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ユーガリア戦記  作者: さくも
第6章 白霧の中へ
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6-6「答えの出ないことを考え続けると、心が腐り始めるからな」

 ルイドは玉座の間を出て城を離れると、すぐに練兵場に向かった。予想通り、すでに再編は終わっていた。サーメットの語る編成は凡庸な物で、手堅くまとまっていた。

 特に調整する必要も認められなかったので、明朝の出発だけを伝えて兵たちは先に休ませた。久々にベッドで休めると早々に兵舎に向かう者もいれば、魔都にいる家族に会いに行くという者も、そろそろ店を開き始めるはずの酒場に繰り出していく者もいる。北海での戦いは、兵に疲労を溜め込ませたはずだ。明朝までたった半日ではあるが、それでも兵たちにとって良い息抜きになるはずだ。


 にわかに騒々しくなったところで、サーメットがルイドの耳に顔を寄せた。


「不穏な噂を耳にしました。ジーラゴンにもう何日も船が停泊していない……と、商人たちから聞いた者がいるようです。それに、別の噂では、川の向こう岸にルージェ王国の旗が上がっていたと」

「なるほど、それは不穏だな」


 ジーラゴンは、クイダーナ地方の東端にある町だった。東軍はジーラゴンを経由しなければ、補給を受けられないはずだ。川の向こう岸に王国軍が展開していたという情報が確かならば、ジャハーラ率いる東軍は城塞都市ゾゾドギアで包囲されている可能性が高い。もっとも、その情報とて今現在の状況ではないはずだ。

 サーメットは、ジャハーラや兄弟のことが心配なのだろう。兄弟の中で、一人だけ北軍に回された。それはジャハーラに絶縁を突き付けられたようなものだとルイドは思っていたが、サーメットはそれでもなお、親兄弟の身を案じている。


「行ってみなければ、確かなことはわからない。……だが、ジーラゴンの領主からは人質を取っていたはずだ。念のため、連れていくことにしよう」


 ルイドはサーメットの鎧に手を置いて言った。サーメットの鎧は、両肩部分が盛り上がった形状をしている。この鎧の下にあるモグラの頭が、彼の人生を狂わせた。

 人の一生は様々だ。望むような人生を得られる者は極わずかで、ほとんどの者は何とか手に入れた物を失わないように気を付けながら、日々を生きている。ルイドは人生について考えるとき、いつも絶壁を思い浮かべていた。風が、びゅうびゅうと吹きすさぶ絶壁だ。望む人生というやつは絶壁の頂上にあって、そこを目指して進んでいく。しかし風は強く、少しでも力を緩めればあっという間に奈落行きになってしまう。そこまで落ちなかったにしても、もう二度と上を目指そうと思えなくなってしまう者もいる。


 サーメットはまだ絶壁を上る気力を失っていない。それどころか、自分が上るべき方向を見出した感じさえある。こういう男は好きだった。何度、風に吹かれて絶壁を滑り落ちようとも、再び這い上がってくるだろう。


「必要なことを終えたらお前も休め。答えの出ないことを考え続けると、心が腐り始めるからな」


 おれはいま、柄にもないことを言っている。ルイドは強くそう思った。

 サーメットが振り返る前に、ルイドは踵を返した。歓楽街に向かう兵たちの後ろを、距離を取ってゆっくりと歩いた。


 前を歩いていた兵たちは、徐々に姿を消していった。それぞれ、思い思いの店に飲み込まれていったようだ。ルイドは進み続けた。城門を抜ける際、衛兵の一人に声をかけられた。もうすぐ閉門の時刻となり、朝まで入れなくなるという確認だった。ルイドは「わかっている」と答えて門を抜けた。気を利かせた衛兵から松明を取り、スラム街へ入る。

 スラム街は閑散としていた。ほとんどの者が、魔都の中に居住を移したのだろう。そういう仕組みが構築され、上手く作用し始めている。政治の在り方が変わるだけで、人々の暮らしは大きく変化する。ルイドが想像していたよりも早く、魔都クシャイズは変わり始めていた。


 向かった先は、酒場「雛見鳥」である。店内に入る。グラスを磨いていたマスターが顔を上げる。客は、一人もいなかった。ルイドはカウンターの席に腰を掛けた。


「景気はどうだ」

「それを訊きますか」


 マスターは笑った。磨いていたグラスに酒を注ぎ、ルイドの前に出す。匂いを嗅いで、口をつけた。葡萄酒(ワイン)を蒸留させ、再び熟成させた酒である。作るのに手間がかかるが、その分、味と匂いに深みが出る。舌の先を湿らせる程度に、ちびちびと舐めるようにしてこれを飲むのが、ルイドの楽しみ方だった。


