ」
とっくの前に、限界に達していた。限界を超えて、後続の兵たちはついてきている。ディスフィーアは旋回しながらそう思った。
ジャハーラとぶつかり、距離を取って旋回する。その戦法はすでにジャハーラに見破られていた。いくら一角獣が速くとも、後続の兵はそれについてこられないのだ。
ディスフィーアは単騎駆けを織り交ぜて敵の騎馬隊を翻弄した。
誰も、一角獣の本気の速度にはついてこられない。ジャハーラの騎馬隊の真横を駆け抜ける。敵が反応し、精霊術で攻撃を仕掛けてくる。ほとんどが火の精霊によるものだ。通り過ぎ、背を向けた瞬間が一番危ない。風の精霊を張り巡らせて身を守る。
駆け抜けるだけの時と、兵を率いて敵を削るとき。緩急をつけて規則性を持たせない。それでジャハーラに動きが読めないようにするのだ。
それでもディスフィーアの動きについてこれない者は、打ち落とされてゆく。
ディスフィーアは兵を休ませなかった。考える余裕を持たせれば、ジャハーラの魔術に飲まれる。
魔術は言ってしまえば、精神を操る精霊術のことである。魔術を行使する者は、その前に不可思議な現象を起こして混乱させたり、疑惑疑念を持たせるキッカケを作った上でそれを増長させてゆくか、そのどちらかの手段を取る。
黒竜の塔で学んだ知識が、まさか父と戦うのに役立つとは思わなかった。
兵はもう、五十騎も残っていなかった。ジャハーラの騎馬隊は最初に打撃を与えて以来、ほとんど兵を減らしていない。四千五百、いや、四千七百騎以上は残っているはずだ。
ディスフィーアがどんなに駆けまわっても、あの軍を崩すことは叶わない。それこそ、巨人の周りを羽虫が飛び回っている程度の話だ。
「戦いにならないのは、最初からわかっていたことよ」
ディスフィーアは、ユニコにしか聞こえないように呟いた。自分に言い聞かせているようでもある。
ジャハーラは騎兵たちの動きを緩やかにした。その騎馬隊を包むように、炎が展開される。
大規模な火の精霊術を行使したようだ。ディスフィーアはあまりの眩さに、腕で顔を覆った。ディスフィーアが命じるまでもなく、一角獣は敵から距離を取った。
ディスフィーアは騎馬隊を旋回させた。恐れ戦く暇を兵に与えては、魔術に飲まれる。
かといって、この光源の中で近づいたら、確実に全滅する。闇に紛れることもできないのだ。
攻め手を失った。精霊術を使い続けさせてジャハーラが疲弊するのを待つにしても、その前に兵たちの心に隙ができるだろう。そうなればジャハーラの魔術に飲まれる。一瞬でも戦意を失えば、百倍の騎馬が突っ込んでくる。
ジャハーラを囲むように大きく旋回する。あれだけの光があれば、一角獣だけでなく、後続の兵たちの姿も見えるはずだ。
(ここまで、か……)
もう、打つ手がなかった。兵の疲労も限界に達している。
ルイドは上手くやっただろうか。時は稼いだはずだ。ずいぶん遠くまでジャハーラを引っ張り込んだ。ルイドたち本隊の戦いは、遠く闇の中で判別がつかない。まだ精霊術の火は上がっているから、戦闘は続いているはずだ。
(早く崩しなさいよ。こっちはもう限界なんだから……)
逃げるか? ディスフィーアは考えた。
一角獣なら逃げ切れるはずだ。だが、ここまで必死に戦った兵たちを見捨てることになる。ばらばらに駆けさせれば生き延びられる可能性があるが、ジャハーラが果たしてそれを許してくれるか。
駆け去ろうとしたジャハーラの騎馬隊を足止めしたのだ。もう一度背を向けてくれるだろうか。落ち武者狩りに数百騎でも残されたら、ほとんどの味方が討ち取られてしまうだろう。たとえ五百騎残していっても、ジャハーラの騎馬隊は四千騎残るのだ。
どうするか。
ディスフィーアは思考を巡らせながら駆けた。あまり考えている時間はない。
遠くに、火が揺らめていることに、ディスフィーアは気が付いた。ルイドたちの戦っている山の方角でもない、魔都の方角でもない。
目を凝らす。騎馬隊のようだ。
敵の新手にしては、あまりに数が少ない。それに、ジャハーラは果たして騎馬をそれぞれに分けるだろうか。
反乱軍にも、もう騎馬はいないはずだ。そうすると、あれはいったい……?
