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ユーガリア戦記  作者: さくも
第5章 王国の猛攻
129/163

5-39「尽くすことを強要される、呪縛のようなものです」

ベルタッタン

 →ダルハーンの抱える奴隷の一人。スラム出身、子どもの頃、自分の人生をダルハーンに売り払った。

 →魔都クシャイズでバーカカ男爵の男娼として仕えていたが、ジャハーラの蜂起を機に離反、バーカカ男爵を殺害してダルハーンの下に帰った。


登場話:3-10,3-16,3-23あたり。

 ベルタッタンは貴族が嫌いだった。金さえ払えば、何でも買えると思い込んでいる。――いや、ベルタッタン自身でさえ、その呪縛にかかっていた。金で自らの人生を売り渡したのだ。


 魔都クシャイズで、ジャハーラが貴族たちを磔にしたとき、ベルタッタンはバーカカ男爵を殺した。自分のことを『金で支配している』と思っている人間の恐怖に染まった顔は、思い出すだけで気分が良くなる。後先を考えない、怒りに突き動かされた行動。ベルタッタンにとっては、初めての経験だった。誰の命令でもなく、自分自身の内側から湧いてきた怒りの感情を動力にして、バーカカ男爵を殺したのだ。


 奴隷商人ダルハーンの下に戻ったのは、気まぐれのようなものだった。金の呪縛はもう消えていたが、これまで育ててもらった恩のようなものは残っていた。ベルタッタンは、ダルハーンに正直にそれを話した。


「ふぉっふぉっふぉ。金の呪縛が、解けたか。好きに生きようとは、思わなかったのか?」

「私は、好きに生きようと決めて戻ってきたのです。ここ以外に、どこに戻ればいいのかわからない」

「ジャハーラ公爵の下へ行くというのは?」


 ベルタッタンは首を振った。ジャハーラ公爵は確かに魅力的な人物だった。怒りの感情を、教えてくれた。だが彼の目指す未来と、ベルタッタンの目指す未来はどこかかけ離れているという気がした。ジャハーラは、極貧状態を知らない。わずかな金のために殺し合う地獄を知らない。ダルハーンは、誰よりもそれを知っている。


「私は貴族が嫌いです。それはジャハーラ公と言えど例外ではありません。王国に恨みを持っているあなたの方が、よほど私の考えに近い。……だから、これからもよろしくお願いしますよ。それとも、私の力は要りませんか?」


 ベルタッタンが言うと、ダルハーンは声を上げて満足げに笑った。


「では、これからは同志ということだな。お前に支払った金の効力は、もう切れた。儂はお前に命令を下すことはしないが、頼むことはある」

「一つだけ……お願いがあります」

「同志の願いだ。聞こう」

「これからは、殺しても構わない貴族の下にしか、送り込まないでください」


 ダルハーンは不気味な程の笑顔で「いいとも」と言った。


 魔都クシャイズから連れ出した奴隷の子どもたちを、暗殺者として鍛えあげながら移動した。ダルハーンは毎日、魔鳥と会話をして各地の情報を集めていた。ジャハーラの率いる軍が、ジーラゴン・ゾゾドギアを通過するようだと知ると、ダルハーンは潜伏を決めた。


「ラールゴールという男はとんでもない悪党だの。リズール川を渡る船を独占している。川の中州に位置するゾゾドギアの民たちは、ラールゴールに支配されている。しかし、船がないから財産を持って外には出られない。それなのにラールゴールのおかげで平和に暮らしていられるのだ、などと幻想を見させている。実に周到に、ゾゾドギアの住民たちを手なずけている」

「……殺しますか?」

「殺したいか?」


 ベルタッタンは頷いた。


「しかし民衆には慕われておる。お前がラールゴールを殺すということは、民意に反する行為になる。ラールゴールが悪党だという確固たる証拠を民の前に突きつけなければ、民の怒りはお前の方を向く」


