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ユーガリア戦記  作者: さくも
第6章 白霧の中へ
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6-16「自分の身も守れないのに、ルノア大平原を一人旅とはね」

 ベルーロの行動は早かった。父の埋葬をランデリードに頼み、統治について細々とした注意点について文官たちに引き継ぎ、涙を流す侍女に別れを告げた。


 ランデリードに話をした翌日、ベルーロは保存食や水、それに僅かばかりの金と剣を持ち、馬に乗ってユニケーを離れた。何もかも投げ捨ててしまいたくなった。それは突発的な衝動に近かったが、ベルーロはその衝動を抑えようと思わなかったのである。


 風を切って馬を走らせ、解放感に身を任せる。今までの自分を構築してきたすべてが、しがらみに思えた。背後から迫ってくるしがらみから逃げ出すように、ベルーロは馬を走らせ続けた。大平原。文字通りの自由が、目の前にあった。


 夜が近づいても地平の果てまで草原が広がるばかりで、都市の一つも見えなかった。こうやって、一人きりで大平原に飛び出すのは初めてのことだった。近隣都市との会談や、何かの催しでセントアリアへ行く機会はままあったものの、その時には百人を下らぬ兵たちと一緒だったのだ。それに何より、父がいた。一人であるという心細さが、次第にベルーロを蝕み始める。

 一晩はそれでも孤独に耐えた。闇の中で、草が揺れる音にびくびくしながらも、モンスターに襲われることなく平原を進んだ。しかし、二晩三晩と重ねるにつれて、徐々に心細さに耐え切れなくなる。ベルーロは南に向かっているつもりだったが、目印の一つもない大平原の中で、本当に向かっている先が南なのかどうかも、分からなくなってきていた。


 ユニケーを離れて四日目。夕暮れが近づき、ベルーロは野営の準備を始める。ちょうど火を起こし終えたところで、ベルーロは辺りに獣の気配を感じた。腰の剣に手を伸ばし、音を拾うことに集中する。低い唸り声が、辺りから聞こえ始める。狼の鳴き声だ。それも一か所ではない、辺り一帯から、狼の鳴き声が聞こえてきている。


 ベルーロは口の中に溜まった唾を飲みこんだ。大平原に出た時から、モンスターに襲われる覚悟はしていたが、実際に危険が迫ってみると、頭で考えていたようには動くことはできない。震える手で、荷物から松明を抜き出して、火をつける。狼の唸り声は数を増している。平原のそこかしこに、身を潜めているようだ。


 どこだ、どこから来る……。ベルーロは左手に松明を持ったまま、右手で剣を抜いて、注意深く辺りを見渡した。


 丘の上に、巨大な狼が姿を現していた。没する太陽を背景に、巨狼が遠吠えを上げる。丘のあちこちや草むらや茂みから、一斉に狼たちが姿を現した。狼の数は、三十頭は下らない。どこに隠れていたんだ、と思えるような数の狼にベルーロは包囲されていた。他の狼たちが現れたことで、最初に姿を見せた狼の巨大さが際立つ。


 恐怖がベルーロの身体を突き動かした。

 無理だ、戦って勝てる相手ではない。いくら剣と松明で応戦しても、狼たちを追い払うことはできない。逃げるのだ。


 じりじりと輪を狭めてくる狼の群れに松明を向けながら、ベルーロは後ろ足で馬に近づいた。巻いてある手綱を解くと同時に、馬に飛び乗って一気に逃げる。間違いなく、それが最善手だ。あの巨体の狼が動き出す前に、何とか逃げ切れれば……。ベルーロはそう考えながら、後ろ手で手綱を解いた。

 ところが手綱は、解いたと思った瞬間に手の中をすり抜けていった。恐怖を感じていたのはベルーロだけではなかった。馬もまた嘶き、ベルーロを見捨てて逃げ出そうとしたのである。


 ベルーロは必死で手綱を掴んだが、剣を抜いていたことが災いした。暴れだしている馬に傷をつけ、さらに手綱の片側を切ってしまったのである。ベルーロは慌てて剣を手放し、続いて松明も手放して、両手で切れた手綱を握りしめた。馬は必死に逃げようと走り出し、ベルーロは地面を引きずられる。


「誰か、誰か助けてくれ!」


 ベルーロは叫びながら、つい先日と同じだと思った。助けを求めても、誰にも届かない。狼が寄ってきているのが見える。手綱を握るのも、限界が近い。まだ身体は完全に回復しているわけではないのだ。舞った土埃が目に入り、力が抜けた。その瞬間、馬はベルーロを振りほどくように暴れ、ついにベルーロは手を放してしまった。


 終わりだ、とベルーロは思った。そもそも、あの磔刑の場で死んでおくべきだったのだ。生き永らえていたところで、もう自分には何もない。何もできない。ルノア大平原の片隅で、狼に喰われて死ぬ。何とも情けない話だが、そのくらいの最期が似つかわしい男に成り果ててしまった。

 仰向けに転がり、夕焼けに染まる空を見ていた。馬蹄の音が聞こえる。あの馬は、上手いこと逃げられるだろうか。細切れになった雲を見上げながら、ベルーロはそんなことを考えた。


 目を閉じて最期の時を待つことにした。馬蹄の音はまだ聞こえている。いや、違う。馬の足音が、近づいてきている。続いて、狼の鳴き声と風を裂く音が連続する。

 はっとして、ベルーロは身体を起こした。地平の果てに太陽が消えようとしている中で、嘘のように狼が空を舞っている。それも一匹ではない、二匹、三匹と次々に空を舞っている。ベルーロは視線を落とした。狼を蹴散らしているのは、たった一騎である。胸元の大きくはだけた服を着た大男が、自分の腕ほどの太さもある槍を振り回して、狼たちを蹴散らしている。