「ジャハーラ公は苦戦しているようです。どうやらジーラゴンが裏切り、東軍は城塞都市ゾゾドギアに閉じ込められる格好になっています」

「苦戦は、わかっていたことだ。東軍は東軍で、何とかするだろう」

「ジャハーラ公が深手を負い、動けなくなっているのではないかという情報も」

「……おれに、心配しろとでも言うのか?」


 ルイドはマスターを睨み付けた。マスターは一瞬怯み「とんでもない」と答えた。


「私は、ただお耳に入れておこうかと」

「そういう情報は、軍の方で集める。それに東方面軍には頭の切れる軍師もいるはずだ。あっちはあっちで、何とかするだろう。それにおれが何かを心配したところで、状況が変わるわけではない。東軍が敗れて、王国軍がクイダーナに侵入しているというのなら話は別だが」

「そういうわけでは」

「ならば、それは余計な心配という物だ。北軍は予定通り、これから東軍の救援に向かう。……軍事行動を起こすのだ、必要な情報は軍の方で集める」

「失礼致しました」


 マスターが深々と頭を下げた。少し、厳しく言いすぎたかもしれない。黒耀(コクヨウ)の説明で時間を無駄にした苛立ちをぶつけてしまった。どうにも、ペースが崩れている。

 ルイドはグラスを回し、再び酒を舐めた。マスターは頭を上げない。ルイドは「それで」と言葉を続けた。


「魔剣ルイズ=ガードリィの刃に関しては?」

「何の手がかりも掴めておりません」


 マスターは頭を下げたまま答える。ルイドは静かに「そうか」と言って、酒を舐めた。

 見つからないのは当然だった。もう何十年と探し続けて、見つかっていないのだ。根気よく、手掛かりを集めさせるしかなかった。


 魔剣ルイズ=ガードリィは、かつて貴士王ゲールデッドが愛用していた魔剣である。彼の死後、魔剣ルイズ=ガードリィは二つに折れ、破棄されてしまっていた。

 魔力を吸収すると言われる剣である。もしかしたら、ティヌアリアの魔力も残っているかもしれない。そう考えたルイドは、魔剣の在処を探し続けていた。柄の部分は手に入れ、やがてエリザがその力を宿すこととなった。だが、刃の方がどうしても見つからない。その情報を集めるよう、ルイドは手の者たちに指示を出していた。


 ゲールデッドはその剣で、ティヌアリアの胸を刺し貫いて殺した。ルイドは今でも、その時の様子をはっきりと思い出すことができる。

 血の滴る剣先、刺し貫かれたティヌアリアの身体、広がっていく血だまり。痛みに耐えながらも、ティヌアリアは穏やかな表情を作った。せめて死ぬ時くらいは、そうありたいという気持ちが、痛い程にルイドに伝わってきた。ルイドはティヌアリアの名を叫んだ。前に出ようとするが、両肩をパージュとテドリックに押さえられて、動けない。ルイドは必死に声を出した。感情を抑制できずに叫んだのは、後にも先にもあの時だけだ。


 ティヌアリアの身体が、ゲールデッドの方に倒れこむ。あろうことか、ゲールデッドはティヌアリアの身体を蹴飛ばした。魔剣が抜けて、血が飛び散る。ティヌアリアの眼から、生気が消えている。ルイドは自分が涙を流していることを知った。ゲールデッドは、地面に倒れたティヌアリアの身体を冷ややかに見下ろし、続いて何度も剣を突き立てた。


 思わず握っていたグラスを割りそうになって、ルイドははっと気が付いた。もう四十年も昔の話だというのに、思い出すだけで感情が制御できなくなる。

 呼吸を整え、グラスに口をつけた。濃いままの酒を、喉の奥に流し込む。こういう時は、酔ってしまった方がいい。


 雛見鳥のマスターは、まだ頭を下げている。ルイドはわざと音を立ててグラスをカウンターに置いた。マスターが頭を上げ、空になったグラスに酒を注ぐ。


 早く酔ってしまうことだ。ルイドは再度そう思った。明朝には、ゾゾドギアへ向けて進発する。

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