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ユーガリア戦記  作者: さくも
第6章 白霧の中へ
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6-2「余計なことを考えるなよ」

 アナイが引き込んだ十人のドルク族の中には、すべての部族をまとめるキーグボイスという男が混ざっていた。すべての部族をねじ伏せ、戦士たちを支配下に置いた蛮勇王である。

 キーグボイスは、生命を感じさせる黒々とした短髪に、虚無のような漆黒の瞳を持っていた。生々しい傷跡が身体中についていて、殺気が身体中から漏れ出している。いったい、これまで幾たびの死線を潜り抜けてきたのだろう。顔の傷跡に沿うように戦化粧を施しているキーグボイスの姿は、敵だけでなく味方をも震え上がらせる程だ。


 アナイがホーズン伯爵に短剣を突きつけると、キーグボイスは迅速に行動した。フードを取って顔を現すと同時に、周辺の兵士たちをあっという間に打ち倒し、自らホーズン伯爵の息子ベルーロを人質に取った。アナイはそれを見て、キーグボイスと同じようにホーズン伯爵を後ろ手にして縛り上げた。キーグボイスに従って、来た道を戻る。


「アナイ様……」


 侍従の一人が声を漏らしたが、アナイは無視した。ドルク族と一緒に連れてきた十人の女子どもたちは、いずれもアナイの侍従だった者たちだ。彼女らの命と引き換えに、アナイはキーグボイスと取引をしたのだ。

 キーグボイスは抜け目がなかった。アナイが裏切るそぶりを見せれば、すぐにでも侍従たちを殺害できるように、わざわざ一緒に連れてきたのである。半数が女子どもたちであることは、農業都市ユニケーの兵士たちを油断させることにも一役買った。


 アナイに無視されたのだと知って、侍従たちは黙って道を開ける。

 それでいい、とアナイは思った。しばらく大人しくしていれば、あなたたちは助かる。キーグボイスは、約束を守るだろう。蛮勇王と称される男だが、約束は守る。その代わり裏切りは決して許さない。キーグボイスはそういう男だ。


 外側の城門の制圧は、驚くほどに短時間で終わった。ドルク族の戦士たちは、ローブの下に隠し持った戦斧を振り回して兵士たちを次々打ち倒す。不意を突いた殺戮に、ユニケーの兵士たちは対処できないままに殺害されていった。

 やがて、城壁の上に三人のドルク族が上がった。全員のローブは返り血で汚れている。晴天が、彼らの戦化粧を鮮やかに映し出している。


 城壁の内側も外側も、しんと静まった。誰もが、状況を理解するのに時間を要したようだ。呆けたように、城壁の上のドルク族の青年たちを見上げている。

 次第に「ドルク族だ」と声が上がり始める。農業都市の兵士たちも、ドルク族に気が付いたようだ。


 静寂は、喧騒に変わった。

 見張りについていた兵士たちが、次々に弓を構えてドルク族に放つ。しかしドルク族の戦士たちは矢を戦斧で払い、また身をかわし、城壁の上で雄たけびを上げる。


 狙いが逸れた矢が、城門の内外に落ちていった。流れ矢が民衆にあたり、悲鳴が方々から聞こえる。それが混乱に拍車をかけた。城壁の中と外、どちらもで民衆の叫び声が聞こえる。


 城門の中に入り込んだドルク族が、極少数だということに、まだほとんどの者が気づいていないようだ。いくら蛮族として知られるドルク族でも、こんな少数で乗り込んでくるとは誰も考えていないのだろう。

 ホーズン伯爵を解放して、ドルク族はたった十人だと知らせるべきか。アナイは顔に出さないようにして考えた。うなだれているホーズン伯爵の耳元に何かを囁くのは、そう難しいことではないように思える。人質さえいなければ、いくらドルク族と言えどたったの十人。制圧は時間の問題になるはずだ。


「余計なことを考えるなよ」


 キーグボイスが言った。アナイは、表情を殺すように必死で努力をした。キーグボイスに思考が読まれたのかどうか、アナイには判断ができなかった。

 縛り上げているベルーロに言ったようにも、アナイに言ったようにも取れる。小声でありながら、凄味があった。


 アナイは、ホーズンの首元に短剣を押し付けたまま事態の成り行きを見守ることにした。いまキーグボイスを裏切るのはリスクが大きい。裏切るにしても、もう少し様子を見てから決めるべきだ。


 城門の真下にいるドルク族の一人が、火を起こしていた。何をするつもりなのか見ていると、彼はローブの内側から筒状の物体を取り出して火に放った。ジュッと音がすると同時に、黄色い煙がもくもくと立ち込めて城門を覆う。煙は風に吹かれてさらに広がり、アナイやキーグボイスたちの姿も覆い隠した。視界の悪い中で、断末魔の悲鳴がいくつも聞こえる。風を裂くような音と、血しぶきの舞う音。