 不思議な話だった。虐げられている者たちを解放しようと思っているのに、支配者を殺せば自分が恨まれる。

 ベルタッタンは恨まれても構わなかった。だが、それは解放と言うのだろうか、という思いがあった。ベルタッタンが金の呪縛に支配されていたように、ジーラゴン・ゾゾドギアの民たちは安寧という呪縛に支配されている。その呪いは自分自身で解かなければ意味がないものだ。


「もうすぐ、帝国軍がここを通る。ジャハーラ公爵がどのような判断を下すのか、見てみたくないか?」


 魅力的な提案だった。魔都クシャイズで、怒りのままに動いたジャハーラならどうするだろう。ラールゴールが悪党だと気付かないかもしれないし、逆にさっさと処刑するかもしれない。それを、見てみたい。

 ダルハーンは子どもたちを連れてゾゾドギアに渡り、ベルタッタンは単身ジーラゴンに残った。ジャハーラはラールゴールの正体に気が付かず、そのまま軍を進めていった。落胆しかけたベルタッタンだったが、ラールゴールが帝国軍の輜重隊を罠にかけたことで、考えが変わった。これでジャハーラ軍は補給を受けられなくなる。ジャハーラとラールゴールは、敵対するしかない。


 情報を集めながら、ジーラゴンで潜伏を続けた。帝国軍の輜重隊たちが閉じ込められているのは、川につながった水門だということも知っている。罠が作動すれば、帝国軍輜重隊はワニの餌となり、ジーラゴンとゾゾドギアの間に川中のワニが寄ってくる。


 ゾゾドギアの民衆が渡河を試み始めた。

 これに対してラールゴールが罠を発動させれば、民衆も呪いから解放されるはずだ。自分たちはラールゴールに安寧をもらっているわけではない。ラールゴールに都合がいいから、生かされてるだけだと悟るはずだ。


(はやく罠を使え。それで、民衆の眼が覚める。リズール川が真っ赤に染まり、獰猛なワニが血肉を貪る。その光景を目の当たりにして、ようやく民衆はラールゴールが悪党だったと気が付くのだ)


 ダルハーンから、輜重隊を助け出し、ラールゴールを殺せと指示が届いた。ダルハーンは、帝国軍の補給路を回復させるつもりのようだ。輜重隊を脱出させ、ラールゴールが隠し持っている船を使って、ゾゾドギアへの補給を行わせる。ラールゴールが、いざという時のために一艘だけ自分の船を隠し持っていることは把握している。それを使って、ゾゾドギアに補給を行わせるつもりなのだろう。


 ベルタッタンは、地下牢を見に行った。気は進まなかったが、帝国軍の輜重隊を助け出さねばならない。彼らに、補給路を回復させねばならない。

 帝国軍の輜重部隊が、自力で脱出してラールゴールを討って補給路を回復させた。そういうことにしておきたい、というのは良く分かった。奴隷商人の存在は、帝国軍にとって喜ばしい物ではない。彼らが動いたと分かれば、スッラリクスは帝国軍内で嫌疑をかけられるはずだ。ダルハーンはスッラリクスとの間につながりを作ろうとしているから、スッラリクスの失脚は望んでいない。


(面倒なことだ……)


 輜重隊の脱出を手伝いに行ったベルタッタンは、そこで自力で這い上がってきた者たちを見た。自分が助けるまでもなかった。奇跡のようなタイミングで、彼らは地下牢から這い上がってきた。


 ――後は、ラールゴールを殺すだけである。

 予想外の出来事に、気持ちが昂るのを感じた。ベルタッタンはラールゴールの館に押し入り、闇夜の中で次々と兵たちを殺していった。途中、少年兵が自分の後ろをついてきていることに気が付いた。地下牢から這い出してきた輜重隊の一人だろう。都合がいい。実に、都合がいい。