 ベルーロは呆然として成り行きを見守った。男は槍を大きく振り回し、丘の上に陣取る巨大な狼に突っ込んでいった。次の瞬間、巨体の狼は槍で貫かれていた。陽が落ち切る。ベルーロが起こした火が、ばちばちと音を立てていた。辺りから、狼の気配は消えている。槍を扱う大男に恐れをなして、狼たちは逃げ去ったようだ。


「よぉ、無事みてぇだな」


 大男が近づいてきて馬を下りる。倒れているベルーロに手を差し伸べた。「ありがとう」と答えてベルーロが手を取ると、物凄い力で引き上げられた。


「あなたは……?」

「人に名前を訊ねるときには自分からってぇ、おれは習ったけどな」

「失礼しました。私はベルーロ。農業都市ユニケーから来ました。あなたは?」

「おれはチェルバ」


 チェルバは自己紹介を終えると、ベルーロを連れて火のそばに移動した。火に照らされてみると、いかにチェルバの身体が、鍛え抜かれた筋肉で出来上がっているのかがわかる。チェルバの顔は頬骨が飛び出していて、そのせいで下の頬が削げ落ちているように見える。一見すると病的に見えそうな顔立ちなのだが、強靭な肉体と、瞳に宿った確かな知性が、病的な印象をかき消している。


「自分の身も守れないのに、ルノア大平原を一人旅とはね」

「無謀……ですよね」

「無謀ってぇより、無理だな。ちょっと隣の都市まで、っていうならまだしも、そういうわけでもなさそうだ。いったい、どこまで行くつもりだったんだ?」

「具体的にどこに行こう、というのは考えていませんでした。ただ、誰も私のことを知らない場所に行きたくて」


 ベルーロは正直に話したつもりだったが、チェルバは「そりゃ漠然としすぎてるぜ」と言って首を捻った。

 謎めいたことを言ってしまっていると反省して、ベルーロは自分の過去を正直に話した。ホーズン伯爵の息子であること、自分の失策のせいで父を失ったこと、磔刑の恐怖、ランデリードに許しをもらって、大平原に出てきたこと。


 チェルバは、ベルーロの荷物を勝手に漁って干し肉を取り出し、炙って食べながら話を聞いていたが、ベルーロが話し終えると「なるほどな」と言って頭を掻いた。


「すると、おれたちゃ似たもの同士ってわけだ」

「似たもの同士?」

「おれの親父はルーク伯爵ってぇんだ」

「ルーク伯爵……まさか、機構都市パペイパピルの領主であるルーク伯爵ですか?」


 ベルーロは驚きを隠せなかった。


「はははは、やっぱり驚いたか。良く言われんだよな、親父にまったく似てねぇってよ」

「確かに驚きました……。ご子息が槍術の修行に出たきり帰ってこないという話は聞いていましたが」

「ああ、そりゃぁおれのことだな。さすがに一年も離れちまったからな……」


 偶然にしても出来すぎている、とベルーロは思った。ともに伯爵位を持つ家柄の嫡男である。それも、ルノア大平原を代表するような大都市の出身だ。

 それが、お互いに旅の途中、このだだっ広いルノア大平原で出会った。運命性を感じさせるような出会いである。


「これも縁ってやつか」


 ベルーロと同じことを思ったのだろう。チェルバはそう言って笑った。


「クイダーナ帝国がどうの、ルージェ王国がどうのと不穏な噂が多いからよ、そろそろ親父の顔でも見にパペイパピルに戻ろうかと思ってたのさ。だけどその前に、ちょっとばかしお前に付き合ってやるよ」

「いいんですか?」

「ま、おれの旅は急ぐもんでもない。一年も離れてたんだ。いまさら多少の寄り道をしたって、なんも変わんねえよ。それに、お前の馬もどっかに行っちまったみたいだし、ここで見捨てるのも気が引ける。遠回りになりすぎない程度なら、付き合ってやるよ。で……誰もお前のことを知らない場所に行きてぇんだったよな」


 ベルーロが頷くと、チェルバは顎に手を当てた。


「ここからなら、剣の国ブレイザンブルクを目指すのが良いんじゃねえかな。あそこは良くも悪くも、閉ざされた国だ。お前のことを知ってるやつも、そういないと思うぜ」


 ブレイザンブルクは英魔戦争以前からずっと独立を保ち続けてきた。今はルージェ王国に従っているが、その独立性までは侵されていない。閉ざされた都市、というのは正しい物の見方に思える。


「ま、よそ者を受け入れてくれるかどうかはわかんないが、それは行ってみてからってぇ感じかな。もし受け入れてもらえるなら、ルージェ王国のしがらみからは抜け出せると思うぜ」


 チェルバはそう言うと、自分の荷物から水筒を取り出してごくごくと飲み始めた。葡萄の甘い香りが広がる。酒であることは疑いようがなかった。

 ベルーロは甘い匂いを嗅ぎながら、剣の国ブレイザンブルクへ行ってみようと思った。

今週でベルーロ視点はいったん終わりです。


【お知らせ】

9/24(木)より、マンガBANG!様でコミカライズ開始となります。

どうぞコミカライズも宜しくお願い致します。


次回更新は、せっかくなので9/24(木)に致します。その次はまた毎週土曜日です。

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