6-19「伯父様が、ルージェ王国を裏切るなんて考えられないもの」
※今週は火曜日・木曜日にも更新しております。
王都ルイゼンポルムで、ラルニャが父ランデリードの手紙を受け取ったのは、記された日付からひと月以上も経ってからのことだった。
手紙には、王国騎士団がクイダーナ帝国軍、ドルク族に翻弄されて大打撃を受けたということと、農業都市ユニケーの被害状況などが事細かに記されていた。先んじて戦況だけは光や煙を使った信号で知らされていたが、こうして手紙が届くと詳細もわかるようになる。特にランデリードの傷の具合など、文面でなければなかなか伝えにくい内容だったはずだ。
ラルニャはその手紙を読み終えると、王城の窓からアーナ湖を見下ろして、ぼうっとすることが多くなった。
「ご心配ですか」
桃色の髪の精霊術師ピピーディアは、ラルニャの背に声をかけた。
二人がいるのは、騎士団長の執務室である。本来はランデリードの使う部屋だったが、留守の間だけラルニャは借りることにしていた。机の上には山のように書類が積み重ねられ、羽ペンとインク壺だけがかろうじて書類の間から顔を出している。ランデリードが出立する前には整理されていた戸棚や引き出しも、今や混沌とした有様である。
いずれもラルニャが調べ物をしようと引っ張り出してそのままにした結果である。ピピーディアは最初の方こそ溜息をつきながら片付けていたのだが、次第に面倒になって放置しているのであった。
「まあね。心配してもしょうがない、とも思っているんだけど、それでも嫌な感じがして」
ラルニャは言葉にしづらそうに言って振り返る。
「本当なら、ルージェ王国軍が負けるはずないわ。魔族にだって英魔戦争で勝利したし、ドルク族なんて蛮族にも負けるはずがない。それなのにお父様からは敗戦の報が届いた。……こんなことになってるのは、ルーン・アイテムが集まらなかったからよ」
「おっしゃる通りです」
ランデリードたち王国騎士団はルイゼンポルムを発つ際に、多くの貴族家からルーン・アイテムを出すように呼び掛けたが、そのほとんどの家から有力なルーン・アイテムが集まらなかった。出立前にヴァイムが残したメモを頼りにピピーディアが調べを進めてみると、やはりどの貴族家もルーン・アイテムを紛失していることが明らかになった。
ルーン・アイテムの有無は、戦力に大きな差を生む。もしルーン・アイテムがきちんと配備されていたのならば、王国騎士団はクイダーナ帝国軍やドルク族などに後れを取ることはなかったはずだ。
「なんだか変な感じがするの。……こう、引っかかるっていうか。ピピーディアも、そんな感じがしない?」
ピピーディアは頷いた。ラルニャの言う通り、引っかかることは多い。ルーン・アイテム盗難の件について調べを進めていくと、手掛かりの糸を掴むことはある。しかしそれを辿っていくと、いつもどこかでぷっつりと切れているのだ。事件の黒幕まで、たどり着くことができない。
「まるでこちらの弱点が分かっているような巧妙なやり口で、何かが動いているように感じます。私たちの目の届かぬ水面下で……。ルーン・アイテムを盗み出す手口も毎回異なっていて手掛かりが掴みにくいですし、輸送する間に行き先をわからなくしてしまうやり方も、まるで捜査の手が伸びることを前提に置いて仕組んでいたようです。それに、これだけ盗難被害が出ているのに、なかなか表沙汰にならなかった、というのも不思議です。体裁を気にして、事件を隠ぺいするような、自尊心の高い家柄から優先的に狙い、発覚までの時間差を期待していたような……」
「そう、そうなのよ。こっちがどう動くか分かっていて、先回りして道を閉ざしていってるみたい。もしかしたら、何もかも計算されているんじゃないかなって思うの。計算されつくした大きな流れがあって、私たちはその中でもがいているだけなのかも」
「計算ですか」
「うん。お父様の敗北も含めて、何もかも前もって計算されていることなんじゃないかって。だって考えてみて。何もかも出来すぎよ。何者かがルーン・アイテムを秘かに盗み出して、王国騎士団の力を弱めた。ようやく私たちがそれに気が付いて、盗難の犯人を追いかけ始めたら、魔族の帝国が復活を宣言した。それに、ドルク族が動き出すのだってタイミングが良すぎるとは思わない? ずっと山の中で、部族ごとに分かれて勝手に戦い合っていてくれたのに、ここにきて一つにまとまり、しかも王国軍の軍事行動を邪魔する。あまりに不自然じゃない?」
確かにそうだ、とピピーディアは思った。偶然というには、何もかもが重なりすぎている。
誰かが裏で糸を引いている、というのはピピーディアも感じていることだった。しかしその誰かが掴めない。こちらの手口や貴族たちの性格を知り尽くしていることから、王国内部の人間だと推察はできる。だが、王国の人間がどうして魔族たちに協力するのか。
そこまで考えて、ピピーディアは自嘲したくなった。