「私の目的は、領主ラールゴールの首を取ること。そして、ラールゴールの部屋はここです」


 少年兵に言った。ラールゴールの寝室の扉を開けた。薄紫色に発光する扉は、実に貴族的で――趣味が悪い。

 部屋の中は、壁全体が発光していた。魔都クシャイズと同じ、常に発光し続ける素材で作られているのだろう。薄紫色の空間に、人影が二つ。どちらがラールゴールか、ベルタッタンにはすぐわかった。驚いて身構えようとする前に、ベルタッタンは細剣(レイピア)をラールゴールの喉に突き刺した。血が舞う。


 ベッドの脇で悲鳴を上げかけたもう一つの人影に、ベルタッタンは細剣を向けた。少年兵の出番はない。


「女、ですか」


 みだらな格好の女だった。はだけた胸元を、シーツで隠している。彼女がラールゴールの愛人だということは、掴んでいる。ベルタッタンは女の口に細剣を入れた。女はガタガタと震えてベルタッタンを見ている。懇願するような瞳には涙が溜まり、命だけは助けてくれと言わんばかりである。


「金で買われたのですか?」


 女がわずかに頷いた。ベルタッタンは細剣を口の中から引き抜き、腰に戻した。


「考えてみれば、憐れなものです。金ですべてを支配され、尽くすことを強要される。呪縛のようなものです。……行きなさい。呪縛を解くのです」


 愛人とは名前ばかりで、商売女のようなものだろう。金のためにラールゴールに尽くし、一生を縛り付けられる。貴族に売り飛ばされた時の自分の境遇と――いやそれよりも、ダルハーンに自分を売ったときと、どこか似ている。

 女はくしゃくしゃに丸めたシーツを胸に抱いたまま、部屋を出て行った。


「さて……終わりましたね。ここに私がいたことは、どうか内密にしておいてください」


 ベルタッタンは残った少年兵に話しかけた。しかし少年兵は寝室の窓からリズール川を見つめ、唇を震わせて何か呟いている。


「……行かなきゃ。助けに行かなきゃ」


 もはや少年兵はベルタッタンのことなど眼中にないようだ。リズール川には、無数の松明の炎が見えている。先頭の集団は、既に川の半分を超えたようだ。炎が揺れ、いくつか消える。ワニに襲われたようだ。どれだけの者たちが無事に渡河できるか、わかった物ではない。


(なるほど、大切な人があの中にいる……と)


 ベルタッタンは少年兵を尻目にラールゴールの荷物を漁った。その中から鍵束を見つけると、少年兵に再度話しかけた。


「有益な情報があります。それを聞けば、あなたは大切な人を助けられるかもしれない。ようやく話を聞いてくれる気になりましたか。まず確認です、あなたは帝国兵で間違いありませんね?」


 少年兵がやっと反応した。「あ、ああ……」と頷く。


「では、私がここにいたということは、どうぞ内密にしてください。それが知られると、少々困ったことになってしまいますのでね。ここでの戦いは、すべてあなたが一人でやったこと。いいですね? ……ありがとうございます。では、情報です。この館の地下に、船が隠されています。鍵は、おそらくこれでしょう。船があれば、助けられるのでは?」


 言いながら、鍵束を少年兵に手渡した。少年兵はベルタッタンの顔をまじまじと見て、それから鍵束をもう一度見つめ「ありがとう!」と叫ぶように言うと、部屋を飛び出していった。


 残されたベルタッタンは薄紫色の部屋で不気味に笑った。面白いように、事が進む。

 ラールゴールの荷物をもう一度漁り直す。ベッドの裏に何かの作動装置を見つけた。ずいぶん古い装置だ。部屋に備え付けられる形で作られている。これが、地下牢の罠の発動装置だろう。


 ベルタッタンは装置を発動させた。


 バルコニーに出る。冷たい風が、リズール川の泥臭い臭いを運んでくる。ベルタッタンは胸いっぱいに夜風を吸い込んだ。無数の松明が、リズール川で蠢いている。

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