一角獣が、向きを変えた。ジャハーラに背を向け、一直線に新手の騎馬隊へ向かってゆく。ジャハーラが騎馬隊を駆って追ってくるのが分かる。ディスフィーアは速度を落とさなかった。
闇の中にぼんやりと浮かびあがる、灰色の騎馬隊。闇の中に漂う、亡霊のようにさえ見える。ディスフィーアはその騎馬隊を良く知っていた。
たった三百騎。されどその十倍の兵にも引けを取らない、精強なる騎馬の軍勢。
――ゼリウスの騎馬隊だ。
どうして? とディスフィーアは思った。遠く、騎馬隊の先頭で、青い長髪を靡かせて指揮を執っているのは、間違いなく青眼の白虎公ゼリウスである。
ゼリウスは不戦を表明したのではなかったか。それがどうして、いまこの戦場に現れるのだ。
ゼリウスが手をあげた。頭上でくるりと回して、ディスフィーアの方を指す。
(反転して、共に突撃しろ……?)
ゼリウスの手による指示を、ディスフィーアはそう理解した。一角獣は思いに応えた。大きく旋回し、ゼリウスの騎馬隊の後列につく。
先頭を走るゼリウスが、剣を抜いた。
尋常ではない数の精霊が集まるのを、ディスフィーアは見て取った。ゼリウスが風の精霊を集めている。
騎馬隊が丸ごと、風に包まれているようだった。追い風というレベルではない。騎馬隊そのものが、放たれた矢のようだ。空気を切り裂いて猛進する。
敵の騎馬隊の先頭は、ジャハーラである。ぶつかる瞬間、ディスフィーアは父の顔を見た。眼をギラギラと輝かせ、口元は笑っている。
方々で火が上がる。熱気を感じる、圧倒的な炎。そこにゼリウスの騎馬隊が突撃した。
ぶつかり合ったのは、一瞬だった。
風の矢が、炎を貫いた。ディスフィーアはそうとしか思えなかった。ジャハーラの四千五百騎の中を、ゼリウスの三百騎が駆け抜けたのだ。
ゼリウスの騎馬隊はほとんど数を減らしていない。ジャハーラの騎馬隊もそう大勢が死んだわけではないようだ。
正面からお互いにぶつかり合ったのだ。ディスフィーアのように端を削るような戦い方ではない。それ以上に困難で、敵に動揺を与える動きだった。
両軍は大きく旋回し、距離を空けて対峙した。
「ジャハーラ公、王国貴族たちを処刑したと聞いたが、本当か」
ゼリウスが訊ねた。ゼリウスとジャハーラは共に純血種である。言葉を交わさずとも魔術で会話ができる。その上で無口なゼリウスが言葉を発して、訊ねている。兵たちにも聞こえるように、ということなのだろう。
「ああ。やつらはティヌアリア様の理想を穢した。殺すことになんのためらいもない」
「ティヌアリア様は、我らにユーガリアの未来を託したはずだ。王国に反旗を翻すというのが、ジャハーラ公の選択なのか。それならばなぜ、反乱軍に合流しない」
「おれは黒女帝ティヌアリア様以外に仕えるつもりなど、ない」
「それは、おれとて同じだ。だが、反乱軍には黒女帝を継いだという少女がいるという。ジャハーラ公はその少女と出会ったのか」
「いや」
「そして、ティヌアリア様が願われた平和を自らの手で壊すように、王国貴族の処刑をした。そのどちらも、黒女帝の意に反することだとは考えなかったのか」
「おれは」
「逆臣はどちらか、語るまでもないだろう。黒女帝ティヌアリア様の名を穢す前に、軍を退いたらどうだ」
「……くっ」
ジャハーラが、言い負かされていた。いつも傍若無人に振る舞っていた父が、こんなに悔しがる姿を、ディスフィーアは初めて見た。対等の力を持ち、同じく苦汁を舐めてきたゼリウスの言だからこそ、刺さるのだろう。
「ディスフィーア、ここで軍を率いているということは、エリザ様は仕えるに値すると踏んだのだな」
ゼリウスがディスフィーアをちらりと見て訊ねた。長い髪の間から、青い瞳が覗く。
「はい、ゼリウス様」
ディスフィーアの答えに、ゼリウスは頷いた。
「聞け、私はこれより反乱軍に……いや、解放軍に味方する! 魔族の兵よ、己が頭で良く考えて、私につくかジャハーラ公につくか決めよ」
ゼリウスの言葉は、良く響いた。敵の騎馬隊がざわめきたつ。旧帝国の将で、純血種だからとジャハーラについてきた兵である。まったく同じ条件のゼリウスが敵方に回るとなれば、魔族は割れるだろう。
「ところでジャハーラ公、先ほど魔都から煙が上がっているように見えたが、戻らなくて大丈夫なのか?」
ゼリウスが口元だけ笑いながら、ジャハーラに訊ねた。
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