ピピーディアは魔族なのである。それも、宮廷付き精霊術師であるから王都の事情に詳しい。貴族たちのことも良く知っているし、騎士団の調査にも関わっている。真っ先に疑われてもおかしくない立場にあった。ラルニャにその気はないのだろうが、これがランデリードだったならば、嫌疑をかけられていると感じてもおかしくなかっただろう。
「そういえば、少し気になったことがあります」
「何?」
「ここ一年以内に、ルーン・アイテムを流治都市ルギスパニアに貸し出した、という家が三つもあるのです。何でも治水工事に使うとかで、コーネリウス侯爵から手紙が届いたので送ったと」
「コーネリウス伯父様から?」
流治都市ルギスパニアの領主コーネリウス侯爵は、国王の妹メアリーを嫁に迎えていた。ラルニャにとっては叔母の婿、つまり血縁関係のない伯父にあたる。
ラルニャは腕組をしてうーんと悩んでいたが、やがてこう結論付けた。
「さすがに無関係だと思うわ。だって、コーネリウス伯父様が、ルージェ王国を裏切るなんて考えられないもの」
ピピーディアもラルニャに同意見だった。コーネリウスは、国王ビブルデッドの右腕とも称された人物である。もともとは平民の出だったが、国王自らに見出され、やがて王家から嫁をもらうような立場にまで出世を果たした。そんなコーネリウスが、ルージェ王国を裏切るような行動に出るとは考えにくい。
では、誰が裏で糸を引いているのか。誰かが王国を内側から食い破ろうとしている。しかし、それは誰なのか。
黒幕は実にしたたかだ。疑心がそこかしこに芽吹くよう、周到に準備をしている。
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アッシカは腹に衝撃を感じて目を覚ました。
「あ、親分、起きたか」
いきなり蹴り飛ばされた腹を押さえようとして、両手が縛り上げられていることに気が付く。痛みは全身に走り、自分が吊り上げられていることをアッシカは理解した。腕に力が入らない。ルーイックの声の聞こえた方を見ると、ちょうど一人が入れるくらいの隙間を空けて、ルーイックも両腕を縛り上げられて吊られていた。アッシカを起こそうと身体を揺らして、蹴っ飛ばしてきたのだろう。
「起きたか、じゃねえよ……。くそ、ここはどこだ」
「わかんないから、親分を起こして訊こうと思ってさ」
なんてやつだ。
アッシカは溜息をついて辺りを注意深く見渡した。湿気と塩気の充満した、石造りの部屋だった。身体がべたついている。海のそばだ、というのはすぐに分かった。
吊り上げられている身体を捻ってみると、鉄格子が目に入る。鉄格子の奥は廊下になっていて、ろうそくに火が灯されている。それが、アッシカたちのそばを照らしている唯一の光源だ。陽の光どころか月の明かりも届かぬことから察するに、どうやら地下にある牢屋のようだ。アッシカとルーイックだけがそこに吊り上げられている。
アッシカは記憶を辿った。交易都市ニーナの攻略後、アッシカは十分な準備を整え、二十艘の船団を率いて南へ向かった。乗り込む海賊は約八百人である。クイダーナ南部やパペイパピル、ニーナといった都市にそれぞれ人を残すと、遠征に出せる人数はそれくらいしかなかったのである。指揮はアッシカ自身が執り、副長ルーイックをはじめとして腕っぷしにしか能のない余り者たちを連れてきた。
二十日余りの航海で、リンドブルム地方の西岸が見えてきた。三又に分かれた半島の北側には灯台があったが、アッシカはこれを無視し南下を急いだ。灯台から海賊の船団を確認したとしても、近隣都市に援兵を頼む前にナルカニアに達すると判断したのである。
想定通り、灯台を越えて数日後にはナルカニアに達した。入港する前から白旗が掲げてあり、一切の抵抗を受けることなくアッシカ海賊団はナルカニアに乗り込んだ。
ナルカニアは、都市を挙げて歓待してくれた。アッシカが出した貿易に関する税などの諸条件も、簡単にまとまった。モンスターや他の海賊団から守ってくれるのならば、それ以上は望まないという話だった。やはり陸路はあまり整備されておらず、リンドブルム地方の他の都市との連携を図りにくい土地のようだった。
「リンドブルムは河川が多く、交通の上での難所が多いのです。最も強力な軍を持っているのは流治都市ルギスパニアでしょうが、彼らがナルカニアに来てくれるのはいつもすべてが終わった後です。もちろん我々も自衛能力を強化して参りましたが、限界があります。どなたか、力のある方が責任をもって支配してくださる方が、よほど心が休まるというもの」
アッシカはこれを聞いて、海賊団の一部を常駐させることを約束した。ナルカニアの市民たちは、アッシカたちに悪い感情を持っているようには見えなかった。労せずして、支配地域を拡大することができそうな気配にアッシカは満足し、彼らの歓待を受けた。……そして、目を覚ましてみたらこの地下牢である。