 続いて、門の外側の方から凄まじい喧騒が聞こえてきた。アナイは目を閉じて、音を拾うことに集中した。何が起きているのか、音でしか判断ができない。

 甲冑の音と馬蹄の音が入り混じり、怒声と悲鳴が聞こえてくる。王国騎士団が動き始めたようだ。門の周辺に群がっていた民衆が邪魔になって、軍は思うように動けていないようだ。


「ついてこい」


 キーグボイスが短く言う。アナイは、キーグボイスの背中を見失わないよう気を付けながら、煙の中を進んだ。


 ――今が、チャンスじゃないか。アナイは再び考えた。

 キーグボイスは背中を見せている。ホーズン伯爵に突き付けているこの短剣で、キーグボイスに後ろから斬りかかることもできる。この男さえ殺すことができれば、ドルク族は崩壊するだろう。花の都から連れられてきた十人の従者たちも、この煙の中で身を潜ませているはずだ。短剣を背中に突き刺して、すぐに抜く。二発目は首だ。それで、父や母の仇が取れる。農業都市ユニケーの平和も守られる。


 アナイは頭の中でキーグボイスに斬りかかる自分を想像した。いける。今なら、キーグボイスを殺すことができる。

 そう思っているのに、なかなか踏み出せなかった。もう一度想像する。ホーズン伯爵に耳打ちをし、キーグボイスの背中に突っ込む。まずは背中に一撃だ。しかし手持ちの短剣ではキーグボイスの鎖帷子を貫けない。反射的に、キーグボイスは剣を振るうだろう。アナイはきっと、それを避けられない。不意の一撃を衝けなければ、アナイに勝機などないのだ。


 無謀だ、とアナイは思った。いま斬りかかっても、きっと勝てない。


 キーグボイスがアナイに背中を見せているのは、慢心しているからではない。アナイが斬りかかってくるかどうか試しているだけだ。

 もしかしたら、誘っているのかもしれない。わざと隙を見せて、誘っているのだ。アナイが従順になったのか、それとも従順なフリをしているのか、知ろうとしているのだ。いまはまだ、うかつに動くべきじゃない。


 キーグボイスの後ろを進んでいくと、真っ黄色な煙の中に城門が姿を現した。ホーズン伯爵がよろけて、アナイは慌てて短剣を引く。ホーズン伯爵はなかなか立ち上がらなかった。死体に躓き、そのショックで気を失ってしまったようだ。アナイはやむを得ず、ホーズン伯爵を引きずってキーグボイスの後を追った。


 すでに門の周辺は、ドルク族の戦士たちが制圧しているようだ。門のすぐそばで、キーグボイスは歩みを止めた。

 城門は激しく打ち鳴らされていた。門の外に締め出された王国騎士団か民衆が叩いているのだろうが、今のところ破られそうな気配はない。


「さて……壁の内側の戦力は何人だ?」

「答えると思うか」


 反抗的な答えを聞いて、キーグボイスはベルーロを殴った。それでもベルーロは答えようとしない。キーグボイスはしびれを切らした表情で、アナイに目配せをした。アナイは短剣を構え直して、ホーズンの首の皮を短剣でなぞった。血が、短剣の刃を伝う。ベルーロとキーグボイスにはっきりと見えるように、そうした。


「父に、手を出すな」

「壁の内側の戦力は?」


 ベルーロは唇を噛んでいる。アナイは無表情を崩さなかった。大人しく従うべきだ。従順にしていれば助かるかもしれないのだ。


「七百……」


 答えたベルーロの頬を、キーグボイスは殴りつけた。嘘だと思ったのだろう。いくら何でも、少なすぎる。ベルーロは口から血を流し、折れた奥歯を吐き捨てて「本当だ」と言った。


「軍のほとんどは、城壁の外側で野営してもらっている。中にいるのは、治安維持の部隊だけなんだ」


 キーグボイスはもうベルーロを殴らなかった。その代わり、仲間の一人に目配せをする。

 発煙筒に、また火がつけられた。今度は紫色の煙が上がり始める。


 ドルク族の使う紫色の煙が、どういう意味なのかアナイは知っていた。「我が意を得たり、全軍集結せよ」勝利を確信したときに、味方を呼びつけるための合図だ。

 花の都リダルーンが攻撃を受けた際にも、ずっと紫の煙が焚かれていた。やがて紫の煙の中に、炎が上がり始める。略奪と破壊が始まる、とアナイは思った。自分でも驚くほどに、心は冷めきっていた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] アナイを中心に描くことで、自然と状況が描かれています。 これは上手い。 短剣の使い方が拙いのも良いですね。とどめのためには刺して捻る、が常道ですから。そういう知識も経験もないから、一歩踏み…
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